
おはようございます。
けいです。
夏休みは満喫していますでしょうか?
えっ、僕ですか?
お休みなく出番をいただいておりますよ♪
ただ、仕事と遊びの境が分からないので、仕事をしていても遊んでいても、楽しいのに変わりはありません。
有難いことです(^^♪
さて、今日は「愛なしで生きてはいけない」というお話です。
相手にしてもらっているうちは、本当の愛に気づけないのかもしれない。
自分が与えてもらう側から、与える側になって初めて「愛」の本質に気づくのではないでしょうか。
こんなお話があります。
___
まだ私が小さい頃、
父と母がすでに他界していた為おばあちゃんが私と兄を育ててくれていたのですが、
遠足などある時はいつもおばあちゃんの手作りお弁当を持って行きました。
でも当時おばあちゃんが作るお弁当はおにぎり2つだったので、
同級生の子達のかわいらしいたくさんおかずが入っているお弁当がうらやましかったんです。
お弁当箱もキティーちゃんとかマイメロディーなどのかわいいお弁当箱なのに、
私は銀紙で包んだおにぎり2つだったので、おばあちゃんに対して
「こんな変なお弁当つくらないでよ」
「はずかしいからやだ」とはき捨てたり、
せっかく作ってくれてもわざと持っていかなかったり。
そんな酷い孫に対して、おばあちゃんは決して叱ったりしませんでした。
そんなある日、1度かわいいスヌーピーのお弁当箱にハンバーグや玉子焼きが入ったお弁当を作ってくれました。
おばあちゃんなりに他の子達はどんなお弁当を作ってもらっているのか一生懸命考えて作ってくれたのです。
おばあちゃんは、
「ごめんね、かわいいお弁当っておばあちゃんの時代なかったからわからなかったのよ・・・
これなら恥ずかしくないかねぇ」
と、シワシワのとても暖かな手でお弁当を手渡してくれました。
今思い出すだけで、私はおばあちゃんになんて酷い言葉を吐いていたんだろう、なんて最低な子供だったんだろうと涙が出てきます。
おばあちゃんのおにぎりだって、本当はとってもとってもおいしかったのに、「おいしかったよ」の一言も言わなかった。
本当にこんな酷い孫でごめんねおばあちゃん。
今私は結婚し、子供にも恵まれました。
おばあちゃんに曾孫を抱かしてあげる事ができ、幸せそうなおばあちゃんの優しい笑顔を見るとこれがあの頃の恩返しになれば私も幸せに思います。
うちの子はおばあちゃんの作るおにぎりが大好物なんですよ。
もちろん私もです。
ありがとうおばあちゃん。
ずっとずっと長生きして下さい。
大好きです。
___
なんか最近思うんです。
子どもの頃や、仕事を始めたばかりの頃は、自分の力で大きくなったような気がしていました。
しまいには教え方がヘタなどと言って、相手のせいにすることもありました。
今思うと、とんでもない勘違い野郎です(笑)
どんな想いで育ててくれたか、どんな気持ちで生意気な後輩を指導してくれたか、
その「愛」に気づかず、自分だけがすべての子供のような新人でした。
自分が教える立場になり、育てる立場になり、どれほどの「愛」を注いでもらったかに気づきます。
人は、「愛」なしでは生きられません。
今から800年ほど前、「言葉を教わらないで育った子供が、どんな言葉を話すのか」という実験が行われました。
赤ちゃん50人を集め、部屋に隔離し、そこである条件のもと面倒をみます。
ミルクは十分に与え、お風呂も排泄の処理もしっかりとして、物理的に必要なことは全て与えます。
ただし、1、目を見てはいけない 2、笑いかけてもいけない 3、語りかけてもいけない 4、触れてはいけない
という条件の元、実験が行われたのですが、一年もしないうちに続行不可能となりました。
とても悲しいことに、一歳の誕生日を迎える前に、全員亡くなってしまったからです。
つまり、ミルクやご飯だけで人が育つのではないということです。
ここにこうして生きているという事は、親か、親に代わる誰かが惜しげもなく愛情というエネルギーを注いでくれたという証拠です。
そうでなければ、赤ちゃんのうちに亡くなってしまうのです。
想いのこもった料理も、想いのこもった言葉も、想いのこもった仕草も、振る舞いも、顔の色も、額の汗も、
細胞から共鳴します♪
だから、理由はわかんないけど「なんかイイ!」って人は、愛があって想いがあるんです。
ひとつひとつのことを、何気なくやらずに、愛を込めていきたいですね(^^♪
__________
今日も最後まで読んで頂きありがとうございます。
心より感謝します。
__________
ブログにも記事をアップしてあります。
「魂が震える話」ブログ
http://ameblo.jp/and-kei/
このメルマガは、
転送、掲載、自由です。
朝礼や飲み会の席、友人や家族との会話で、どんどんご活用いただけたらと思います。
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この話は、メルマガ「魂が震える話」で紹介されていました。
kara-reg+tamafuru@rush1000.com
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発行責任者 「魂が震える話」けい
お問い合わせ kei@tamafuru.com
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夏休みは満喫していますでしょうか?
えっ、僕ですか?
お休みなく出番をいただいておりますよ♪
ただ、仕事と遊びの境が分からないので、仕事をしていても遊んでいても、楽しいのに変わりはありません。
有難いことです(^^♪
さて、今日は「愛なしで生きてはいけない」というお話です。
相手にしてもらっているうちは、本当の愛に気づけないのかもしれない。
自分が与えてもらう側から、与える側になって初めて「愛」の本質に気づくのではないでしょうか。
こんなお話があります。
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まだ私が小さい頃、
父と母がすでに他界していた為おばあちゃんが私と兄を育ててくれていたのですが、
遠足などある時はいつもおばあちゃんの手作りお弁当を持って行きました。
でも当時おばあちゃんが作るお弁当はおにぎり2つだったので、
同級生の子達のかわいらしいたくさんおかずが入っているお弁当がうらやましかったんです。
お弁当箱もキティーちゃんとかマイメロディーなどのかわいいお弁当箱なのに、
私は銀紙で包んだおにぎり2つだったので、おばあちゃんに対して
「こんな変なお弁当つくらないでよ」
「はずかしいからやだ」とはき捨てたり、
せっかく作ってくれてもわざと持っていかなかったり。
そんな酷い孫に対して、おばあちゃんは決して叱ったりしませんでした。
そんなある日、1度かわいいスヌーピーのお弁当箱にハンバーグや玉子焼きが入ったお弁当を作ってくれました。
おばあちゃんなりに他の子達はどんなお弁当を作ってもらっているのか一生懸命考えて作ってくれたのです。
おばあちゃんは、
「ごめんね、かわいいお弁当っておばあちゃんの時代なかったからわからなかったのよ・・・
これなら恥ずかしくないかねぇ」
と、シワシワのとても暖かな手でお弁当を手渡してくれました。
今思い出すだけで、私はおばあちゃんになんて酷い言葉を吐いていたんだろう、なんて最低な子供だったんだろうと涙が出てきます。
おばあちゃんのおにぎりだって、本当はとってもとってもおいしかったのに、「おいしかったよ」の一言も言わなかった。
本当にこんな酷い孫でごめんねおばあちゃん。
今私は結婚し、子供にも恵まれました。
おばあちゃんに曾孫を抱かしてあげる事ができ、幸せそうなおばあちゃんの優しい笑顔を見るとこれがあの頃の恩返しになれば私も幸せに思います。
うちの子はおばあちゃんの作るおにぎりが大好物なんですよ。
もちろん私もです。
ありがとうおばあちゃん。
ずっとずっと長生きして下さい。
大好きです。
___
なんか最近思うんです。
子どもの頃や、仕事を始めたばかりの頃は、自分の力で大きくなったような気がしていました。
しまいには教え方がヘタなどと言って、相手のせいにすることもありました。
今思うと、とんでもない勘違い野郎です(笑)
どんな想いで育ててくれたか、どんな気持ちで生意気な後輩を指導してくれたか、
その「愛」に気づかず、自分だけがすべての子供のような新人でした。
自分が教える立場になり、育てる立場になり、どれほどの「愛」を注いでもらったかに気づきます。
人は、「愛」なしでは生きられません。
今から800年ほど前、「言葉を教わらないで育った子供が、どんな言葉を話すのか」という実験が行われました。
赤ちゃん50人を集め、部屋に隔離し、そこである条件のもと面倒をみます。
ミルクは十分に与え、お風呂も排泄の処理もしっかりとして、物理的に必要なことは全て与えます。
ただし、1、目を見てはいけない 2、笑いかけてもいけない 3、語りかけてもいけない 4、触れてはいけない
という条件の元、実験が行われたのですが、一年もしないうちに続行不可能となりました。
とても悲しいことに、一歳の誕生日を迎える前に、全員亡くなってしまったからです。
つまり、ミルクやご飯だけで人が育つのではないということです。
ここにこうして生きているという事は、親か、親に代わる誰かが惜しげもなく愛情というエネルギーを注いでくれたという証拠です。
そうでなければ、赤ちゃんのうちに亡くなってしまうのです。
想いのこもった料理も、想いのこもった言葉も、想いのこもった仕草も、振る舞いも、顔の色も、額の汗も、
細胞から共鳴します♪
だから、理由はわかんないけど「なんかイイ!」って人は、愛があって想いがあるんです。
ひとつひとつのことを、何気なくやらずに、愛を込めていきたいですね(^^♪
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