
【必ず用あり】5605
藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…
《天我が材(ざい)を生ずる 必ず用(よう)あり》
唐代の詩人・李白の言葉である。
材には才能の意味もあるが、身体の意味もある。
後者の意を採れば、天は自分という人間をこの世に生んだ、天が生んだ自分には必ず用、即ち役割、使命がある、と解釈できる。
せっかく人間としてこの世に生まれてきたのである。
自らの使命に気づき、それを果たさないでは生まれてきた甲斐がない。
李白は己の覚醒をこの詩に託したのだろう。
次に大事なのは、自分の仕事に精いっぱい打ち込むことだ、と多くの先達が教えるところである。
趣味では人間は磨かれない。
人は仕事を通してしか自分を磨くことはできない。
そしてもう一つ大事なことは、「休まず、続ける」ことだろう。
「学問の大禁忌(だいきんき)は作輟(さくてつ)にあり」と吉田松陰はいっている。
学問を修めていく上でもっともよくないのは、やったりやらなかったりすることだ、というのである。
自明の理であろう。
「復(ふく)はそれ天地の心を見るか」と『易経』はいう。
復は繰り返すこと。
繰り返すことは天地の心と同じだ、というのである。
天地は悠久の昔から同じことを繰り返して地球を生み、その地球に単細胞生命を生み、そして人間を生んだ。
この事実が語るように、一つのことを黙々と繰り返していくと、そこに大変な徳力が表れてくる、という教えである。
一道に一生を懸けた人のみが味わえる世界であろう。
将棋の羽生善治氏の言葉は、このことを具現したものとして忘れ難い。
「十年、二十年、三十年、同じ姿勢、同じ情熱を傾けられることが才能だと思う」
自らの用に目覚めた人ならではの言葉である。
心に夢、理想を持ち、それを実現すべく、倦(う)まず弛(たゆ)まず、焦らず 驕(おご)らず、精神を仕事に打ち込んでいく人に、天はその用を知らしめてくれるのではないか、と思うのである。
『小さな修養論4』致知出版
https://amzn.to/3SmQG9C
「自分は何のために生まれてきたのか」とか「自分の使命は何なんだろう」と思うことがある。
天は我々をこの世に生ぜしめた。
だから、その人なりの役割や使命が必ずあるというのだ。
「本当の自分が分からない」「ずっと自分探しをしている」という人がいる。
「本当はもっとすごい自分がいるんじゃないか」、「今の自分は本当の自分ではない」といつまでも自分探しをする。
いつまで探し続けても、本当の自分は見つからない。
なぜなら、本当の自分は、今ここにいる自分だからだ。
そんなことを探すより、目の前のことを淡々とひたむきにやること。
そして、今、与えられた自分の役割を全うすること。
役割は、「人から必要とされる生き方」、「人から喜ばれる生き方」、「目の前の人を大事にする生き方」をすると見えてくる。
また、その役割を見つけたら「休まず、続けること」。
倦(う)まず弛(たゆ)まず、焦らず 驕(おご)らず、まい進すること。
「天我が材(ざい)を生ずる 必ず用(よう)あり」という言葉を胸に刻みたい。
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藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…
《天我が材(ざい)を生ずる 必ず用(よう)あり》
唐代の詩人・李白の言葉である。
材には才能の意味もあるが、身体の意味もある。
後者の意を採れば、天は自分という人間をこの世に生んだ、天が生んだ自分には必ず用、即ち役割、使命がある、と解釈できる。
せっかく人間としてこの世に生まれてきたのである。
自らの使命に気づき、それを果たさないでは生まれてきた甲斐がない。
李白は己の覚醒をこの詩に託したのだろう。
次に大事なのは、自分の仕事に精いっぱい打ち込むことだ、と多くの先達が教えるところである。
趣味では人間は磨かれない。
人は仕事を通してしか自分を磨くことはできない。
そしてもう一つ大事なことは、「休まず、続ける」ことだろう。
「学問の大禁忌(だいきんき)は作輟(さくてつ)にあり」と吉田松陰はいっている。
学問を修めていく上でもっともよくないのは、やったりやらなかったりすることだ、というのである。
自明の理であろう。
「復(ふく)はそれ天地の心を見るか」と『易経』はいう。
復は繰り返すこと。
繰り返すことは天地の心と同じだ、というのである。
天地は悠久の昔から同じことを繰り返して地球を生み、その地球に単細胞生命を生み、そして人間を生んだ。
この事実が語るように、一つのことを黙々と繰り返していくと、そこに大変な徳力が表れてくる、という教えである。
一道に一生を懸けた人のみが味わえる世界であろう。
将棋の羽生善治氏の言葉は、このことを具現したものとして忘れ難い。
「十年、二十年、三十年、同じ姿勢、同じ情熱を傾けられることが才能だと思う」
自らの用に目覚めた人ならではの言葉である。
心に夢、理想を持ち、それを実現すべく、倦(う)まず弛(たゆ)まず、焦らず 驕(おご)らず、精神を仕事に打ち込んでいく人に、天はその用を知らしめてくれるのではないか、と思うのである。
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「自分は何のために生まれてきたのか」とか「自分の使命は何なんだろう」と思うことがある。
天は我々をこの世に生ぜしめた。
だから、その人なりの役割や使命が必ずあるというのだ。
「本当の自分が分からない」「ずっと自分探しをしている」という人がいる。
「本当はもっとすごい自分がいるんじゃないか」、「今の自分は本当の自分ではない」といつまでも自分探しをする。
いつまで探し続けても、本当の自分は見つからない。
なぜなら、本当の自分は、今ここにいる自分だからだ。
そんなことを探すより、目の前のことを淡々とひたむきにやること。
そして、今、与えられた自分の役割を全うすること。
役割は、「人から必要とされる生き方」、「人から喜ばれる生き方」、「目の前の人を大事にする生き方」をすると見えてくる。
また、その役割を見つけたら「休まず、続けること」。
倦(う)まず弛(たゆ)まず、焦らず 驕(おご)らず、まい進すること。
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