
【プロフェッショナルの共通項】5192
上阪徹氏の心に響く言葉より…
「プロフェッショナル」と呼ばれている人たちに数多く取材する中で、私は彼らにいくつもの共通項があることに気づきました。
そのひとつが、若いときの苦労や努力を苦しいものだと思っていない、ということです。
起業家しかり、メダリストしかり、有名俳優しかり、突き抜けた結果を出している人ほど、陰ではとんでもない努力をしています。
当然ながら、人と同じことをして、そんな結果を出せるわけがありません。
多少の才能があっても、人並み外れた努力をせずに成功できるほど世の中は甘くないのです。
しかし、そんな血の滲むような努力すら、当人は大した努力と思っていませんでした。
並大抵の苦労ではないのに、皆、涼しげな顔をして当時を振り返るのです。
しかし、そんなにストイックに自分を追い込み続けていては、さすがにどこかで息切れを起こしてしまうはず。
そこでいろいろ聞いてみてわかったのが、彼らは自分を喜ばせることがとてもうまい、ということでした。
幸せのハードルが低いと、ちょっとしたことでも幸せに感じられます。
そうやって気持ちを高められれば、次のモチベーションにつなげていくことができるわけです。
一方で、こんなことにも気づきました。
彼らは世の中や人生の不条理さ、不合理さをしっかりと受け止めている、ということです。
人生が思い通りにならないなんて、当たり前のこと。
そもそも世の中は、不条理で不合理で不平等で理不尽で残酷なもの......。
この現実に気づいているからこそ、強くもなれるのです。
「そもそも人生は苦しい。生きていくのは大変だ」。
これが前提になれば、苦しい現実を突きつけられても、「どうして自分ばかりこんなことに?」とはならないのです。
20年以上にわたって芸能界で活躍している著名なタレントに取材したときのこと、長きにわたる活躍の秘訣を「実力1割、運9割」と語っていて驚いたことがあります。
努力して実力を磨くのは当たり前。
その上で、うまくいくかどうかは運が9割だったと言うのです。
才能や実力だけではない。
運が9割です。
何と残酷な話でしょうか。
しかし、これが現実なのだと思います。
歴史小説から現代小説までベストセラーを次々に出している高名な作家に取材したとき、厳しい言葉をもらったことがあります。
「作家になるまで苦労をされたのですね」という私の言葉に、彼は目を見開いて、反論されたのでした。
自分は苦労なんてしていない。
本当の苦労というのは、人間を圧しつぶすほど強烈で、どんなに意志の強い人間もつぶしてしまう。
作家になるまで苦労した、などという安易な物語をねつ造するのは、世の中をナメた考え方だ、と。
彼はこうも言っていました。若い人に言っておきたいのは、すぐに結果を求めようとしないことだ。
今やっていることの結果が、明日出ることはない。
そして、傷つくことを恐れないこと。
そもそも人生は血まみれ、泥まみれ、汗まみれなのだ、と。
人生は必ずしも思い通り、計画通りにいくわけではありません。
むしろ、いかないことのほうが多いかもしれない。
思ってもみないことが起こる。
だから問われてくるのは、そういうときにどう対応できるか、なのです。
私自身、苦しさは当たり前なのだと思えるようになった三十代から、人生が変わりました。
ラクして生きられるなんてあり得ない、努力は必ずしも報われない。
そう思っていれば、そのつもりで動けるようになる。
覚悟して生きられるようになるのです。
『3000人のプロに学んだ マインドリセット』三笠書房
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小林正観さんの「当たり前の水準」という話がある。
『仮に、「晴れるのが当たり前だ」というように考えている人が、毎日天気予報を見るとすると、曇りだと「つまらない、いやだ」と思い、雨が降ったら「もっといやだ、とってもいやだ」というレベルになると思います。
逆に、「雨が当たり前」だと思っていると、曇りのときはちょっとうれしく、晴れのときはとてもうれしい、ということになります。
晴れることが当たり前であったならば、曇りや雨はつらいものになり、雨が当たり前ならば、曇りや晴れることはとてもうれしいことであり、感謝になる。
自分の心の原点・水準ラインによって、それほど私たちのとらえるものが一つひとつ変わっていくのです。』
結婚も同じだ。
昔の人は、「私と一緒に苦労してくれないか?」とプロポーズしたという。
苦労が前提だったわけだ。
今の人は、「(今も幸せだけど)君をもっと幸せにするから」とプロポーズする。
つまり、幸せが前提にある。
だから、ちょっとでも苦労すると、話が違う、ということになる。
もし、「俺は昔は苦労したんだ」という人がいたら、ちょっと恥ずかしいかもしれない。
それより、「俺、ゼンゼン苦労なんてしたことない。ボンボンだったから」なんて言った方がカッコいいし、場がなごやかになる。
プロフェッショナルは、「若いときの苦労や努力を苦しいものだと思っていない」。
努力を努力と思わない人でありたい。
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上阪徹氏の心に響く言葉より…
「プロフェッショナル」と呼ばれている人たちに数多く取材する中で、私は彼らにいくつもの共通項があることに気づきました。
そのひとつが、若いときの苦労や努力を苦しいものだと思っていない、ということです。
起業家しかり、メダリストしかり、有名俳優しかり、突き抜けた結果を出している人ほど、陰ではとんでもない努力をしています。
当然ながら、人と同じことをして、そんな結果を出せるわけがありません。
多少の才能があっても、人並み外れた努力をせずに成功できるほど世の中は甘くないのです。
しかし、そんな血の滲むような努力すら、当人は大した努力と思っていませんでした。
並大抵の苦労ではないのに、皆、涼しげな顔をして当時を振り返るのです。
しかし、そんなにストイックに自分を追い込み続けていては、さすがにどこかで息切れを起こしてしまうはず。
そこでいろいろ聞いてみてわかったのが、彼らは自分を喜ばせることがとてもうまい、ということでした。
幸せのハードルが低いと、ちょっとしたことでも幸せに感じられます。
そうやって気持ちを高められれば、次のモチベーションにつなげていくことができるわけです。
一方で、こんなことにも気づきました。
彼らは世の中や人生の不条理さ、不合理さをしっかりと受け止めている、ということです。
人生が思い通りにならないなんて、当たり前のこと。
そもそも世の中は、不条理で不合理で不平等で理不尽で残酷なもの......。
この現実に気づいているからこそ、強くもなれるのです。
「そもそも人生は苦しい。生きていくのは大変だ」。
これが前提になれば、苦しい現実を突きつけられても、「どうして自分ばかりこんなことに?」とはならないのです。
20年以上にわたって芸能界で活躍している著名なタレントに取材したときのこと、長きにわたる活躍の秘訣を「実力1割、運9割」と語っていて驚いたことがあります。
努力して実力を磨くのは当たり前。
その上で、うまくいくかどうかは運が9割だったと言うのです。
才能や実力だけではない。
運が9割です。
何と残酷な話でしょうか。
しかし、これが現実なのだと思います。
歴史小説から現代小説までベストセラーを次々に出している高名な作家に取材したとき、厳しい言葉をもらったことがあります。
「作家になるまで苦労をされたのですね」という私の言葉に、彼は目を見開いて、反論されたのでした。
自分は苦労なんてしていない。
本当の苦労というのは、人間を圧しつぶすほど強烈で、どんなに意志の強い人間もつぶしてしまう。
作家になるまで苦労した、などという安易な物語をねつ造するのは、世の中をナメた考え方だ、と。
彼はこうも言っていました。若い人に言っておきたいのは、すぐに結果を求めようとしないことだ。
今やっていることの結果が、明日出ることはない。
そして、傷つくことを恐れないこと。
そもそも人生は血まみれ、泥まみれ、汗まみれなのだ、と。
人生は必ずしも思い通り、計画通りにいくわけではありません。
むしろ、いかないことのほうが多いかもしれない。
思ってもみないことが起こる。
だから問われてくるのは、そういうときにどう対応できるか、なのです。
私自身、苦しさは当たり前なのだと思えるようになった三十代から、人生が変わりました。
ラクして生きられるなんてあり得ない、努力は必ずしも報われない。
そう思っていれば、そのつもりで動けるようになる。
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小林正観さんの「当たり前の水準」という話がある。
『仮に、「晴れるのが当たり前だ」というように考えている人が、毎日天気予報を見るとすると、曇りだと「つまらない、いやだ」と思い、雨が降ったら「もっといやだ、とってもいやだ」というレベルになると思います。
逆に、「雨が当たり前」だと思っていると、曇りのときはちょっとうれしく、晴れのときはとてもうれしい、ということになります。
晴れることが当たり前であったならば、曇りや雨はつらいものになり、雨が当たり前ならば、曇りや晴れることはとてもうれしいことであり、感謝になる。
自分の心の原点・水準ラインによって、それほど私たちのとらえるものが一つひとつ変わっていくのです。』
結婚も同じだ。
昔の人は、「私と一緒に苦労してくれないか?」とプロポーズしたという。
苦労が前提だったわけだ。
今の人は、「(今も幸せだけど)君をもっと幸せにするから」とプロポーズする。
つまり、幸せが前提にある。
だから、ちょっとでも苦労すると、話が違う、ということになる。
もし、「俺は昔は苦労したんだ」という人がいたら、ちょっと恥ずかしいかもしれない。
それより、「俺、ゼンゼン苦労なんてしたことない。ボンボンだったから」なんて言った方がカッコいいし、場がなごやかになる。
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