AI (ええ愛・Atelier Ichien)

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島左近(しまさこん)

2011年05月24日 | うたしやきなお話
こんにちは♪

筆侍ジャッカル。~宇宙の凡人~です。

「三成に過ぎたるものがふたつあり、島の左近と佐和山の城」

と言われた島左近さん

左近さんは有名だが、大名ではない。1万5千石の家老でしかない。

なのに強く名が歴史に残ったのは、

勇猛な戦いぶりが評価されてのことだろう。

50歳を過ぎ浪人中の左近さんを、力のある大名達が、どうしても迎えいれようとしたほどの勇猛な武士である。

三成君の下についたとき、三成君の上司いや社長たる秀吉さんから
(三成君は地位的には課長レベルかな)

「わしとこ来い、20万石あげるから」

て言われたが断り親子ほど年下の三成君の下についた。

三成君は19万4千石、その半分の10万を左近さんに用意したが、
(早い話が収入の半分あげるてこと)

左近さんは断り1万5千石を受け取った。

朝鮮出兵では、

「石田家に左近あり」と言われる活躍をした。

社長たる秀吉さん亡き後、世襲制会社なのにの秀吉さんの息子さんを蔑ろに、

権力の座を狙う専務たる家康さんを、いち早く警戒し、何度も家康さん暗殺の進言を三成君にした。

だが、三成君は誠実な性格で戦場での正面勝負を唱える。

が、文治派であるため極力、争わない解決法を探そうとした。

しかし、関ヶ原の戦いで東軍家康さんと正面衝突し、西軍三成君は破れた。

そりゃあ、専務と課長の戦いだ。常務や部長連中は専務につくわい。

義に殉じた誠実な三成君 に、修羅の如き勇猛な左近さん。

下剋上の戦国の世を、最期にこの二人の主従関係が美しく飾ったような気がする。

相反する性格の二人が良い関係を保てたのは、

三成君の誠実さを左近さんが汲み取ったからではないだろうか。

http://l.pic.to/19tiqo
(ジャッカル。作)

戦乱時はこうした英雄達の熱い話が出てきやすい。
しかし、平時においても、目立たぬだけで熱い人達がいる。

皆さんの側にも必ず熱い心の英雄や姫がいる。

それはきっと皆さんの家族、恋人、友人など身近なとこにいるでしょう〓

今日も最後までありがとうございます。ジャッカル。は皆様の幸せを心より願います。

関ヶ原の戦いにおいて、左近さんと戦った黒田家の家臣から

「身の毛がよだつ」とまで恐れられた左近さんの首は見つかってない。

合戦の翌日、琵琶湖ほとりで宿を取ったとの記録が残るのみである…

では、いい午後を〓


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