村を流れる古河(ふるこう)川を見ると丸木橋・土橋・飛渡の区別がなされ、住民達の日常生活上の感覚や意識(地域的社会感情)がよく汲取れる素朴な村絵図だ。「田所(中世の村役場)」「国松内正尺(しょうじゃく=領主の手作地)」と言った地名や呼称には1820年当時この地域に残っていた中世村落の面影が感じられる。新開・楮畑は広島藩の専売制度の反映。
割庄屋亮平宅とあるが、亮平とは竹内氏、 のち亮左衛門のこと。
吉川地区全体の地形を立体的に見ることが出来る。↓
現在は東広島市八本松町吉川・・黒瀬川支流の古河(ふるこう)川流域。吉川村は台地上に立地。古河川河岸には河岸段丘が発達。
広島県立文書館は簡単に済ませたが、これからもいろいろ史料の原本調査が続きそうだ。
参考文献(服部英雄氏)
割庄屋亮平宅とあるが、亮平とは竹内氏、 のち亮左衛門のこと。
現在は東広島市八本松町吉川・・黒瀬川支流の古河(ふるこう)川流域。吉川村は台地上に立地。古河川河岸には河岸段丘が発達。
広島県立文書館は簡単に済ませたが、これからもいろいろ史料の原本調査が続きそうだ。
参考文献(服部英雄氏)