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【二度とない人生をどう生きるか】4648
藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…
青年は臨済宗妙心寺派の寺に妹三人の一人息子として生まれた。
小学校で教師に僧職を否定されたこともあったのだろう、青年は寺を継ぐのを嫌い、大学を出るとサラリーマンになった。
その日の気分だけで過ごす若者にとって、サラリーマンは気楽な稼業だった。
ある日、会社の行事で講演会が開かれた。
講師は鎌倉円覚寺管長の朝比奈宗源老師。
青年は寺の出ということで課を代表して講演会に出席する羽目になった。
寺を嫌った自分がなんで坊主の話を聞かにゃならんのか。
気分は乗らない。
青年は会場の片隅に座ると、早速睡魔に襲われた。
と、朦朧とした頭に老師の声が響いてきた。
「人間は仏心の中に生まれ、仏心の中にいて、仏心の中に息を閉じよ」。
青年はムカッとなり、途中で会場を出た。
サラリーマンに話すのに仏教用語なんか使うな、現代語で勝負しろ。
しばらくして、人事担当から電話が入った。
朝比奈老師が貴賓室(きひんしつ)に戻られたから、寺出身のよしみで老師にインタビューせよ、という。
面白い、天下の名僧とやらをからかってやろうじゃないか。
老師と対座した青年は、「私には仏心とやらが全く理解できません」と切り出した。
「お前さんは幾つじゃ」と老師。
「二十五歳です」
「二十五歳か。それじゃ仏心は分からん」
「どうしてですか」
「お前さん、わしの話をどこを向いて聞いておった?」
「先生のお顔を見つめて聞いておりました」
「そうか。わしの面の皮一枚しか見ておらなかったのか。それじゃ仏心は分からん」
「どこを見たら仏心が分かるというのですか」
「そうじゃな。人間の目に見えぬものを見るんじゃ」
「そんなもの、見えるわけがないじゃないですか」。
そう吐き捨てる青年に、老師は「わしはお前さんと話をしているのが退屈じゃ。わしはもう帰るぞ」と立ち上がった。
「なぜ私と話をするのが退屈なんですか。理由を言って下さい」と青年はなおも迫った。
老師は真顔で言った。
「わしにはお前さんが、一生は一回しかないことを意識して生きているとは思えん。そんな若造としゃべる気がせんのじゃ」
「一生は一回しかないなんてことは、小学生だって知ってますよ」
老師は青年を見据えて言った。
「ほう、そうか。それならわしが質問しよう。一生は一回しかないな。もう二度と人間に生まれることはないな」
「はい」
「じゃ、聞くぞ。その二度とない人生をお前さんはどういう命題を持って生きていくのか。お前さんの人生のテーマを言ってみい」。
青年は息が詰まった。
そんなことは考えてもみなかった。
「黙っていては分からん。お前さんの人生のテーマは何だ。さあ、言え。さあ」。
うろたえる青年に老師は続ける。
「一生は一回しかないというのに、二十五歳にもなって人生のテーマがないとはなあ。人生には分かっているものが二つある。生と死だ。その生と死を結ぶ一回をどう生きるか。こんな大切なことを分からんままに生きていていいと思うか」
「思いません」
「だろう。だから古人は、一生一道、使命に燃えて生きろと言った。使命とは、お前さんは一体何に命を使っておるかということじゃ。さあ、言え。言ってみよ」。
老師の気迫に青年はうつむくばかりだった。
数日後、青年は「そうだ、自分は朝比奈老師のような人間になりたい」と決意、禅の一道に自分を投げ出し、以後の人生を禅僧として生き切った。
いまは亡き松原哲明氏の若き日の話である。
生きる力の根源をこの逸話に見る。
二度とない人生をどう生きるのか。
そのテーマを定めた時、そこに生きる力は湧いてくるのである。
『二度とない人生をどう生きるか』致知出版社
https://amzn.to/3wlrDaP
藤尾秀昭氏は、この世に絶対不変の真理が三つあるという。
その一つは、「人は必ず死ぬ」ということ。
二つ目は、「自分の人生は自分しか生きられない」ということ。
三つ目は、「人生は一度限りである」ということだ。
だからこそ…
「人生は今日が始まり、昨日まではリハーサル、今日から本番」(田中真澄)
の気持ちで生きなければならない。
我々は、「人生は二度とない」と知っているにもかかわらず、毎日をフワフワとして生きてしまっている。
昨日も一昨日も、また、今と言うこの一瞬も、過ぎ去ったら最後、二度とは戻らない。
そしてまた、この自分の人生は誰に代わってもらうこともできない。
どんなに愛する我が子が病気で苦しんでいようと、代わることはできない。
つまり、自分の人生は、誰のせいにもできないということだ。
二度とない人生をどういきるのか…
一人ひとりの「人生のテーマ」が問われている。
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藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…
青年は臨済宗妙心寺派の寺に妹三人の一人息子として生まれた。
小学校で教師に僧職を否定されたこともあったのだろう、青年は寺を継ぐのを嫌い、大学を出るとサラリーマンになった。
その日の気分だけで過ごす若者にとって、サラリーマンは気楽な稼業だった。
ある日、会社の行事で講演会が開かれた。
講師は鎌倉円覚寺管長の朝比奈宗源老師。
青年は寺の出ということで課を代表して講演会に出席する羽目になった。
寺を嫌った自分がなんで坊主の話を聞かにゃならんのか。
気分は乗らない。
青年は会場の片隅に座ると、早速睡魔に襲われた。
と、朦朧とした頭に老師の声が響いてきた。
「人間は仏心の中に生まれ、仏心の中にいて、仏心の中に息を閉じよ」。
青年はムカッとなり、途中で会場を出た。
サラリーマンに話すのに仏教用語なんか使うな、現代語で勝負しろ。
しばらくして、人事担当から電話が入った。
朝比奈老師が貴賓室(きひんしつ)に戻られたから、寺出身のよしみで老師にインタビューせよ、という。
面白い、天下の名僧とやらをからかってやろうじゃないか。
老師と対座した青年は、「私には仏心とやらが全く理解できません」と切り出した。
「お前さんは幾つじゃ」と老師。
「二十五歳です」
「二十五歳か。それじゃ仏心は分からん」
「どうしてですか」
「お前さん、わしの話をどこを向いて聞いておった?」
「先生のお顔を見つめて聞いておりました」
「そうか。わしの面の皮一枚しか見ておらなかったのか。それじゃ仏心は分からん」
「どこを見たら仏心が分かるというのですか」
「そうじゃな。人間の目に見えぬものを見るんじゃ」
「そんなもの、見えるわけがないじゃないですか」。
そう吐き捨てる青年に、老師は「わしはお前さんと話をしているのが退屈じゃ。わしはもう帰るぞ」と立ち上がった。
「なぜ私と話をするのが退屈なんですか。理由を言って下さい」と青年はなおも迫った。
老師は真顔で言った。
「わしにはお前さんが、一生は一回しかないことを意識して生きているとは思えん。そんな若造としゃべる気がせんのじゃ」
「一生は一回しかないなんてことは、小学生だって知ってますよ」
老師は青年を見据えて言った。
「ほう、そうか。それならわしが質問しよう。一生は一回しかないな。もう二度と人間に生まれることはないな」
「はい」
「じゃ、聞くぞ。その二度とない人生をお前さんはどういう命題を持って生きていくのか。お前さんの人生のテーマを言ってみい」。
青年は息が詰まった。
そんなことは考えてもみなかった。
「黙っていては分からん。お前さんの人生のテーマは何だ。さあ、言え。さあ」。
うろたえる青年に老師は続ける。
「一生は一回しかないというのに、二十五歳にもなって人生のテーマがないとはなあ。人生には分かっているものが二つある。生と死だ。その生と死を結ぶ一回をどう生きるか。こんな大切なことを分からんままに生きていていいと思うか」
「思いません」
「だろう。だから古人は、一生一道、使命に燃えて生きろと言った。使命とは、お前さんは一体何に命を使っておるかということじゃ。さあ、言え。言ってみよ」。
老師の気迫に青年はうつむくばかりだった。
数日後、青年は「そうだ、自分は朝比奈老師のような人間になりたい」と決意、禅の一道に自分を投げ出し、以後の人生を禅僧として生き切った。
いまは亡き松原哲明氏の若き日の話である。
生きる力の根源をこの逸話に見る。
二度とない人生をどう生きるのか。
そのテーマを定めた時、そこに生きる力は湧いてくるのである。
『二度とない人生をどう生きるか』致知出版社
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藤尾秀昭氏は、この世に絶対不変の真理が三つあるという。
その一つは、「人は必ず死ぬ」ということ。
二つ目は、「自分の人生は自分しか生きられない」ということ。
三つ目は、「人生は一度限りである」ということだ。
だからこそ…
「人生は今日が始まり、昨日まではリハーサル、今日から本番」(田中真澄)
の気持ちで生きなければならない。
我々は、「人生は二度とない」と知っているにもかかわらず、毎日をフワフワとして生きてしまっている。
昨日も一昨日も、また、今と言うこの一瞬も、過ぎ去ったら最後、二度とは戻らない。
そしてまた、この自分の人生は誰に代わってもらうこともできない。
どんなに愛する我が子が病気で苦しんでいようと、代わることはできない。
つまり、自分の人生は、誰のせいにもできないということだ。
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