
【読書は含みのあるいい人間をつくる】4724
曽野綾子氏の心に響く言葉より…
私たちは社会という集団の中で生きていますから、政治的配慮や法律がなければ日常生活も成り立ちません。
しかし最終的には、自分の行動を自分で決めるほかない。
それしか、後悔しない人生を生きる方法はないのです。
だから、それができない人間は、悲劇を生きることになる、と言っても言い過ぎではないでしょう。
にもかかわらず、いざとなると、日本人は平気で決断を他人に委ねてきたところが あります。
戦後の日本の教育は、子供に対して過保護でしたから、子供は親や周囲に甘やかされて、いつの間にか自分では何も決められない人間に育っていく。
学校が何を教えようと、間違っていると思うなら、各家庭でそれを正すべきなのですが、そんな勇気を持っている親はほとんどいない。
そして、何かあると全部、人のせいにするのです。
規則がないと動けなくなってしまった原因の一つは、本を読まなくなったからでしょう。
本には、あらゆる例外的なことが書かれています。
たとえば、私たちは「よく働きなさい、勉強しなさい、努力すればするだけのことはありますよ“なせばなる”ですよ」と教えられる。
しかし、サマセット・モームの『蟻とキリギリス』という小説はまったくその反対のことが人生にはある、という教えを書いています。
秀才で弁護士の兄と、女たらしで博打好きのぐうたらな弟が登場します。
兄はこつこつ働いて手堅く生活し、それなりにいい生活をする。
ところが弟は口がうまくて人に好かれるのをいいことに、みんなから借金したり、金持ちの未亡人をたらしこんだりして、夢のように贅沢な生活を手に入れる。
そんな弟を忌々しく思いながら、兄は何度も弟のしでかした不始末の尻ぬぐいをしてやる。
何しろ信用が第一の弁護士ですから、弟の不始末であっても悪評を立てられると困るわけですね。
『蟻とキリギリス』といえば、夏も働き続けた蟻が冬の暮らしにも困らず、夏に遊びほうけていたキリギリスは蓄えもなく冬には死ぬ、という因果応報の寓話が教訓的真実だと思われているでしょう。
ところが、この遊び人の弟が大金持ちの未亡人と結婚するんです。
そして、相手は間もなくころりと死んで、弟に現金とロンドンの屋敷、田舎の別荘、高級なヨットまで、莫大な遺産を残すという筋です。
その時、兄弟を比べてみると、兄貴はよぼよぼの老人のように見えて、弟のほうがずっと若くて生き生きとして見えました、という物語なんですね。
こんなふうに本の中には、エリートになればいい人生を送れるとは限らないとか、 性悪な女とは別れたほうがいいと言うけれど、どうしても別れられない男の話とか、しがない生活に安住していた市井の人が僥倖にありつくとか、理屈に合わない話がいくらでもある。
読書をすれば、世の中はマニュアル通りに片付くほど単純ではないことがすぐにわかるはずです。
だから読書は、含みのあるいい人間をつくるんですけどね。
『思い通りにいかないから人生は面白い』三笠書房
https://amzn.to/3mGED8Y
読書は、他人の人生を疑似的に生きることができる。
そこに、著者の人生や経験が詰まっているからだ。
ビジネス書なら、著者の起業や創業当時の話、会社の中での人間関係や仕事上の成功談や失敗談など、著者の人生をもう一度経験できる。
小説なら、事件やパニックが起きたときの、心理状態や、そのときの人間関係など、主人公の人生を追体験できる。
多くの人は、波乱万丈の人生を経験することはなく一生を終える。
しかし、大きく成功した経営者や、小説家は、山あり谷ありのジェットコースターのような人生を歩んでいる。
その経験があるからこそ、事業で成功したり、大ヒットの小説を書くことができる。
逆にいうと、多くの凡人は、平々凡々とした人生だからこそ、幸せだということができる。
淡々とした毎日の中に、幸せの種を見つけることができるからだ。
多種多様な経験をし、それを乗り越えてきた人の方が、深みと重みのある人になるのは事実だ。
それは、楽しい経験ばかりではない。
悲惨で、困難で、辛い、絶望的な経験も含めてだ。
だが、誰もがそれを経験できるわけではない。
しかし、読書なら、多くのパラレルワールドを生きることができる。
だからこそ…
読書は含みのあるいい人間をつくることができる。
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曽野綾子氏の心に響く言葉より…
私たちは社会という集団の中で生きていますから、政治的配慮や法律がなければ日常生活も成り立ちません。
しかし最終的には、自分の行動を自分で決めるほかない。
それしか、後悔しない人生を生きる方法はないのです。
だから、それができない人間は、悲劇を生きることになる、と言っても言い過ぎではないでしょう。
にもかかわらず、いざとなると、日本人は平気で決断を他人に委ねてきたところが あります。
戦後の日本の教育は、子供に対して過保護でしたから、子供は親や周囲に甘やかされて、いつの間にか自分では何も決められない人間に育っていく。
学校が何を教えようと、間違っていると思うなら、各家庭でそれを正すべきなのですが、そんな勇気を持っている親はほとんどいない。
そして、何かあると全部、人のせいにするのです。
規則がないと動けなくなってしまった原因の一つは、本を読まなくなったからでしょう。
本には、あらゆる例外的なことが書かれています。
たとえば、私たちは「よく働きなさい、勉強しなさい、努力すればするだけのことはありますよ“なせばなる”ですよ」と教えられる。
しかし、サマセット・モームの『蟻とキリギリス』という小説はまったくその反対のことが人生にはある、という教えを書いています。
秀才で弁護士の兄と、女たらしで博打好きのぐうたらな弟が登場します。
兄はこつこつ働いて手堅く生活し、それなりにいい生活をする。
ところが弟は口がうまくて人に好かれるのをいいことに、みんなから借金したり、金持ちの未亡人をたらしこんだりして、夢のように贅沢な生活を手に入れる。
そんな弟を忌々しく思いながら、兄は何度も弟のしでかした不始末の尻ぬぐいをしてやる。
何しろ信用が第一の弁護士ですから、弟の不始末であっても悪評を立てられると困るわけですね。
『蟻とキリギリス』といえば、夏も働き続けた蟻が冬の暮らしにも困らず、夏に遊びほうけていたキリギリスは蓄えもなく冬には死ぬ、という因果応報の寓話が教訓的真実だと思われているでしょう。
ところが、この遊び人の弟が大金持ちの未亡人と結婚するんです。
そして、相手は間もなくころりと死んで、弟に現金とロンドンの屋敷、田舎の別荘、高級なヨットまで、莫大な遺産を残すという筋です。
その時、兄弟を比べてみると、兄貴はよぼよぼの老人のように見えて、弟のほうがずっと若くて生き生きとして見えました、という物語なんですね。
こんなふうに本の中には、エリートになればいい人生を送れるとは限らないとか、 性悪な女とは別れたほうがいいと言うけれど、どうしても別れられない男の話とか、しがない生活に安住していた市井の人が僥倖にありつくとか、理屈に合わない話がいくらでもある。
読書をすれば、世の中はマニュアル通りに片付くほど単純ではないことがすぐにわかるはずです。
だから読書は、含みのあるいい人間をつくるんですけどね。
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読書は、他人の人生を疑似的に生きることができる。
そこに、著者の人生や経験が詰まっているからだ。
ビジネス書なら、著者の起業や創業当時の話、会社の中での人間関係や仕事上の成功談や失敗談など、著者の人生をもう一度経験できる。
小説なら、事件やパニックが起きたときの、心理状態や、そのときの人間関係など、主人公の人生を追体験できる。
多くの人は、波乱万丈の人生を経験することはなく一生を終える。
しかし、大きく成功した経営者や、小説家は、山あり谷ありのジェットコースターのような人生を歩んでいる。
その経験があるからこそ、事業で成功したり、大ヒットの小説を書くことができる。
逆にいうと、多くの凡人は、平々凡々とした人生だからこそ、幸せだということができる。
淡々とした毎日の中に、幸せの種を見つけることができるからだ。
多種多様な経験をし、それを乗り越えてきた人の方が、深みと重みのある人になるのは事実だ。
それは、楽しい経験ばかりではない。
悲惨で、困難で、辛い、絶望的な経験も含めてだ。
だが、誰もがそれを経験できるわけではない。
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