【他人と比べなければ心が楽になる】2621
浜松医大名誉教授、高田明和氏の心に響く言葉より…
わたしたちはつい自分を他人と比べてしまいます。
比べることで、人がもっていないものを自分がもっていれば優越感をもち、傲慢にもなります。
才能もそうです。
その才能を相手がもっていて、自分になければ悔しい思いになります。
自分がもっていなくて他人がもっているものがあれば、それを欲しがるものなのです。
そして、もっている人を嫉妬し、陰口や悪口をいってその人を地位や幸運からひきずり下ろそうとしたりすることもあります。
つまり「比べる」ことから、あらゆる嫌な感情が生まれるのです。
その結果、心が乱され、楽になれないのです。
比べないために大事なことは、わたしたちは本来、「所有するものは何もない」ということと、「比べている相手が幸せかどうかは決してわからない」という二つのことを知ることです。
つまりわたしたちは実体のないものを比べて、うらやんだり、憎んだり、優越感をもったりしているのです。
わたしたちが自分のものと思っているものは、ほんとうは自分のものではないということです。
高級車に乗れば鼻高々になったりします。
こういう人は自分より高級な車に乗っている人を見れば嫉妬をしたりします。
車などなくても幸せと思っている人は、他人の車がいかに高級であろうと嫉妬などしません。
心に波風が立たないのです。
「比較」の目線をもてば、どうしてもその感覚から抜けることができないのが人間です。
わかっているけれど、やめられないということでしょう。
幸せとは幸せと思っている人の心のことです。
自分のもっていないものをもっている人が、そのために幸せであるとはかぎらないのです。
あなたが運動の才、あるいは芸術的な才がいま一つで、それをもっている人たちをうらやましく思うことがあるかもしれません。
しかし、その人たちはさらに上の人を見て、自分の才能のなさを悔やんでいるかもしれないのです。
歌のうまい歌手をたたえ、その歌を愛し、その歌手を好きになるというのは、わたしたちに起こるファン感情です。
でも、自分に歌の心得があると、「なんだ、大してうまくもないのに歌手になったりして」と思います。
この問題についてある人がこういいました。
「それはあなたにその分野のことに心得があり、知っているからうらやんだり、憎んだりするので、なんでもない人はなんでもないのです」
『人生の目的は「心が楽になること」』新講社
山ほどの金銀財宝を持っていようと、見渡すかぎりの広大や土地や豪華な邸宅があろうと、死んでしまったら、それをあの世には持っていけない。
絶世の美女であろうと、オリンピックの金メダリストであろうと、その美貌(びぼう)や才能もまた、あの世には持っていけない。
つまり、財産も才能も身体も、この世にいる間の一時(いっとき)の借り物であって、けっして、自分のものではない。
また、我々はお金持ちや有名人の表面上の華やかな部分だけをみて、幸せそうでうらやましいと思ってしまう。
しかし、その人たちの隠された裏の部分に、壮絶な苦労や、愛憎劇や、深い悲しみがあったりすることを知らない。
つまり、「比べている相手が幸せかどうかは決してわからない」。
「幸せとは幸せと思っている人の心のこと」
幸せかどうかは、自分が決めること。
他人と比べなければ心が楽になる。
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わたしたちはつい自分を他人と比べてしまいます。
比べることで、人がもっていないものを自分がもっていれば優越感をもち、傲慢にもなります。
才能もそうです。
その才能を相手がもっていて、自分になければ悔しい思いになります。
自分がもっていなくて他人がもっているものがあれば、それを欲しがるものなのです。
そして、もっている人を嫉妬し、陰口や悪口をいってその人を地位や幸運からひきずり下ろそうとしたりすることもあります。
つまり「比べる」ことから、あらゆる嫌な感情が生まれるのです。
その結果、心が乱され、楽になれないのです。
比べないために大事なことは、わたしたちは本来、「所有するものは何もない」ということと、「比べている相手が幸せかどうかは決してわからない」という二つのことを知ることです。
つまりわたしたちは実体のないものを比べて、うらやんだり、憎んだり、優越感をもったりしているのです。
わたしたちが自分のものと思っているものは、ほんとうは自分のものではないということです。
高級車に乗れば鼻高々になったりします。
こういう人は自分より高級な車に乗っている人を見れば嫉妬をしたりします。
車などなくても幸せと思っている人は、他人の車がいかに高級であろうと嫉妬などしません。
心に波風が立たないのです。
「比較」の目線をもてば、どうしてもその感覚から抜けることができないのが人間です。
わかっているけれど、やめられないということでしょう。
幸せとは幸せと思っている人の心のことです。
自分のもっていないものをもっている人が、そのために幸せであるとはかぎらないのです。
あなたが運動の才、あるいは芸術的な才がいま一つで、それをもっている人たちをうらやましく思うことがあるかもしれません。
しかし、その人たちはさらに上の人を見て、自分の才能のなさを悔やんでいるかもしれないのです。
歌のうまい歌手をたたえ、その歌を愛し、その歌手を好きになるというのは、わたしたちに起こるファン感情です。
でも、自分に歌の心得があると、「なんだ、大してうまくもないのに歌手になったりして」と思います。
この問題についてある人がこういいました。
「それはあなたにその分野のことに心得があり、知っているからうらやんだり、憎んだりするので、なんでもない人はなんでもないのです」
『人生の目的は「心が楽になること」』新講社
山ほどの金銀財宝を持っていようと、見渡すかぎりの広大や土地や豪華な邸宅があろうと、死んでしまったら、それをあの世には持っていけない。
絶世の美女であろうと、オリンピックの金メダリストであろうと、その美貌(びぼう)や才能もまた、あの世には持っていけない。
つまり、財産も才能も身体も、この世にいる間の一時(いっとき)の借り物であって、けっして、自分のものではない。
また、我々はお金持ちや有名人の表面上の華やかな部分だけをみて、幸せそうでうらやましいと思ってしまう。
しかし、その人たちの隠された裏の部分に、壮絶な苦労や、愛憎劇や、深い悲しみがあったりすることを知らない。
つまり、「比べている相手が幸せかどうかは決してわからない」。
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