「幸せの本質とは」というお話です。
_______
海に魚が泳いでいました。
この魚は、生まれてから一度も海の外に出たことがないため、「海を見てみたい」と願い、念じました。
その魚が泳いでいる岸辺に、人が座り、釣り糸を垂らしました。
魚は、「このエサに食いついてみれば、きっと『海』が見られる」と、パクッと食いつきます。
それに応じて、釣り人は糸を引き、魚は生まれてはじめて外に出ました。
そして、外からたしかに「海」というものを見ることができました。
しかし、苦しい。
「もう十分に『海』の広さ、大きさがわかりました。これ以上『海』を見る必要はないので、海に戻してください」と魚は釣り人に頼みます。
釣り人はその願いを聞き入れ、魚を海に戻してあげました。
この「寓話」の中の「魚」が「私」です。
「海」は「幸せ」です。
私たちは、「海という名の『幸せ』の中に泳ぐ魚」であるらしいのです。
願いや望みや思いがかなうことではなく、生きていること自体が、何もないことが、何も起きず平穏無事であることが、「幸せ」の本質のようです。
「海を見てみたい」と念じた魚の前に釣り糸を垂らしたのが「神様」だとすると、釣り上げられて海を出て、はじめて海を見たものの、呼吸ができなくて苦しいという状態が、もしかしたら「病気」や「事故」なのかもしれません。
平和・平穏を脅かす「災難(病気や事故)」は、平和・平穏である日常生活(当たり前の毎日)がどれほど喜ぶべきもの(幸せの本質)であるかを教えてくれる、素晴らしい贈り物であったとも考えられるのです。
「幸せの本質」を認識できず、その「幸せの海」の中にいながら、「幸せを見たい」、「海を見てみたい」と叫んでいると、神様はその願いをかなえてはくれるようなのですが、「釣り上げられた魚」は、苦しくて、つらいらしいのです。
何かを思い通りにすることや、願いや望みをかなえることが「幸せ」ではないと思います。
平和で、平穏で、穏やかに、静かに、淡々と流れていく「日常」こそ、「幸せ」の本質であるようです。
_______
ありがとうの魔法
小林 正観 著
ダイヤモンド社
_______
中国の唐の時代に、百丈懐海(ひゃくじょうえかい)という高僧がいました。
ある日、弟子に聞かれます。
「この世の中で1番すばらしいことは何でしょうか」
それに対し、こう答えたそうです。
「“独坐大雄峰(どくざだいゆうほう)”今ここにこうして座っていられることが、最も尊くすばらしい」
今ここにこうして座っていられるというのは、代々のご先祖たちが、数々の戦争も、天災も、病も、見事くぐり抜けてきたおかげです。
生きている時点で奇跡であり、幸運じゃないかということです。
アンドレ・モーロアというフランスの小説家は、こんな言葉を残しています。
「自分が天国へチケットを持って入ったら、何をするだろうか。
やっぱり自分は妻に会いたい、子どもに会いたい、友達に会いたい。
話をしたい、原稿が書きたい。
そう考えてみると、全部、現在自分がやっていることじゃないか。
今やっていることが天国であり、今が天国だ」
天国や未来に幸せがある訳ではありません。
今、幸せであり、今が天国だったのです。
幸せの本質は、淡々と流れゆく日常にある。
幸せの海を泳いでいる魚だったのですね♪
__________
今日も最後まで読んで頂きありがとうございます。
心より感謝します。
__________
ブログにも記事をアップしてあります。
「魂が震える話」ブログ
http://ameblo.jp/and-kei/
このメルマガは、
転送、掲載、自由です。
朝礼や飲み会の席、友人や家族との会話で、どんどんご活用いただけたらと思います。
こちらから登録出来ます。
↓ ↓ ↓
http://rush1000.com/form_if.cgi?id=tamafuru&u=a4243f144db0dd26
ブログやメルマガ、フェイスブック等のネタとして使用する際は、以下のような文を入れて頂ければ、断りは要りません。
___
この話は、メルマガ「魂が震える話」で紹介されていました。
kara-reg+tamafuru@rush1000.com
空メールを送信して登録できます。
※件名にはお名前を指定することができます。
※お名前を入力する場合は、姓と名はスペースで区切ってください。
※宛先は変更せずにそのまま送信してください。
___
よろしくお願い致します。
--------------------
発行責任者 「魂が震える話」けい
お問い合わせ kei@tamafuru.com
--------------------
_______
海に魚が泳いでいました。
この魚は、生まれてから一度も海の外に出たことがないため、「海を見てみたい」と願い、念じました。
その魚が泳いでいる岸辺に、人が座り、釣り糸を垂らしました。
魚は、「このエサに食いついてみれば、きっと『海』が見られる」と、パクッと食いつきます。
それに応じて、釣り人は糸を引き、魚は生まれてはじめて外に出ました。
そして、外からたしかに「海」というものを見ることができました。
しかし、苦しい。
「もう十分に『海』の広さ、大きさがわかりました。これ以上『海』を見る必要はないので、海に戻してください」と魚は釣り人に頼みます。
釣り人はその願いを聞き入れ、魚を海に戻してあげました。
この「寓話」の中の「魚」が「私」です。
「海」は「幸せ」です。
私たちは、「海という名の『幸せ』の中に泳ぐ魚」であるらしいのです。
願いや望みや思いがかなうことではなく、生きていること自体が、何もないことが、何も起きず平穏無事であることが、「幸せ」の本質のようです。
「海を見てみたい」と念じた魚の前に釣り糸を垂らしたのが「神様」だとすると、釣り上げられて海を出て、はじめて海を見たものの、呼吸ができなくて苦しいという状態が、もしかしたら「病気」や「事故」なのかもしれません。
平和・平穏を脅かす「災難(病気や事故)」は、平和・平穏である日常生活(当たり前の毎日)がどれほど喜ぶべきもの(幸せの本質)であるかを教えてくれる、素晴らしい贈り物であったとも考えられるのです。
「幸せの本質」を認識できず、その「幸せの海」の中にいながら、「幸せを見たい」、「海を見てみたい」と叫んでいると、神様はその願いをかなえてはくれるようなのですが、「釣り上げられた魚」は、苦しくて、つらいらしいのです。
何かを思い通りにすることや、願いや望みをかなえることが「幸せ」ではないと思います。
平和で、平穏で、穏やかに、静かに、淡々と流れていく「日常」こそ、「幸せ」の本質であるようです。
_______
ありがとうの魔法
小林 正観 著
ダイヤモンド社
_______
中国の唐の時代に、百丈懐海(ひゃくじょうえかい)という高僧がいました。
ある日、弟子に聞かれます。
「この世の中で1番すばらしいことは何でしょうか」
それに対し、こう答えたそうです。
「“独坐大雄峰(どくざだいゆうほう)”今ここにこうして座っていられることが、最も尊くすばらしい」
今ここにこうして座っていられるというのは、代々のご先祖たちが、数々の戦争も、天災も、病も、見事くぐり抜けてきたおかげです。
生きている時点で奇跡であり、幸運じゃないかということです。
アンドレ・モーロアというフランスの小説家は、こんな言葉を残しています。
「自分が天国へチケットを持って入ったら、何をするだろうか。
やっぱり自分は妻に会いたい、子どもに会いたい、友達に会いたい。
話をしたい、原稿が書きたい。
そう考えてみると、全部、現在自分がやっていることじゃないか。
今やっていることが天国であり、今が天国だ」
天国や未来に幸せがある訳ではありません。
今、幸せであり、今が天国だったのです。
幸せの本質は、淡々と流れゆく日常にある。
幸せの海を泳いでいる魚だったのですね♪
__________
今日も最後まで読んで頂きありがとうございます。
心より感謝します。
__________
ブログにも記事をアップしてあります。
「魂が震える話」ブログ
http://ameblo.jp/and-kei/
このメルマガは、
転送、掲載、自由です。
朝礼や飲み会の席、友人や家族との会話で、どんどんご活用いただけたらと思います。
こちらから登録出来ます。
↓ ↓ ↓
http://rush1000.com/form_if.cgi?id=tamafuru&u=a4243f144db0dd26
ブログやメルマガ、フェイスブック等のネタとして使用する際は、以下のような文を入れて頂ければ、断りは要りません。
___
この話は、メルマガ「魂が震える話」で紹介されていました。
kara-reg+tamafuru@rush1000.com
空メールを送信して登録できます。
※件名にはお名前を指定することができます。
※お名前を入力する場合は、姓と名はスペースで区切ってください。
※宛先は変更せずにそのまま送信してください。
___
よろしくお願い致します。
--------------------
発行責任者 「魂が震える話」けい
お問い合わせ kei@tamafuru.com
--------------------