
【絶対悲観主義】5063
楠木健氏の心に響く言葉より…
僕はまだ初老段階にあります。
本格的な高齢者経験はないのですが、年を取っていくといよいよ知性の勝負になるという気がしています。
高齢化問題の最終的な解は教養にある、というのが現時点での僕の考えです。
高校生ぐらいまではクラスの中に飛び抜けて勉強ができる子がいます。
振る舞いも大人びていて、たいして勉強してなさそうなのに、楽々と東大に合格する。
何か別種の人間のように見えて、近づきがたい。
今にして思えば、こうした傑出した秀才が出てくるのは、学校という小さな社会に押し込められているからです。
しかも、能力が試験の成績という単純な尺度に一元化されている。
他者との違いが量的にはっきりと出るから、ずば抜けているように見えるだけで、子どもは子ども、実際には大して差がない。
ところが、七○代、八○代になると人間のレベルに差が出てきます。
よく生きている人と、そうでもない人の違いが露骨に表れる。
長い人生の中で、一方は好循環を、他方は悪循環を起こすので、どんどん差が開いていく。
この差の根幹にあるのは何か。
僕は知性と教養だと考えています。
自分を客観視する。
世の中での自分を俯瞰して見る。
具体的なことごとの背後にあるものを抽象化して本質をつかむ。
ようするに知性です。
何よりも自分の経験と頭と言葉で獲得した価値基準を持ち、精神的な自立と自律を保てているか。
つまりは教養です。
昔話の定番プロットに「いいおじいさん(おばあさん)」と「悪いおじいさん(おばあさん)」の対比があります。
「舌切り雀」「花咲かじいさん」はその例です。
高齢者が人格の良し悪しのモデルになっている。
年を取るほどその人の本当が出るというのは、昔から変わら ないのではないでしょうか。
料理店でたまに機嫌が悪そうにしている高齢者を見かけます。
注文の仕方がぞんざいで、お店に対して高圧的に文句を言ったり、あれはできないのか、これをしろ、これはするなと、やたらに過剰要求を繰り出す。
相手の事情に目が向かず、ひたすら自分都合で考える。
自分にとっての目先の利害で頭がいっぱいで、他者に対する寛容さがない。
自分に問題があ るのではなく、周囲が悪いと考える。
他者依存が強く、自律性に欠ける。
精神的に自立していない。
一言で言えば、幼児化です。
子どもは何でも自分の思い通りいくという前提で生きています。
自分の思い通りにならないことがあると機嫌が悪くなる。
赤ちゃん返りの退化の果てに 「悪いおじいさん」が出てきます。
「人生100年時代」は単に物理的な寿命を言っているに過ぎません。
医学と科学の発達で、人間のハードウェアは一○○年間作動する時代が近いうちに来るのかもしれません。
しかし、ソフトウェアがハードウェアについていくかどうかはまた別問題です。
ソフトウェアが劣化したまま、ハードウェアだけが一○○年間動き続けるというのは、果たして幸せなことなのか。
僕は大いに悲観的です。
極端なケースでは、不老不死の可能性を真剣に論じる人がいます。
工学的にいろんなパーツを使えば、脳だけで人間はずっと不老不死でいられると言うのですが、それは決して幸せではないと僕は思います。
どこかで終わりを意識するからこそ、思考と行動の充実がある。
寿命という制約があるから時間にも人生にも価値があるというのが本当のところだと思います。
『絶対悲観主義』講談社+α新書
https://amzn.to/3zVNZUz
絶対悲観主義とは、たとえば、仕事においても、お客がいる以上、趣味のように自分の楽しみのためだけにすることは許されません。
だから、仕事は、自分の思い通りには、なかなかならないということです。
そして、「世の中は甘くない」「物事は自分の都合のいいようにはならない」もっというなら「うまくいくなんてひとつもない」と思い定めることです。
仏教の出発点は「一切皆苦(いっさいかいく)」です。
人生とは、思い通りにならないことを知ることから始まるということです。
仏教でいう「苦」とは、思い通りにならないことをいいます。
なぜ、「苦」が生じるかというと、それは「諸行無常」という、すべては移り変わるからです。
仏教でいう「苦」は、生老病死の四つです。
生まれたということは、そこから苦が生じるので、「生」も苦です。
老いることも、病気になることも、死も自分の思い通りにはなりません。
まさに、「絶対悲観主義」も、人生は、「思い通りにはいかない」と覚悟するところから始まるのだと思います。
いくらお金を払っているお客だからといっても、自分の思い通りにいかないことは多くあります。
暴走老人や、老人クレーマーという、いわゆる「シルバーモンスター」にならないためにも…
年を重ねるごとに、知性を身につけ、人生は思い通りにはいかないもの、と思い定めたいと思います。
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楠木健氏の心に響く言葉より…
僕はまだ初老段階にあります。
本格的な高齢者経験はないのですが、年を取っていくといよいよ知性の勝負になるという気がしています。
高齢化問題の最終的な解は教養にある、というのが現時点での僕の考えです。
高校生ぐらいまではクラスの中に飛び抜けて勉強ができる子がいます。
振る舞いも大人びていて、たいして勉強してなさそうなのに、楽々と東大に合格する。
何か別種の人間のように見えて、近づきがたい。
今にして思えば、こうした傑出した秀才が出てくるのは、学校という小さな社会に押し込められているからです。
しかも、能力が試験の成績という単純な尺度に一元化されている。
他者との違いが量的にはっきりと出るから、ずば抜けているように見えるだけで、子どもは子ども、実際には大して差がない。
ところが、七○代、八○代になると人間のレベルに差が出てきます。
よく生きている人と、そうでもない人の違いが露骨に表れる。
長い人生の中で、一方は好循環を、他方は悪循環を起こすので、どんどん差が開いていく。
この差の根幹にあるのは何か。
僕は知性と教養だと考えています。
自分を客観視する。
世の中での自分を俯瞰して見る。
具体的なことごとの背後にあるものを抽象化して本質をつかむ。
ようするに知性です。
何よりも自分の経験と頭と言葉で獲得した価値基準を持ち、精神的な自立と自律を保てているか。
つまりは教養です。
昔話の定番プロットに「いいおじいさん(おばあさん)」と「悪いおじいさん(おばあさん)」の対比があります。
「舌切り雀」「花咲かじいさん」はその例です。
高齢者が人格の良し悪しのモデルになっている。
年を取るほどその人の本当が出るというのは、昔から変わら ないのではないでしょうか。
料理店でたまに機嫌が悪そうにしている高齢者を見かけます。
注文の仕方がぞんざいで、お店に対して高圧的に文句を言ったり、あれはできないのか、これをしろ、これはするなと、やたらに過剰要求を繰り出す。
相手の事情に目が向かず、ひたすら自分都合で考える。
自分にとっての目先の利害で頭がいっぱいで、他者に対する寛容さがない。
自分に問題があ るのではなく、周囲が悪いと考える。
他者依存が強く、自律性に欠ける。
精神的に自立していない。
一言で言えば、幼児化です。
子どもは何でも自分の思い通りいくという前提で生きています。
自分の思い通りにならないことがあると機嫌が悪くなる。
赤ちゃん返りの退化の果てに 「悪いおじいさん」が出てきます。
「人生100年時代」は単に物理的な寿命を言っているに過ぎません。
医学と科学の発達で、人間のハードウェアは一○○年間作動する時代が近いうちに来るのかもしれません。
しかし、ソフトウェアがハードウェアについていくかどうかはまた別問題です。
ソフトウェアが劣化したまま、ハードウェアだけが一○○年間動き続けるというのは、果たして幸せなことなのか。
僕は大いに悲観的です。
極端なケースでは、不老不死の可能性を真剣に論じる人がいます。
工学的にいろんなパーツを使えば、脳だけで人間はずっと不老不死でいられると言うのですが、それは決して幸せではないと僕は思います。
どこかで終わりを意識するからこそ、思考と行動の充実がある。
寿命という制約があるから時間にも人生にも価値があるというのが本当のところだと思います。
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絶対悲観主義とは、たとえば、仕事においても、お客がいる以上、趣味のように自分の楽しみのためだけにすることは許されません。
だから、仕事は、自分の思い通りには、なかなかならないということです。
そして、「世の中は甘くない」「物事は自分の都合のいいようにはならない」もっというなら「うまくいくなんてひとつもない」と思い定めることです。
仏教の出発点は「一切皆苦(いっさいかいく)」です。
人生とは、思い通りにならないことを知ることから始まるということです。
仏教でいう「苦」とは、思い通りにならないことをいいます。
なぜ、「苦」が生じるかというと、それは「諸行無常」という、すべては移り変わるからです。
仏教でいう「苦」は、生老病死の四つです。
生まれたということは、そこから苦が生じるので、「生」も苦です。
老いることも、病気になることも、死も自分の思い通りにはなりません。
まさに、「絶対悲観主義」も、人生は、「思い通りにはいかない」と覚悟するところから始まるのだと思います。
いくらお金を払っているお客だからといっても、自分の思い通りにいかないことは多くあります。
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