メッセージは正しく伝わらなくては意味が無い。これが最後の緊急事態宣言になる様最大限努力すると云う希望的決意表明はどうでもいいから、分かり易い言い方をしてもらいたい。以前から言われているのが軽症・中等症・重症の齟齬である。医者の側が言葉を見直すとは思えないので、報道等でこれらを伝える際、別の表現に置き換えてはどうか。中等症は酸素吸入器が必須で重症は生命維持装置で命を繋いでいる、と云う切羽詰まった状態を端的に言い表せるのが望ましい。私も腹腔鏡手術で数センチの穴を切開した際に酸素吸入のお世話になったが、そんな傷でも脂汗が出る程痛い。重症だと意識すら無くなるから痛い所の騒ぎでは無いのだが、それを正しく伝えたい。棺桶に突っ込んでいる足の本数とか分かり易そうであるが、多分フルボッコにされる。上手い表現は見つからないが、苦しくて死にそうと呟けるなら軽症であると云う共通認識だけは構築しておきたいのである。
余らせるよりはマシか。農林水産省が今年のコメ作付予定をヒアリングした所、主食用米を減産する都道府県が41に上り、増産は0だったそうである。ヒアリングと云う体を取ってはいるが、農水省が需要予測を示してそれとなく生産調整を促しているのだが、そこは本筋では無い。矢張り外食産業が壊滅した影響は大きい様である。それと加工用米や飼料用米への転作もそれとなく促しているので、これまで業務用米を生産していた農家がそちらに移ったと云う事情も有るだろう。ブランド米が次々と登場しているので復活したものとばかり思っていたが、ボリュームゾーンである「毎日食べる普通のコメ」が伸びなければダメなものらしい。それ自体も毎年減少傾向にあるのだから作付を減らさざるを得ないのも仕方ない。ご飯が一番好きだけどパン蕎麦うどんラーメンパスタも食べたいよねと云うのが正直な気持ちであり、飽食の時代に生まれた幸せと不幸せを噛み締めるのである。
感染拡大を抑えるには若い世代の協力が必要です。「じゃあワクチン打ってくれる?」あ、それはもうちょっと待っててね。本当に協力して欲しいと思っているのか、何とも心許ない。ただこればかりは行政に文句を言っても仕方ない話であって、無い袖は振れない。東京大阪の大規模接種会場の予約が再開したが30分程で締め切ったそうで、まだまだ量的に不足しているのが現状である。好対照なのがNY市で、市内在住か通勤する人が接種を受けたら100ドルのプリペイドカードを配布するそうである。職域接種でワクチン廃棄したら企業名を晒すぞと恫喝している我が国との、圧倒的物量差をひしひしと感じる。石油とか小麦とか大豆とかを輸入に依存する限り真の独立は成し得ないのだなあ、と変な方向で納得しているのであるが、それはどうでもいい。無いなら無いなりに創意工夫を凝らさねばならないのであるが、経済を止めない前提に於いては決め手も無いのが現実なのである。
取り敢えず「お祭り気分で気が緩んだ」のを原因に挙げるのを止めようか。ヒューマンエラーが発生した場合、その責を誰かに負わせてオシマイにするのは、失敗に学んだ事にはならない。人間は誰しもウッカリさんだし自分は正しいと云う認知バイアスを持っているし眠かったり発情していたりすると簡単にミスをする。「気を引き締めていれば防げた」と云う言い分は裁判の時には有効だが、問題の発生を未然に防ぐ仕組み作りに於いては、期待してはならない第一のものである。安全装置を何重に巡らせてもそれを楽々と突破して失敗する人は必ず登場するし、それを人類の独創性と呼んでも良いのかも知れないが、ここでは掘り下げない。どうせ失敗するなら同じ事だと対策を立てるのを諦めてしまいたくなる気持ちも分かるが、失敗を克服する事で文明は発展してきたのである。多少の徒労感は覚悟の上で、ゴメンやっちゃったテヘペロに敢然と立ち向かっていきたいのである。
どうせやるなら、その位の勢いは欲しい。ワクチン接種証明書提示の義務化を巡り、仏国では案の定反対デモが多発し、全土で約16万人が参加したそうである。発表したのが主催者か警察かは知らないが、どちらにせよ結構な人数が動いた事には間違いない。イエローベスト運動との繋がりは分からないが、あれも発端は「車の燃料代の値上げ」と云う生活に密接に関わる問題だった事を考え合わせると、何かあったらすぐに街頭に繰り出すフットワークの軽さが仏国流なのかも知れない。経済のグローバル化による格差問題も、根底には有るのだろう。理由はどうあれ、国民が「デモ慣れ」しているのは為政者に対する一定の牽制となっているのは確かである。放置すれば暴徒化して国会議事堂になだれ込み革命政府の樹立を宣言する位の頭数が揃っていないデモは単なるセレモニーに過ぎないのであるが、この国にそう云う気風が根付くには少々内気な人が多い様にも思えるのである。