行雲流水の如くに

国民皆農のすすめ

江戸時代の人口はだいたい3000万人くらいで、そのうち農民は80~85%。

だから今の人たちの先祖をたどればほとんどが農民だったということになる。

江戸時代の農民は貧しかったという思い込みが刷り込まれているが、案外豊かだったようだ。

それは兼業農家が大半でコメ以外の収入は自由になったからではないか。

 

最近はデジタルばやりで、なんにでもデジタルをつければよくなると思っているらしい。

デジタル農業にすればバラ色の絵が描かれるかというと、とんでもない。

それなりの効果はあるだろうが、「自然を相手にする」、「自然の動きを上手に読んで動く」が中心になる。

かって、今もそうかもしれないが、「植物工場」なるものが喧伝された。

しかし大部分は赤字経営だろうと推測する。

コストゼロの太陽光の恵みをいただく農業が、電気の光で育てたものに負けるわけがない。

 

コロナ過のせいなのか地方に移住したり、家庭菜園に精をだす人が増えているらしい。

いい傾向だと思う。

私も田舎に居を構えてもう15年が過ぎた。

今の生活を「田園の詩的生活」と称して気ままに暮らしている。

 

今年のヤマモミジは例年になくいい色が出ている。

人生若し幽閑の趣きを得ば 何れの処の風烟(ふうえん)か碧山ならざらん  江戸   林 梅洞

風烟ーー風景   碧山ーー隠棲する山、別天地というイメージがある。


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コメント一覧

megii123
楕円と円さん
時代劇ドラマの影響なのか、百姓は悲惨な生活を強いられていたというのは誤っているようですね。
年貢を米で納めた人たちは「百姓」と名乗れましたが、漁師なども魚を売って、そのお金で米を買って年貢を納めていたので百姓と呼ばれていたようです。

過酷な税制(社会保険や健康保険、介護保険を含めると)は、今の方が厳しいのではないかと考えます。
dsnchar1
行雲流水さん>こんにちは。自転車旅で能登の「時国家」を訪ねたことがありました。将に倉庫、海運、金融、造塩・・・など多方面の事業を展開していた豊かで地域の名主の「百姓」でした。年貢をコメ以外のもので納めていた人達は皆「百姓」と括ったそうで、江戸時代は人口の8割くらいを占めていたそうですね。「百姓」イコール「農家」と思いがちですが当時の社会を見誤りますね。
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