今が瀬戸際である。先日の読売新聞1面の見出しに、私は戦慄した。医療情報のデジタル共有手段として、「マイナカードを活用」とある。保険証代わりになるんだから、それがどうしたと思われるかも知れないが、デジタル共有の方はどうでもいい。マイナカード。この間抜けな略称がこの儘定着してしまうのか。Google先生に厳密に検索してもらった結果、「マイナカード」と云う単語を用いているのは現状、日経と読売のみの様である。しかしなるべく少ない文字数で情報伝達しなくてはならないのが新聞の宿命である。読売が「五輪」を使ったら各社が挙って追随したのが良い例であり、いずれ更に短縮して「マイカ」とか言い出すに決まっている。そしてマスコットキャラクターはウサギからイカに代わるだろう。この流れを何としても止めなくてはならないのであるが、マイナーでマイナスのイメージが付いて回るマイナで落ち着くよりはマシと云う考え方も無くはないのである。
差別は良くない。全く以ってその通りである。人種国籍性別信教職業信条贔屓のプロ球団等で誰かを貶めてはならない。ただし、「自分との違いを見つけた時、ふとそれが頭に浮かんでしまう事」までは抑制不能である。これは人間の認知機能に関わるので致し方ない。それを態度や言葉で表明しない理性の獲得、及び無知の差別を出来るだけ排除する為の啓蒙が、社会全体として推進される事で実現されるべきである。「私を性的対象と見て欲しいと思った相手だけが、私の望むタイミングにおいて私を性的対象としなければ差別」の様な個人的基準の押し付けは、概ね不毛である。そのコンセンサスを何処に置くかは絶え間なく議論されなくてはならないし、ある程度は自由意志を引っ込める必要もあるだろう。尤もそれが実現出来るのならもう少しヨノナカは平和なのだろうし、理想は理想としてキモイおっさんはこっち見るな、と云う過渡的な措置は容認せざるを得ないのである。
これで電子化(死語)が一気に進む事を望む。政府と会計ソフト大手が協議会を立ち上げ、2023年までに請求データ様式の統一化を目指すらしい。現時点でも会社印が捺された請求書が珍しくないし、頑張っている所はPDF化まではしているかも知れない。ただどちらにせよ自社システムに合わせて人間が再入力している場合が殆どだろう。それが自動化されれば作業量は激減するので、ユーザ企業からは歓迎されるかも知れない。ただ働き方改革の為と云うよりは、インボイス制度が本格化する事に合わせてと云う意味合いの方が強そうである。消費税の正確な転嫁は大切であるが、FAXが現役の中小企業が対応出来るのかが心配である。通信欄に次回の納品予定とか請求業務とは全く無関係の情報を乗せるのが業務フローに組み込まれていない事を祈る。既製品に現行業務を合わせてこそのDXなのだが、そこにカスタマイズを乗っける事で稼いでいる事業者が少なくないのも確かなのである。
まあそうせざるを得ないわな。日立製作所はPCR検査体制を、自社内に立ち上げるらしい。世界中でお仕事をしている会社であり、真っ当な経営判断だと思う。公衆衛生から見れば二度手間以外の何物でもないが、お役所が防疫面からしか検査をしてくれない現状では、致し方無い所である。なお、国が検査数を絞っているとか上級国民を優先しているとか云う風説も流れているが、単にロジスティクスを構築するのが壊滅的にヘッタクソなだけ、と云うのが私の見解である。7月20日になって埼玉県でもPCRセンターなる窓口が出来たが、あくまで「発熱外来」の位置付けで、陰性を証明する為に利用する事は出来ない。自費診療(4万円前後らしい)を謳うクリニックが出てくるのも仕方ないだろう。検査そのものの信頼性の問題が表面化する前に、「湯煙り人間ドックツアー(1泊2日、オプションでPCR検査)」の様な企画を、大手旅行会社主催厚労省協賛でぶち上げて欲しいのである。
今年の中国はつくづく不運である。100年に一度の感染症の震源地となり、それを抑え込んだ矢先に100年に一度の長江の大洪水である。偉大なる共産党がそれも抑え込むなり隠蔽なりするのだろうが、それに続けて蝗害が広まりそうな気配を見せている。パキスタン国境からはサバクトビバッタが、ラオス国境からは黄色角竹バッタが侵入しており、後者は放置すれば雲南省を経て穀倉地帯を直撃する恐れがある。そうなれば100年に一度の食糧難に見舞われるのは必至で、どんな悪い事をしたらそんな報いを受けるのかと同情したくなる。我が国にとっても対岸の火事では無く、世界的な凶作によって穀物価格が上昇すれば、それを餌とする家畜の肉の値段にも影響する。今年の分は今の内に食い溜めしておく事をお勧めする。科学技術がどれだけ進歩しても、大自然の気まぐれに対抗するのは難しい。偉大なる人間様とかふんぞり返ってないで、畏敬の念を以って接したいと思うのである。