ミラたんは冗長構成である。エンジンを始動するとETC車載機とドラレコがそれぞれ喋る。ディスプレイオーディオが立ち上がったらミラたん本体もボソッと呟く。それぞれが独立にGPS信号を測位しているし、カメラもアシスト機能とドラレコで前後方とも分離している。いずれかに不具合が出たらその穴を埋める様な運用が出来ない冗長構成に何の意味が有るのかと思われるかも知れないが、過渡期にはよくある話と私と一緒に諦めて欲しい。そこら辺がいい感じに統合されているクルマが欲しかったらTeslaを買えば良いのであるが、たまたま偶然折悪しく私の財布と縁が無かったと云う事情も有る。継ぎ足しに継ぎ足しを重ねて冗長になっている現状は決して満足いくものでは無いが、全部盛りの発売を安さが売りの軽自動車業界に期待するのも筋違いであろう。ただ、緊密に連携しろとまでは言わないが、他のデバイスが喋っている時は黙っている程度の配慮はしてもらいたいのである。
情報漏洩に何かと寄与しがちなUSBメモリである。ただ自動車同様、事故が起きるなら使わなければ良いとするには無理が有る。現実解としてデータの暗号化に落ち着くと思うのだが、解除コードを本体にペン書きする剛の者の脆弱性までは防げないし、何より安価なアプリでの暗号化は本気になったハッカーの前では無力である。より抜本的な対策が求められるのだが、「指を舐めて挿入しないと自己破壊するUSBメモリ」と云うエクストリームなソリューションをカナダの技術者が着想したらしい。より正確には指を濡らして抵抗値を下げ、それを計測して条件を満たさなければデータ消去する処理を実行すると云う仕組みである。センサ回路の実証実験には成功した様だが、その日のお肌のシットリ具合によっては誤検知も有り得るので精査は求められよう。利便性と安全性と云う二律背反に挑む姿勢には共感するが、何を食ったらそんなもん思い付くのかと云う困惑も感じるのである。
意見の食い違いが生じたとする。議論し相違を埋める事に応じてくれる相手であれば、トコトン付き合うのが私の流儀である。問題はそう云う遊びを良しとしない人が、一定数存在する点である。妥協点が無いとすれば議論は不毛である。その時には敬して遠ざけるのも私の流儀である。2進数と16進数が戦ったらどっちが強いか、と云う議論は面白いには違いないが、どう考えても相容れるものとは思えないのである。更なる問題として、あっちから距離を詰めてくる場合がある。可能な限り逃げ回るが、万が一追い詰められた場合には傾聴モードに切り替えるのが私の流儀である。相槌を求められたり質問攻めにされたりしても全て「ふーん」で返すのを傾聴と呼ぶのかに就いての議論は受付中であるが、大抵これで何とかなるのでお勧めである。私が自説を鼻高々に論じていると大抵の人が「ふーん」的反応に落ち着いてしまう事からも、有用性は太鼓判であるのが遺憾なのである。
ユニバーサルデザインじゃしょうがない。2024年から流通予定の新日本銀行券であるが、オモチャっぽいと感じる人が多い様である。私もアラビア数字がでっかく印刷されているのを見て人生ゲームを思い出したクチなのであるが、これがUDフォントと云うものらしい。視覚障害だけではなく、数字を見ただけで即座に認識出来ない人も一定数居り、そちら方面では概ね好評の様である。そう云う誰もが問題無く使える工夫は21世紀的で大変宜しいし、何より慣れてくれば額面をいちいち見る人も居なくなる。1年も経てば違和感も解消するだろう。ただ頓に進展したデジタル決済のお陰で、お札に触れる機会が月に数回程度にまで落ち込んでしまったのも事実である。認知機能に不安を感じるお年頃としては、積極的に訓練しないと生涯違和感を抱いた儘になる可能性も否定出来ない。UDを推進するのであれば、その教材となる現物を支給する義務が政府にはあると強く訴えたいのである。
事の是非は今更問うまい。ただ統計では正確性よりも連続性を大事にした方がいいぞ、と云うどうでもいい助言をするに留めたい。今月から病床使用率の算定方法が変わるらしい。これまでは「入院は決まっているけどドタバタ準備中」の人も含めていたが、今後はベッドで横になっている人の数を採用するそうである。より正確には違いないが、もしドタバタしているのが病院側だとしたら、それはそれで危ない兆候の様にも思える。そもそもステージ判定の20%とか50%とかに科学的根拠は多分無い。何となくそこら辺のキリの良い所を選んだに過ぎないと思う。この変更でステージ4相当の都道府県は確かに減ったが、それで感染は収束傾向にあると言う心算なら、戦前に戻ってやり直して来いと言いたい。逼迫しているのは「公立」病院の病床だと云うそもそものそもそもにまで遡るのは不憫なのでやらないが、独り歩きしがちな数字を弄ぶ覚悟が足りない様に見受けられるのである。