
「求めているものが与えられるわけではない」というお話です。
_______
たしかにキリストは、
「求めなさい。そうすれば与えられるであろう。
捜しなさい。そうすれば見出すであろう。
叩きなさい。そうすれば開かれるであろう。
だれでも求める者は受け、捜すものは見出し、叩く者は開けてもらえるのである」
とおっしゃっています(ルカ11・9−10)。
でもこの言葉には、求めたそのものが与えられると約束されていませんし、捜したそのものが見つかるとも約束されていません。
むしろ、その後に、
「子どもが魚を求めているのに、魚の代わりに蛇を与える父親が、いったいいるだろうか。
また、卵を求めているのに、さそりを与える者がいるだろうか。
このように、あなたたちは悪い者であっても、自分の子どもたちには、良いものを与えることを知っている。
まして、天の父が、求める者に聖霊をくださらないことがあろうか」(ルカ11・11−13)
と続く言葉があって、求めたものの「代わりに」何かをくださる可能性があることが示唆されています。
祈ることはたいせつなことです。しかしながら「願う前に、その必要とするものを知っておられる」(マタイ6・8)天の父は、人間が願ったことをそのまま叶えることをもって、ご自分の、その人に対する愛の証しとはなさらないようなのです。
なぜならば、私たちはいつも、“欲しいもの”を願っているからであり、神様が私たちに叶えてくださるものは、“必要なもの”だからだと思います。
_______
どんな時でも人は笑顔になれる
渡辺 和子 著
PHP研究所
_______
僕らが欲しいと願ったものを与えてくれるのではないのです。
僕らに必要なものを必要なタイミングで、まるで気付かせるためにわざわざ用意したかのような計らいがあります。
でも、もし自分が親でもそうするでしょ?
子どもが食べたい!と言ったものをすべて出したらお菓子だらけになってしまうかもしれません。
親だったら、子どもが食べたいものもいいけど、子どもに必要な食べ物を出しますよね。
おもちゃやゲームが欲しいと言ったからって、ホイホイ買い与えませんよね?
そのお金に使うのなら、塾やクラブに入れたいと思うのが親の心だと思います。
子どもにとったら、そのときは気づかなくても、大きくなったら分かることです。
そして、これは僕らが神や仏に願ったことも一緒でしょう。
たとえば甲子園で優勝を願ったけど、負けてしまった。
でも自分にとっては、負けたことにより気づく色々なことが、優勝することよりも「必要なこと」だったのです。
営業で契約できるかどうかの瀬戸際で、惜しくも選ばれなかったとして、でもそれは「よりよい商品」や「より成長した自分」を提供できるようにもうちょっと頑張りなさい!って事を教えてくださっているのかもしれません。
もし断られ続けたらどうなるか・・・。
毎回毎回行くたびに改良していって、ひたすら改良しつづけたなら、世界中の誰もが欲しがるものになっているかもしれません。
悲しみも苦しみも汗も涙も、きっと意味がある!
だからそう、それでも前を見て歩いて行くんだ。
__________
今日も最後まで読んで頂きありがとうございます。
心より感謝します。
__________
このメルマガは、
転送、掲載、自由です。
朝礼や飲み会の席、友人や家族との会話で、どんどんご活用いただけたらと思います。
こちらから登録出来ます。
↓ ↓ ↓
http://rush1000.com/form_if.cgi?id=tamafuru&u=a4243f144db0dd26
ブログやメルマガ、フェイスブック等のネタとして使用する際は、以下のような文を入れて頂ければ、断りは要りません。
___
この話は、メルマガ「魂が震える話」で紹介されていました。
メルマガは下記のアドレスから登録できます。
http://rush1000.com/form_if.cgi?id=tamafuru&u=a4243f144db0dd26
___
よろしくお願い致します。
--------------------
発行責任者 「魂が震える話」けい
お問い合わせ kei@tamafuru.com
--------------------
_______
たしかにキリストは、
「求めなさい。そうすれば与えられるであろう。
捜しなさい。そうすれば見出すであろう。
叩きなさい。そうすれば開かれるであろう。
だれでも求める者は受け、捜すものは見出し、叩く者は開けてもらえるのである」
とおっしゃっています(ルカ11・9−10)。
でもこの言葉には、求めたそのものが与えられると約束されていませんし、捜したそのものが見つかるとも約束されていません。
むしろ、その後に、
「子どもが魚を求めているのに、魚の代わりに蛇を与える父親が、いったいいるだろうか。
また、卵を求めているのに、さそりを与える者がいるだろうか。
このように、あなたたちは悪い者であっても、自分の子どもたちには、良いものを与えることを知っている。
まして、天の父が、求める者に聖霊をくださらないことがあろうか」(ルカ11・11−13)
と続く言葉があって、求めたものの「代わりに」何かをくださる可能性があることが示唆されています。
祈ることはたいせつなことです。しかしながら「願う前に、その必要とするものを知っておられる」(マタイ6・8)天の父は、人間が願ったことをそのまま叶えることをもって、ご自分の、その人に対する愛の証しとはなさらないようなのです。
なぜならば、私たちはいつも、“欲しいもの”を願っているからであり、神様が私たちに叶えてくださるものは、“必要なもの”だからだと思います。
_______
どんな時でも人は笑顔になれる
渡辺 和子 著
PHP研究所
_______
僕らが欲しいと願ったものを与えてくれるのではないのです。
僕らに必要なものを必要なタイミングで、まるで気付かせるためにわざわざ用意したかのような計らいがあります。
でも、もし自分が親でもそうするでしょ?
子どもが食べたい!と言ったものをすべて出したらお菓子だらけになってしまうかもしれません。
親だったら、子どもが食べたいものもいいけど、子どもに必要な食べ物を出しますよね。
おもちゃやゲームが欲しいと言ったからって、ホイホイ買い与えませんよね?
そのお金に使うのなら、塾やクラブに入れたいと思うのが親の心だと思います。
子どもにとったら、そのときは気づかなくても、大きくなったら分かることです。
そして、これは僕らが神や仏に願ったことも一緒でしょう。
たとえば甲子園で優勝を願ったけど、負けてしまった。
でも自分にとっては、負けたことにより気づく色々なことが、優勝することよりも「必要なこと」だったのです。
営業で契約できるかどうかの瀬戸際で、惜しくも選ばれなかったとして、でもそれは「よりよい商品」や「より成長した自分」を提供できるようにもうちょっと頑張りなさい!って事を教えてくださっているのかもしれません。
もし断られ続けたらどうなるか・・・。
毎回毎回行くたびに改良していって、ひたすら改良しつづけたなら、世界中の誰もが欲しがるものになっているかもしれません。
悲しみも苦しみも汗も涙も、きっと意味がある!
だからそう、それでも前を見て歩いて行くんだ。
__________
今日も最後まで読んで頂きありがとうございます。
心より感謝します。
__________
このメルマガは、
転送、掲載、自由です。
朝礼や飲み会の席、友人や家族との会話で、どんどんご活用いただけたらと思います。
こちらから登録出来ます。
↓ ↓ ↓
http://rush1000.com/form_if.cgi?id=tamafuru&u=a4243f144db0dd26
ブログやメルマガ、フェイスブック等のネタとして使用する際は、以下のような文を入れて頂ければ、断りは要りません。
___
この話は、メルマガ「魂が震える話」で紹介されていました。
メルマガは下記のアドレスから登録できます。
http://rush1000.com/form_if.cgi?id=tamafuru&u=a4243f144db0dd26
___
よろしくお願い致します。
--------------------
発行責任者 「魂が震える話」けい
お問い合わせ kei@tamafuru.com
--------------------