どうでもいい四百字 第二中間貯蔵施設

あってもなくてもいいもの。

どうでもいい四百字 3677

2023-01-31 17:44:31 | 時間の無駄
相変わらず微妙な情報を小出しする河野大臣である。コンビニのセルフレジで年齢確認が義務付けられている酒・タバコの精算が出来る様になったそうである。「なった」と言っているがローソンのごく一部の店舗では2022年から運転免許証で実証実験が行われており、それがマイナカードも含めた形でガイドラインが纏まった、と云うのが正確な表現だろう。そもそも近所のコンビニにはセルフレジが無いし、結局は運転免許証が有れば事足りる。いずれ統合する方針は決まっているが、達成までのロードマップは出ていなかったと思う。公式の成人認証と云う非常にアドバンテージの大きな仕組みなのに、それを有効活用出来ないのは社会的損失である。署名した証明書をICチップに格納したレプリカカードの発行を許可し、学生証も社員証もポイントカードもそれでOKにするだけで、マイナンバーの恩恵を感じられる機会(住所氏名生年月日記入不要)は格段に増えると思うのである。

どうでもいい四百字 3676

2023-01-30 18:51:42 | 時間の無駄
以って他山の石としたい。SNSでフェイクニュースは正しい情報よりも遥かに広まり易いそうである。2018年のScience誌に掲載された論文に拠れば、Twitterではおよそ6倍の速さで拡散されていたとの調査結果が出ている。更にはフェイクニュースの傾向として新規性が有って目を引き易く、恐怖や怒りと云った負の感情を掻き立てる内容が多かったとの事で、「ううむ、この様な事は断じて許せん(リツイートポチ)」と云った行動に繋がっているのではないかと云う考察がなされていた。ネットの混沌に分け入って「ううむ、この様なバカが居て私は嬉しい(シェアポチ)」が習慣となっている身としては、気を引き締めなければなるまい。ただ湧き上がった感情を他人と共有したい、共感を得たい、場合によってはそんなニュースに目を付ける自分を褒めてあげたいと云う衝動はなかなか抑え難いものである。噓の拡散に加担する気は無いが、己の功名心を完全に制御出来る自信も無いのである。

どうでもいい四百字 3675

2023-01-29 18:26:05 | 時間の無駄
刺す。第一回芥川賞を逃した太宰治が、選考委員の川端康成への恨みを綴った随筆を文藝通信に寄稿した。その中の激情的な一節である。メロスかお前は。しかも文芸界に君臨する邪智暴虐を除かんとする義侠心からではなく、単に賞金が欲しかっただけだからダメ人間度合いが倍増であり、流石と言わざるを得ない。先日、直木賞と共に受賞者が発表された。落選に異を唱える激情的な作家は居なかった様であるが、にも拘わらず人間の内面を抉る様な物語を紡げる辺りが却って恐ろしくもある。ただヨノナカの大多数の人にとって、文学賞は季節の風物詩に過ぎないのが現状である。創作が新聞連載や読本に限られていた時代とは異なり、漫画やアニメや音楽等、表現の手段は段違いである。しかも何時でもダウンロード可能な上に、類似の筋立ては即座にパクリ認定される世知辛さである。太宰も現代に生まれていたら迷惑系Youtuberとして天賦の才を発揮していたかも知れないのである。

どうでもいい四百字 3674

2023-01-28 18:20:29 | 時間の無駄
日本に上陸しなさそうなのが少々残念である。インド工科大学の援助を受けたスタートアップが、同国初のモバイルOS「BharOS」を公開したそうである。ヒンディー語ではインドをBharatと呼ぶらしいから、恐らくそこからの命名だろう。これと前後してインド政府はGoogleがAndroid上での優位性を濫用して競合を排除しておりけしからん、として210億円の罰金を科しており、Google側の上告が最高裁で棄却されている。Appleも似た様な訴えを起こされているので、いずれインド国内で利用出来るスマホは全部BharOS搭載になるのかも知れない。一大市場であるインドから締め出される米国勢にとっては痛手であろうが、割を食うのはアプリ開発者である。Linuxベースだそうだからそれなりの互換性は有ろうが、「然るべき団体による厳密なセキュリティ審査」と云う辺りが引っ掛かる。上前をハネる稼業を国が手掛けると大抵ロクな事にならないのだが、今のインドなら何とかしてしまいそうな勢いも感じるのである。

どうでもいい四百字 3673

2023-01-27 17:09:49 | 時間の無駄
ピザトーストは日本生まれである。昭和39年頃、有楽町の「珈琲館・紅鹿舎」の店主が発案したそうである。本当はピザを出したかったが、焼き窯を造る場所が無かったと云う事情も有った様である。これが好評を博し全国に広まったそうなのだが、少々疑問が有る。ピザ生地を使っていないものにピザの名を冠しても良いのか。ピザの最小構成単位は諸説有るが、生地とトマトソースはマストだろう。その基盤を成す存在を無視してピザを名乗るのは如何なものか。ピザ風かピザ味の略なんだから細かい事をグダグダ言うなと云う意見も有ろうが、寿司の名を冠してシャリを使っていなかったら大抵の日本人は困惑すると思う。寿司トーストと云うのもネタ次第でワンチャン有り得るが、味はともかくその名は何とかして欲しいと思うだろう。ただ異文化の受容と定着の過程では珍しくない話でもあり、美味ければまあいいか、とコンビニのピザまんをホフホフしながら考えるのである。