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【人間学とは 】人の心に灯をともす 3573より 写真はMさんからいただいたプレゼントです(*☻-☻*)あ...

2019年03月02日 | 
伊藤肇氏の心に響く言葉より…


《宰相の五つの条件とは》(李克)

『居てはこの親しむところをみ、冨みてはその与うるところをみ、達してはその挙ぐるところをみ、窮してはその為さざるところをみ、貧にしてはその取らざるところをみる。五つのものもってこれを定るに足る』


第一の「居てはその親しむところをみる」というのは、官をひいて家にいる時、つまり浪人している時に、いかなる連中とつき合っていたかを観察する。

浪人というのは、地位、肩書、名誉といった虚飾を全部はずした裸の人間である。

だから浪人中の交友は「裸のつきあい」であり、アリストレスの「友達は第二の自己である」という箴言(しんげん)が最も適格に適用できるのである。

つまり、浪人中に低俗でくだらぬ連中とつきあっていたら、その人間自体がお粗末だと判断して間違いないし、すばらしい人物、一流の人物ばかりがそのまわりをとりまいていたら、まさしくそれはほんものである。


第二の「冨みてはその与うるところをみる」というのは、財を成した時に、その金を何に使ったかをみるのである。

金の使い方くらい難しいものはない。

それは人格がそっくりそのまま反映するからだ。

金ができたら、まっさきに女を囲ってみたり、書画骨董にうきみをやつすようでは、とても宰相たる資格はない。

天皇の師傅(しふ)で『倫理御進講草案』を遺した杉浦重剛は「一年の計は田を耕すにあり。十年の計は樹を植えるにあり。百年の計は人を養うにあり」(菅子)を引用して「人材養成のために巧みに時と金を使うことが、経済の極意である」と喝破している。

「経済」とはもちろん「経世済民」(世を治め、人を救う)の意味であるが、最高の金の使い方は人を養うことである。


第三の「達してはその挙ぐるところをみる」というのは、高位高官にのぼった時、いかなる人物を登用し、いかなる本を推せんしたかを観察する。


第四の「窮してはその為さざるところをみる」というのは、困窮したときにいかなる態度をとったかを観察するのである。

いかなる人も、単調だがやすらかで牧場の牝牛のようにのんびりした人生を命の終わりまで続けられるなどということはあり得ない。

どんな人生も、晴れる日もあれば、曇る日もある。

雨のあれば風もある。

しかし、大きくわけてみると「焔(ほのお)の時」と「灰の時」との二つである。

「焔の時」というのは、燃えさかる焔の如く、勢いがさかんで、この時は少々無理をしても、大体のことがうまく運ぶ。

ところが、いったん「灰の時」に入ると、何をやってもうまくいかない。

やることなすこと、裏目、裏目とでる。

そんな時は、静かに「灰の時」に没入し、自己に沈潜(ちんせん)して、実力を養成する時期なのである。

事実、何をやってもうまくいかぬ時には何もやらぬのが一番いい。

ところが小心者に限って、そういう時はやたらに何事かをやらかして失敗する。

何事かをやっていないと不安でしようがないからだ。


第五の「貧にしてはその取らざるところをみる」というのは、貧乏に対する処しかたである。

万事好調で懐具合もいい時には、人間はあまりオタオタしないし、ボロも出さない。

だが、その同じ人間が、いったん貧乏して尾羽(おは)うち枯らすと、一変してダメになる。

背に腹はかえられぬとばかりに、みすみす、邪(よこしま)な金とわかっていても、ついポケットに入れたくなる。

それを歯をくいしばっても我慢するか、どうかが、人物評価のわかれ道となる。

貧乏であろうと、あわてることはない。

目的をもって生きる。

信じるところに生きる。

修養につとめる。

そこにおのずから積極的な人生の楽しみが生まれてくるのである。


十六世紀のはじめ、日本を訪れたザビエルが驚きと感激の文字を綴っている。

「日本人には、キリスト教国民のもっていない一つの特質がある。これは武士がいかに貧しくとも、その貧しい武士が富裕な人々から富豪と同様に尊敬されていることだ。彼らは武士、平民を問わず、貧しさを恥と思う者は一人もいない」


『人間学』PHP文庫





これは宰相の条件ではあるが、人物になるための条件でもある。

それは、うまくいっている時と、まずくなった時の生き様の問題だ。


調子のいい時、威勢がいい時は、とかく有頂天になりがちだ。

すると、偉そうになったり、人を見下したりと、卑しくなる。

逆に、勢いがなくなったり、落ちぶれてしまったときは、心に余裕がなくなり、愚痴や不平不満も多くなり、お金にも汚くなり、これまた、卑しくなる。


『粗(そ)にして野(や)だが卑(ひ)ではない』

と言ったのは元国鉄総裁の石田礼助。

言動が粗野であっても、決して卑しい行いや態度はとらない、という気骨の人。


人間学を修め、卑ではない気骨の人になりたい。









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