
おはようございます

浜松は秋晴れですが、木枯らし?のような風が吹いています


今日は厚手のコートを着ての出勤となりそうです


12月7日(水)名古屋正観さん追悼会まで、あと2週間少し程となりました
ご参加予定の方で申し込みがこれからの方は、恐れ入りますが連絡を頂けましたら幸いに思います。
はまメルアド
oohiradai135@yahoo.co.jp
服装についてご質問を頂きましたが、ラフな格好でいらして下さいと主催者よりコメントを頂いています
合わせまして、12月20日(火)愛知県豊橋での「お湯かけて忘年会」もお誘いさせて頂きます。
私事で恐縮ですが、正観さんとのご縁を頂きまして大変幸いに思った事を記載させて頂きます






正観さんに出会う前は、現在・過去・未来のうちの「過去と未来」に注目して悩んだり・考えたり・落ち込んだり・不安になったりする自分がいました。
またその場にいない人の事を考えて、不安になり悩んだりする事もありました。
過去・未来・そして現在の話でも今ここにいない人の事であーじゃこーじゃ考えても、結局はなんともなりません。
それをうすうす感じても、繰り返すような自分がいました。
正観さんから「念を入れて生きる、の姿勢だけで宜しい」事を教えて頂きました。
今目の前の人・事に、自分が出来る範囲で心を込めて・誠意を持って→念を入れて対応するだけで良いんだ、との気付きを頂きました。
そして何時も感謝する。全てに感謝の気持ちを常に持つ・・
世間一般では不幸とかショックとか言われる事も、実は自分にとって糧になる有難いものかもしれません。
不幸とかショックとか言われることにも感謝出来たら、生きるのが楽になる事も教えて頂きました。
また、「水のようにおまかせで淡々と生きるのが良いらしい」と教えて頂き頂きました。
出来事に対して良し悪しを自分で判断している←現象は一つであり良いも悪いもありません。
水のようにお任せの姿勢で、そして良いも悪いも判断せず淡々と受け入れながら、全てに感謝して生きるのが良いらしい、との貴重な学びを頂きました。
そのような知識を実践しようとしていると、ふと気がつきますと日々の生活がとても明るくなり、軽くなり、そして楽しくなっていきました。
正観さんのお陰様と、心より感謝しています。
また自分の器の範囲内で念を入れてすればいい、を教えて頂きました。
正観さん豊橋茶話会で、ある方がこんな質問をしました。
「自分の住んでいる所には図書館がありません。その為図書館を作ろうという運動をしていますが、なかなか上手くいきません。どうしたらいいでしょうか」というものです。
正観さんはなんて答えるんだろう、と身を乗り出しました。
正観さんの答えは、(当時の自分にとって)意外なものでした。
「自分の力以上の事をしようとするのは、やめなさい。あなたがお金が沢山あって、自分の一存で図書館が建てれるなら話は別です。そうではないのでしたら、自分で出来ない事をしようと思わない事です」
「自分の器以上の事をしようとするのを、傲慢と言います。自分の器の範囲内でしようとするのを、謙虚と言います」
自分の器を超えた事をしようとして、出来なくて苦しむ時があります。
僕自身の体験ですと、東北の地震・津波災害があった時に「何故僕はそれを事前に察知して皆さんを避難させれなかったのか・・」と落ち込みそうになりました。
でもそれって、エスパーではない普通の人間の僕に出来る訳もない事ですよね。
自分の器以上の事をしようと思っても出来ない・・と考えたらすっと楽になりました。
ご縁を頂いた方の話を伺いますと、自分の器以上の事を求めて・やろうとして、それが出来なくて落ち込む・・系の話を少なからず拝聴する機会があります。
自分の器以上の事をしようとするのは傲慢らしいですよ、の話をさせて頂くと、はっと気がつかれる方もいらっしゃいました。
自分の器の範囲内で「念を入れて生きる」姿勢で良いのでは、と感じました。
僕は以前は、お金を使う事に対してとても慎重でした。
特に、自分に利益が無いと判断すると、少額でもケチルような姿勢がありました。
それはもしかしますと、昔お付き合いした女性にどんどんお金を使い、そしてある自分の預金口座残高が0になった事による「お金のきれ目が縁の切れめ」になった経験からの反動から、そうなったのかもしれません。
ですが「喜ばれると嬉しい」の見方・考え方を正観さんから教えて頂きまして、生き方が変わりました。
人に喜んで頂ける事にお金を使うのでしたらOKなのではないか、との考え方を持つようになったんです。
今では、お誕生日にプレゼントを贈ったり、家に遊びに伺う時等にお土産を用意するのが普通になりました、以前では考えられなかった事です。
そうしているうちに友が増えました。現在多くの方とメールでやり取りをさせて頂いています。
これも正観さんのお陰様と、心より感謝しています。
正観さんの世界を実践しますと自分がうたしになりますし、そしてふと気がつくと周りもうたしになってたりします。
なんて幸せなんだろう!!と嬉しく感じています。
そんな正観さん・皆さんとのご縁を頂けました事を、心より幸いに思います。
自分の人生ってなんて幸運なんだろう(^^)と感じる機会でもあります。
これからも正観さん・皆さんを大切にしながら、うたしに生きていこうと思います。
今後もお世話になりますが、宜しくお願い申し上げます。
今日も職場で、お年寄りと楽しい時間を過ごしてきます。
皆さんもうたしな一日となりますように








浜松は秋晴れですが、木枯らし?のような風が吹いています



今日は厚手のコートを着ての出勤となりそうです



12月7日(水)名古屋正観さん追悼会まで、あと2週間少し程となりました

ご参加予定の方で申し込みがこれからの方は、恐れ入りますが連絡を頂けましたら幸いに思います。
はまメルアド
oohiradai135@yahoo.co.jp
服装についてご質問を頂きましたが、ラフな格好でいらして下さいと主催者よりコメントを頂いています

合わせまして、12月20日(火)愛知県豊橋での「お湯かけて忘年会」もお誘いさせて頂きます。
私事で恐縮ですが、正観さんとのご縁を頂きまして大変幸いに思った事を記載させて頂きます







正観さんに出会う前は、現在・過去・未来のうちの「過去と未来」に注目して悩んだり・考えたり・落ち込んだり・不安になったりする自分がいました。
またその場にいない人の事を考えて、不安になり悩んだりする事もありました。
過去・未来・そして現在の話でも今ここにいない人の事であーじゃこーじゃ考えても、結局はなんともなりません。
それをうすうす感じても、繰り返すような自分がいました。
正観さんから「念を入れて生きる、の姿勢だけで宜しい」事を教えて頂きました。
今目の前の人・事に、自分が出来る範囲で心を込めて・誠意を持って→念を入れて対応するだけで良いんだ、との気付きを頂きました。
そして何時も感謝する。全てに感謝の気持ちを常に持つ・・
世間一般では不幸とかショックとか言われる事も、実は自分にとって糧になる有難いものかもしれません。
不幸とかショックとか言われることにも感謝出来たら、生きるのが楽になる事も教えて頂きました。
また、「水のようにおまかせで淡々と生きるのが良いらしい」と教えて頂き頂きました。
出来事に対して良し悪しを自分で判断している←現象は一つであり良いも悪いもありません。
水のようにお任せの姿勢で、そして良いも悪いも判断せず淡々と受け入れながら、全てに感謝して生きるのが良いらしい、との貴重な学びを頂きました。
そのような知識を実践しようとしていると、ふと気がつきますと日々の生活がとても明るくなり、軽くなり、そして楽しくなっていきました。
正観さんのお陰様と、心より感謝しています。
また自分の器の範囲内で念を入れてすればいい、を教えて頂きました。
正観さん豊橋茶話会で、ある方がこんな質問をしました。
「自分の住んでいる所には図書館がありません。その為図書館を作ろうという運動をしていますが、なかなか上手くいきません。どうしたらいいでしょうか」というものです。
正観さんはなんて答えるんだろう、と身を乗り出しました。
正観さんの答えは、(当時の自分にとって)意外なものでした。
「自分の力以上の事をしようとするのは、やめなさい。あなたがお金が沢山あって、自分の一存で図書館が建てれるなら話は別です。そうではないのでしたら、自分で出来ない事をしようと思わない事です」
「自分の器以上の事をしようとするのを、傲慢と言います。自分の器の範囲内でしようとするのを、謙虚と言います」
自分の器を超えた事をしようとして、出来なくて苦しむ時があります。
僕自身の体験ですと、東北の地震・津波災害があった時に「何故僕はそれを事前に察知して皆さんを避難させれなかったのか・・」と落ち込みそうになりました。
でもそれって、エスパーではない普通の人間の僕に出来る訳もない事ですよね。
自分の器以上の事をしようと思っても出来ない・・と考えたらすっと楽になりました。
ご縁を頂いた方の話を伺いますと、自分の器以上の事を求めて・やろうとして、それが出来なくて落ち込む・・系の話を少なからず拝聴する機会があります。
自分の器以上の事をしようとするのは傲慢らしいですよ、の話をさせて頂くと、はっと気がつかれる方もいらっしゃいました。
自分の器の範囲内で「念を入れて生きる」姿勢で良いのでは、と感じました。
僕は以前は、お金を使う事に対してとても慎重でした。
特に、自分に利益が無いと判断すると、少額でもケチルような姿勢がありました。
それはもしかしますと、昔お付き合いした女性にどんどんお金を使い、そしてある自分の預金口座残高が0になった事による「お金のきれ目が縁の切れめ」になった経験からの反動から、そうなったのかもしれません。
ですが「喜ばれると嬉しい」の見方・考え方を正観さんから教えて頂きまして、生き方が変わりました。
人に喜んで頂ける事にお金を使うのでしたらOKなのではないか、との考え方を持つようになったんです。
今では、お誕生日にプレゼントを贈ったり、家に遊びに伺う時等にお土産を用意するのが普通になりました、以前では考えられなかった事です。
そうしているうちに友が増えました。現在多くの方とメールでやり取りをさせて頂いています。
これも正観さんのお陰様と、心より感謝しています。
正観さんの世界を実践しますと自分がうたしになりますし、そしてふと気がつくと周りもうたしになってたりします。
なんて幸せなんだろう!!と嬉しく感じています。
そんな正観さん・皆さんとのご縁を頂けました事を、心より幸いに思います。
自分の人生ってなんて幸運なんだろう(^^)と感じる機会でもあります。
これからも正観さん・皆さんを大切にしながら、うたしに生きていこうと思います。
今後もお世話になりますが、宜しくお願い申し上げます。
今日も職場で、お年寄りと楽しい時間を過ごしてきます。
皆さんもうたしな一日となりますように







はまちゃんさん
ご縁に感謝しています
お勉強にもなります
そして、なんて正直な発言なんでしょう
はまちゃんさん
カミングアウトに拍手
ありがとうございます
とても参考になりました
実はこれ、僕のじつわなんです
嘘や飾りはしていませんので、説得力がもしかしますとあるかも
生の声はナマナマしくて良い??
有難うございます
待ってました~~O(≧∇≦)o
このお話…
なんていいうたしやきなお話なんでしょう~~
とくに…
一円サンには…
「自分の器以上の事をしようとするのを、傲慢と言います。自分の器の範囲内でしようとするのを、謙虚と言います」
の正観サンの言葉…
グッときますよね~~~
そうだな~~~
やっぱり…自分自身をよく知ることが大切なんですよね…
でなければ…自分自身の器(うつわ)を把握できませんから…
ただ…自分自身の器(うつわ)を把握するためには…
いろんなことをやってみないとわからないこともまた事実…
だから…いろいろやってみたらいいと一円サンは思うんですよね…
そうするとよくわかるから…
あら~~これは自分の器以上のことだわ~~とか…
もう対応しきれないわ~~とか…
やっぱり自分自身をよく知ることが大切なんですよね~…って…
はあ~
「自分の器以上の事をしようとするのを、傲慢と言います。自分の器の範囲内でしようとするのを、謙虚と言います」
いいお言葉ですね…
一円サンもそんな感じでいきたいな~~って…
はまサン…
嬉しい楽しい幸せなお話のご紹介…
どうもありがとうございます…(^人^)
とってもありが太陽サンサンです…◎^∇^◎
なおちゃん~
一円サン~~~
あああ~~ ほんとうにねぇ~~~
イネさんも 今日は 何度も
って つぶやいて おりましたァ~
傲慢さが 頭を出しちゃうから~
そして
ごめんなさい
愛しています
ありがとうございます
そうすると
落ち着いて 肩の力が抜け
いい案が 浮かんだりしてねぇ~
ゆったり~
まったり~
にっこり~
な時間が 戻り
あああ~~
本当に しあわせだなぁ~~~
ありがとうございます
はまちゃん~
そりゃ もぉ~~~
生の声はナマナマしく~
耳元で 囁かれたら~
あああ~~
って
この変で
あがります~~~
>ただ…自分自身の器(うつわ)を把握するためには…
いろんなことをやってみないとわからないこともまた事実…
これを拝見して一円さん流石
良し悪しのあしを経験した方は学びがある・・との話を伺う事があります。
ではあしを味わった機会がない人はだめなのか・・との指摘を頂いた事があります
「正観さんの世界が智慧になっている方でしたら、そんな事はないのではないでしょうか
知識で持っているだけでは、意味がないそうです。
実際に実践出来る・智慧になっているのでしたらOKだと思います。
ですが普通の人間は、なかなか智慧にまでするのは難しい面もあるのが普通との印象があります。
良し・悪しのあしの部分も経験しないと、分からないのかもしれません。
よしもあしも経験して、そして智慧にまで成る事が出来ましたら、素適ですね
今日・明日とたまの週末2連休で、家族と実家に帰ります、親孝行をしてきます
皆さんもうたしな一日となりますように
コメントを拝見して「あああ~~」を見て、感動(官能?)しました
コメントで感動(官能?)させてしまうなんて、凄いな
アガリマース
そうですね~~
経験がない人達がダメなわけではないんですね…
ダメなんて…もともと宇宙にないんですよね…
ダメって…だれかに都合がわるいとか…
だれか困(こま)る人がいるとか…
そういう意味でダメって…
ジャッジして…裁く人がいるだけで…
それをだれかにされる場合もあるし…
自分で自分自身に…
それをしている場合もあるわけですけど…
でも宇宙…神と呼ばれる大いなる存在は
ジャッジしないんです…
いっさい…まったく裁(さば)きません…
ありがたいですよ~~
居心地いいったら…ありゃしません…
小言(こごと)ゼロですから…
だからじつには罰(バチ)というものもありません…
みんな…各自が投げかけているものを受け取っているだけ…
罰(ばち)ではありません…
自分が投げかけてきたものがかえってきているだけ…
罰(ばち)という言い方は…
自分の…思念…言動の責任を…
自分でとらないで…
神さまに責任を押し付けているようなもの…
宇宙…神さまの世界は…すべて自己責任です…
その自己責任の延長線上で…
みんな生まれ変わり…
時代…国…住むところ…家族…性別…
肉体…名前…才能…いろいろに変えながら…
『今…ここ…』に永遠に生きている存在ですから…
みんな…じつにはいろんな…
それはそれはたくさんの経験を重ねてきた存在です…
ただ今の…
この…今生の経験は…
まさに『今』の経験ですから…
まさに役立つところが…
とっても多いかなという意味で尊重されますけど…
あらゆる経験…人…物事…
現象は自分自身を知る手がかりであり…
自分自身という器は…
そうして…自分自身でわかっていくものではないでしょうか…
相手がなければ…
自分自身もわからないのです…
相手がいてくれるから…
自分自身がわかるのです…
あらゆる人…物事…現象…言葉などなど…
それらとの出逢いによって…
より深く自分自身を認識できるようになっていける…
自分自身の器がよくわかるのだと一円サンは思います…
そうでなければ…自分の器はわからない…
それはちょうど…
『鏡(かがみ)』のように…
自分自身というものを…
いろいろにわからせてくれます…
わからなくてもいいですけどね…
だからこそ…みんなに感謝…
あらゆる存在に感謝…
『ありがとう』です…◎^∇^◎
いかに面白おかしい…
楽しい不思議…
神秘…魅力にあふれている存在か…
いかに尊(とうと)くも…
美しくもありながら…
馬鹿げたくだらない存在か…
しょうもない…どうしようもない…
そういうところを…
またどうにもできない…
はかない…かわいそうでありながら…
可愛い…キュートでプリティな存在なんだと…
自分自身をいろいろに知っていくことは…
受け入れていくことは…
とっても…
とっても…嬉しい楽しい幸せなことかなと思います…
一円サンは…
今…ここに…人間に生まれてきてよかったな~~って…
とっても最幸~~ありがたいな~~って…
心から思います…m(__)m…
正観サンの言葉に…
『裁(さば)く者の心は砂漠(さばく)。裁(さば)かない者の心はラクダ(楽だ)。』
という言葉があるんですけどね…
まあ…『ダメダメ』…
あんまり考えないで…言わないで…
裁かないで暮らしたほうが…
自分自身…楽しいし…楽だし…
周りの人達も楽しいし楽だし…
にっこり笑顔ちゃんで…
嬉しい楽しい幸せで…楽に暮らしていられるんじゃないでしょうか…
みんな…投げかけているものが返っていく…
自己責任なんですから…
これは…どんなお偉いサンでも…
どんなにまずしくおろかな人であろうとみんな同じ…
だれも逃れることのできないもの…
いや…誰しも平等に与えられているもの…
誰しも平等にこのありがたい法則に…
守られているともいえます…
裁(さば)きは…
すべてこの法則に任せておけばいい…
お釈迦サンが…
『因果応報(いんがおうほう)』といい…
キリストサンが…
『自分で蒔(ま)いた種は、自分で刈(か)り取らなければならない』と言われたように…
まったくこの宇宙の法則に…
任せておけばよいのです…
『その人の投げかけているものがその人に返っていくのだから』と…
あらあら…
不思議不思議…
嬉しい楽しい幸せ…
いろんなことが明らかになる世の中…
とっても最幸に一円サンは感じます…
にっこりにこにこ…
にこちゃんで…
ありが太陽サンサンです…◎^∇^◎
みなさんに心から感謝いたします…
はまさん…どうもありがとうございます…m(__)m…
はまさんのお話…
とってもうたしやきです…(v^-゜)