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写真は…『ゆらゆら~っと ありが東海^^』主催のゆらゆら~のいねさん♪の提供で『なばなの里のイルミネーション☆☆☆』です…(^人^)♪
ありがとうございます…m(__)m☆☆☆
【珠玉のような贈り物】№1201
小林正観さんの心に響く言葉より…
お釈迦さまがまわりの弟子たちに、こんなふうに問いかけたことがあります。
「人間の一生の長さは、どのくらいだと思うか」
問われた弟子たちは口々に、30年とか、50年、70年、120年と答えましたが、お釈迦さまの答えは、次のようなものでした。
「いや、どれも違う。
人間の一生というのは、刹那(せつな)、刹那、この一刹那の長さだけだ」と。
一刹那とは、拍手を一回した中に65刹那入っている、それぐらいの長さだそうです。
その一刹那というのは、つまり一瞬ということですが、この一瞬、一瞬が人生の長さなのだそうです。
私たちは今という時間を、未来をこうすればよいと思いながら生きていることがあります。
でも実は、人を大事にするとか、物を大事にするとか、現象を大事にするというのは、今、目の前にあることを大事にすることにほかなりません。
三日後に来る人を大事にしてあげようと思う人は、その人が目の前に来た時には、また三日後の人を大事にしてあげようと思います。
三日後の人ではなく、今、目の前の人を大事にすること。
ただひたすらその人を大事にしてあげること。
その刹那、刹那に心をこめて生きていくということに尽きます。
お釈迦さまの言われたこの刹那という言葉は、のちに「刹那主義」という言葉を生みました。
辞典で「刹那主義」を調べると、「今がよければ、あとはどうなってもよいと思うこと」という意味で使われていますが、本当の「刹那主義」とは、お釈迦さまが最初に唱えた「刹那」を生きることです。
それは、今この一瞬、一瞬を最大限大事にして生きることにほかなりません。
今、この刹那を大事にしないで、いつ、どこで、誰を大事にするというのでしょう。
考えて見れば、私たちは今、目の前にいる人、目の前にあること以外に、大事にすることはできません。
昨日の人を抱きしめることは出来ないし、明日会う予定の人を、今、抱きしめることはできません。
今、目の前の人を抱きしめること。
その人に最大限、自分の笑顔を向けること。
「私の」持っている言葉を贈り物としてあげることです。
「私の口から出てくる言葉は、全て贈り物でありたい」と良寛和尚は考えていました。
自分は貧しい僧侶であるから、人に贈り物をしてあげたいが、あげるものがない。
だから、せめて言葉を贈り物としよう。
そして、自分の口から出てくる言葉は常に温かいもの、人を優しい気持ちにさせるもの、思いやりに満ちたもの、人を励ますもの、勇気づけるもの、心を安らげるものでありたい。
良寛和尚はそう思い、それを実践しました。
どんなときでも、どんなひどいことをされても、良寛和尚の口から出てくる言葉は、そういう珠玉(しゅぎょく)のような贈り物でした。
『「き・く・あ」の実践』サンマーク文庫
2001年、9月11日のアメリカの同時多発テロのあとに有名になった詩がある。
『最後だとわかっていたら』というものだ。
あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしはあなたを抱きしめてキスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて
抱きしめただろう
・・・・
我々は、この瞬間が最後だとわかっていたら、悔(く)やむことはたくさんある。
もっと優しい言葉をかけておけばよかった、もっと笑顔で接すればよかった、と。
明日もあると思うから、この瞬間を無駄に使ってしまう。
アメリカの9.11や、日本の3.11の震災を見るまでもなく、この世の誰もが、数分後に生きている確かな保証などない。
だからこそ、人には笑顔で接し、言葉は人を喜ばすことに使いたい。
心のこもった優しい言葉、それを愛語という。
口から出てくる言葉すべてが、珠玉のような贈り物、「愛語」でありたい
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小林正観さんの心に響く言葉より…
お釈迦さまがまわりの弟子たちに、こんなふうに問いかけたことがあります。
「人間の一生の長さは、どのくらいだと思うか」
問われた弟子たちは口々に、30年とか、50年、70年、120年と答えましたが、お釈迦さまの答えは、次のようなものでした。
「いや、どれも違う。
人間の一生というのは、刹那(せつな)、刹那、この一刹那の長さだけだ」と。
一刹那とは、拍手を一回した中に65刹那入っている、それぐらいの長さだそうです。
その一刹那というのは、つまり一瞬ということですが、この一瞬、一瞬が人生の長さなのだそうです。
私たちは今という時間を、未来をこうすればよいと思いながら生きていることがあります。
でも実は、人を大事にするとか、物を大事にするとか、現象を大事にするというのは、今、目の前にあることを大事にすることにほかなりません。
三日後に来る人を大事にしてあげようと思う人は、その人が目の前に来た時には、また三日後の人を大事にしてあげようと思います。
三日後の人ではなく、今、目の前の人を大事にすること。
ただひたすらその人を大事にしてあげること。
その刹那、刹那に心をこめて生きていくということに尽きます。
お釈迦さまの言われたこの刹那という言葉は、のちに「刹那主義」という言葉を生みました。
辞典で「刹那主義」を調べると、「今がよければ、あとはどうなってもよいと思うこと」という意味で使われていますが、本当の「刹那主義」とは、お釈迦さまが最初に唱えた「刹那」を生きることです。
それは、今この一瞬、一瞬を最大限大事にして生きることにほかなりません。
今、この刹那を大事にしないで、いつ、どこで、誰を大事にするというのでしょう。
考えて見れば、私たちは今、目の前にいる人、目の前にあること以外に、大事にすることはできません。
昨日の人を抱きしめることは出来ないし、明日会う予定の人を、今、抱きしめることはできません。
今、目の前の人を抱きしめること。
その人に最大限、自分の笑顔を向けること。
「私の」持っている言葉を贈り物としてあげることです。
「私の口から出てくる言葉は、全て贈り物でありたい」と良寛和尚は考えていました。
自分は貧しい僧侶であるから、人に贈り物をしてあげたいが、あげるものがない。
だから、せめて言葉を贈り物としよう。
そして、自分の口から出てくる言葉は常に温かいもの、人を優しい気持ちにさせるもの、思いやりに満ちたもの、人を励ますもの、勇気づけるもの、心を安らげるものでありたい。
良寛和尚はそう思い、それを実践しました。
どんなときでも、どんなひどいことをされても、良寛和尚の口から出てくる言葉は、そういう珠玉(しゅぎょく)のような贈り物でした。
『「き・く・あ」の実践』サンマーク文庫
2001年、9月11日のアメリカの同時多発テロのあとに有名になった詩がある。
『最後だとわかっていたら』というものだ。
あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしはあなたを抱きしめてキスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて
抱きしめただろう
・・・・
我々は、この瞬間が最後だとわかっていたら、悔(く)やむことはたくさんある。
もっと優しい言葉をかけておけばよかった、もっと笑顔で接すればよかった、と。
明日もあると思うから、この瞬間を無駄に使ってしまう。
アメリカの9.11や、日本の3.11の震災を見るまでもなく、この世の誰もが、数分後に生きている確かな保証などない。
だからこそ、人には笑顔で接し、言葉は人を喜ばすことに使いたい。
心のこもった優しい言葉、それを愛語という。
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アトリエ一円さん
一円さん
人の心に灯をともすさん
イネさん
うたしな皆さん
いつもありがとうございます
今日の役に立つ話
よくしゃべる人は 手足が動かず
口べたの人は 手足が軽い
りくつを言う人は 手足が冷たく
だまっている人は 手足が温かい
富んでいる人は 施したがらず
貧しい人は ないものまでやりたがる
よくもまあ
神様は公平におつくりなさる
出典 ぞうきん 河野進先生
この詩
深いような
誰かのお役に立てましたら幸いです
今日の幸せな話
今日、ゆっくりコーヒー
て、以前中学生に頂いたお花がしっかり育っているの
と、小さなお花が咲いているのを眺めていました
少しぼ~としていて、幸せってこういう小さな花にほっこ
りできるこういう心の瞬間をいうのかも
と思ってみたりして、なんだかんだいっても私は幸せだと
思いました
あと、布施をさせて頂いている
写真が届き、すごく綺麗な娘が笑顔で写っていました
瞳がね
笑顔もかわいい
これぞ本当に
では、明日も早いのでこの変で
うたしな皆さん
ありがとうございます
おやすみなさい
そういえば、イネさん
なばなの里すごく綺麗でしょう
感動しますよね~
リフレッシュできてよかったですね
では、本当にこの変で
失礼します
なばなの里 感動です~
なおちゃん
光のシャワーが 体さんに 心地よく
幻想的な イルミネーション~
この瞬間
今 この時
ありがたく~ありがたく~
なおちゃん~
そうだよなぁ~~~~って 読まさせて頂きましたァ
何事もない 今に
この手足さんに
いつも
°・:,。★\( ´_ゝ`)♪ありがとう♪(´ι _` )/★,。・:・°