AI (ええ愛・Atelier Ichien)

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vol.3727 それは貴い1歩 魂が震える話より 写真はMさんからいただいたプレゼントです(*☻-☻*)あり...

2018年10月27日 | 
おはようございます。


けいです。


そういえば、明日はフルマラソンの大会です。


42.195キロです。


きっと、苦しかったり辛かったりすると思うんですが、それをも楽しんで走ろうと思います♪


人生をマラソンに例える人がよくいますね・・・。


次回の配信で、僕も例えてみようと思います(笑)


さて、今日は「それは貴い1歩」というお話です。


何かをしようと思っても、最初の一歩目を踏み出せないことがあります。


大きな挑戦をしようとする時の一歩目もそうだけど、


電車に乗っていて混雑してきたときに席を譲るとか、


困っていそうな人に「大丈夫ですか」と声を掛けるとか、


「ありがとう」って伝えることとか、


そんな些細かもしれないことでも右足を一歩前に出すことって、勇気がいるかも知れません。


以下の斎藤一人さんのお話に凄く共感しました♪


_______


この前、質問されたの。


一人さんにとっての“勇気”って何ですか?って。


自分にできないことや、苦手なことに積極果敢に挑んでいく、その心のことを勇気だと思っている人が多いけど、一人さんはどう思いますか?って。


一人さんの答え、オレはこう言ったのね。


「勇気」って、人によって違うんだよ、って。


できないこと、苦手なことに積極果敢に挑戦するのも勇気なんだよ。


おそるおそる、一歩、足を出すのも勇気なんだよ。


だから勇気って、何ていうかな。


一歩、足を出すだけで1メートル弱、前に進める人もいるかもわかんないの。


だけど、一歩、足を出したら、ほんの数センチ前に進んだ、という人もいる。


一歩の歩幅は人それぞれ違うんだよ。


みんな違っているのが、いいんだよ。


神は歩幅がどれくらいかを見ているんじゃないんだよ。


神が見ているのは、その人が足を出すかどうか、なんだよね。


1センチでも足を出したら、「それは貴い1歩だね」って、神は言ってくれるよ。


(「斎藤一人 愛語」斎藤一人、みっちゃん先生 著 / マキノ出版より)


_______


誰かにとっては簡単なことかもしれないけれど、その人にとっては頑張った一歩かもしれない。


人見知りの人にしてみたら、「ありがとう」のひと言だって、勇気を出して伝えてくれているのかもしれない。


本好きの人にしてみたら一冊読むのは苦じゃないけど、普段読まない人にとっては一冊読むのだって努力の結晶かもしれない。


1キロ走ることも、余裕で走る人もいれば、それさえも叶わないほど体の自由が効かない人だっています。


だから、こう思うようにします。


自分が頑張っているように、みんなも頑張っている。


みんな言わないだけで、いろんな思いを抱えながら頑張っているのだと思います。


そう思えると、人に対して出てくる言葉は「愛のある言葉」になっていきます。


そして、その「愛のある言葉」を人に対して言っているようで、実は一番聞いているのは“自分自身”です。


結果、自分が一番愛に溢れた人生になっていくのです。


なぜなら、人間の脳は「主語が理解できない」のですから。


相手に対して言った言葉は、いい言葉も悪い言葉もすべて“自分のこと”として受け止めてしまうのです。


また、「愛のある言葉なんか出ないよ」と思う人もいるでしょう。


そんなときは、以前にも紹介しましたが、小林正観さんの以下のお話を思い出してください。


___


宇宙の法則として、「投げかけたものが返ってくる(投げかけないものは返ってこない)」というものがあります。


これはつまり、物理学でいう「作用」「反作用」と同じことで、言葉を換えて言うなら、


「愛すれば愛される」「愛さなければ愛されない」


「感謝すれば感謝される」「感謝しなければ感謝されない」


「嫌えば嫌われる」「嫌わなければ嫌われない」


「憎めば憎まれる」「憎まなければ憎まれない」ということです。


そして、自分に返ってくるものについて「宇宙は倍返し」という方程式があります。


投げたものがまだ返ってこない間に、不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を一切言わなければ、二倍のものが返ってきます。


宇宙は非常に律儀な倍返しなのです。


もし人生の中で、普通であれば不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言ってしまうような出来事が起こったら、「来た!」と思ってください。


ついに私も試験を受けるところまで人格の修練を積んできたのだと。


その試験に「合格」すると、自分にとって楽しい出来事が起き始めるようになっています。


(「神様に好かれる話」小林正観 著 / 三笠書房より)


___


人間の心には、9つのレベルが存在するようです。


1、 一般的に多くの人が嬉しい、楽しいと思う現象について「喜ぶ」ことができる


2、一般的に多くの人が嬉しい、楽しいと思う現象について「幸せ」を感じる


3、一般的に多くの人が嬉しい、楽しいと思う現象について「感謝」ができる


ここまでは「初級」


4、一般的に多くの人が当たり前と思うことについて「喜ぶ」ことができる


5、一般的に多くの人が当たり前と思うことについて「幸せ」を感じる


6、一般的に多くの人が当たり前と思うことについて「感謝」ができる


ここまでが「中級」


7、一般的に多くの人が不幸と思うことについて「喜ぶ」ことができる


8、一般的に多くの人が不幸と思うことについて「幸せ」を感じる


9、一般的に多くの人が不幸と思うことについて「感謝」ができる


これが「上級」


そして、レベルが上がるときに、お試しの現象(事件)が起こるようになっているそうです。


それが前述した「試験」といわれるものです。


給料が増えたら、誰でも喜べますし、感謝します。


いつも当たり前にもらえることにも感謝できるようになったら「中級」です。


給料が思ったように増えるどころか減らされてしまったとしても「感謝」できる人が「上級者」であり、「人格者」といわれます。


体調がいい時に喜べるのは初級、普通の時に喜べるのは中級、悪い時にも感謝できるのが上級。


人がイライラしてしまうようなときにでも、ニコニコしていられる人に、2倍となって返ってくるということです!


つまり、そんな風に思えないときこそ「愛のある言葉」をかけるチャンスだったのです(^^♪


僕もまだまだ未熟ですが、愛のある言葉をかけられる上級者になっていきたいですね♪



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今日も最後まで読んで頂きありがとうございます。

心より感謝します。

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