
【変わり続けることこそ真理】
致知出版社、藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…
『碧厳録(へきがんろく)』という禅の問答録に、こういう話が出ています。
弟子が大龍(達磨大師より十四代目の祖)という師匠に問うのです。
大龍に問う
「色身(形あるもの)は必ず滅びる。 永遠に変わらぬものはないか」
この質問に大龍禅師はこう答えます。
「山花、開いて錦に似たり 澗水(かんすい)、湛(たた)えて藍(あい)の如し」
山の花々が開いて錦を織り成したようだ。
谷の水もたたえられて藍のように美しい。
しかし、花は散り、水も動いている。
移行こそが永遠の真理だ…ということです。
松原泰道先生はこの話が好きで、 よくこの話をされました。
移行こそが永遠の真理という、その真理に則(のっと)られ、泰道先生も百一歳八か月で、その生涯を終えられました。
泰道先生に教わったことはたくさんあります。
最大の教えは先生の生きる姿勢そのものでした。
いま私の執務室に先生が書いてくださった色紙が 掲げられています。
「生涯修行 臨終定年」
力強い筆跡で、百歳を越した人の字とは思えません。
先生はこの言葉を座右の銘としていましたが、まさに、その言葉通りの人生を歩まれました。
年を取るごとに人格を完成させ、 最も完熟した形で生を終える
そういう生き方を間近に見せていただいた幸いを思います。
もう一つ、私自身の心に深く残った泰道先生の言葉。
「仏教は人がよりよく生きるための教えといいますが、仏教はいかに生きよと教えているのか。仏教の究極の教えはなんでしょうか」という質問に
泰道先生は 「上求菩提(じょうぐぼだい) 下化衆生(げけしゅじょう)」 と答えられました。
上求菩提とは、己の人間性を向上させること。
下化衆生とは、少しでも世のために尽くす、ということです。
間髪をいれずに答えられたその時の泰道先生の言葉と表情は 私にとって忘れえぬ教えとなっています。
仏教の真髄に少しでも近づくべく人生を歩みたいものです。
『心に響く言葉』致知出版社
https://amzn.to/3WCf9rY
仏教の大事な教えのひとつに「一切皆苦(いっさいかいく)」という言葉がある。
「苦」とは自分の思い通りにならないことをいう。
「生老病死」のすべてがそうだ。
その思い通りにならない「苦」の原因が「諸行無常(しょぎょうむじょう)」。
「諸行無常」とは、あらゆるものは変化する、ということ。
世の中は、常に変化し続け、変わらないものはない。
家族を含むあらゆる人間関係も、仕事も、自分の身体も、歳をとることも…。
我々の生きる目的は、自分の魂を磨き続け、少しでもよき人格を身につけること。
そして、世のため、人のために尽(つ)くすこと。
この追求に、終わりはない。
「生涯修行 臨終定年」
松原師はそれを「独楽(こま)の舞倒れ」と言っていたという。
勢い良く回る独楽が、やがてその勢いをなくして倒れるように、独りで体力の限界を超えるほどめまぐるしく働きすぎ、成果をみないうちに倒れてしまうことのたとえだが、松原師はそれでよし、という。
さっきまでしゃべっていたのに、急に黙ったので、近づいてみたら亡くなっていたというようなあの世への往き方こそがよいのだ、と。
つまり、それが臨終定年。
生涯修行をし続け、あの世に行くときが定年、と思えるよう生き方…
自ら、変わり続ける人生でありたい。
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致知出版社、藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…
『碧厳録(へきがんろく)』という禅の問答録に、こういう話が出ています。
弟子が大龍(達磨大師より十四代目の祖)という師匠に問うのです。
大龍に問う
「色身(形あるもの)は必ず滅びる。 永遠に変わらぬものはないか」
この質問に大龍禅師はこう答えます。
「山花、開いて錦に似たり 澗水(かんすい)、湛(たた)えて藍(あい)の如し」
山の花々が開いて錦を織り成したようだ。
谷の水もたたえられて藍のように美しい。
しかし、花は散り、水も動いている。
移行こそが永遠の真理だ…ということです。
松原泰道先生はこの話が好きで、 よくこの話をされました。
移行こそが永遠の真理という、その真理に則(のっと)られ、泰道先生も百一歳八か月で、その生涯を終えられました。
泰道先生に教わったことはたくさんあります。
最大の教えは先生の生きる姿勢そのものでした。
いま私の執務室に先生が書いてくださった色紙が 掲げられています。
「生涯修行 臨終定年」
力強い筆跡で、百歳を越した人の字とは思えません。
先生はこの言葉を座右の銘としていましたが、まさに、その言葉通りの人生を歩まれました。
年を取るごとに人格を完成させ、 最も完熟した形で生を終える
そういう生き方を間近に見せていただいた幸いを思います。
もう一つ、私自身の心に深く残った泰道先生の言葉。
「仏教は人がよりよく生きるための教えといいますが、仏教はいかに生きよと教えているのか。仏教の究極の教えはなんでしょうか」という質問に
泰道先生は 「上求菩提(じょうぐぼだい) 下化衆生(げけしゅじょう)」 と答えられました。
上求菩提とは、己の人間性を向上させること。
下化衆生とは、少しでも世のために尽くす、ということです。
間髪をいれずに答えられたその時の泰道先生の言葉と表情は 私にとって忘れえぬ教えとなっています。
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『心に響く言葉』致知出版社
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仏教の大事な教えのひとつに「一切皆苦(いっさいかいく)」という言葉がある。
「苦」とは自分の思い通りにならないことをいう。
「生老病死」のすべてがそうだ。
その思い通りにならない「苦」の原因が「諸行無常(しょぎょうむじょう)」。
「諸行無常」とは、あらゆるものは変化する、ということ。
世の中は、常に変化し続け、変わらないものはない。
家族を含むあらゆる人間関係も、仕事も、自分の身体も、歳をとることも…。
我々の生きる目的は、自分の魂を磨き続け、少しでもよき人格を身につけること。
そして、世のため、人のために尽(つ)くすこと。
この追求に、終わりはない。
「生涯修行 臨終定年」
松原師はそれを「独楽(こま)の舞倒れ」と言っていたという。
勢い良く回る独楽が、やがてその勢いをなくして倒れるように、独りで体力の限界を超えるほどめまぐるしく働きすぎ、成果をみないうちに倒れてしまうことのたとえだが、松原師はそれでよし、という。
さっきまでしゃべっていたのに、急に黙ったので、近づいてみたら亡くなっていたというようなあの世への往き方こそがよいのだ、と。
つまり、それが臨終定年。
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