行雲流水の如くに

石油危機時の狂乱物価をどう乗り切ったか

1973年(昭和48年)国際石油資本による原油価格値上げ通告により石油製品の高騰が始まった。

この時の物価高騰は、「狂乱物価」といわれ翌年には23%もの上昇になった。

あらゆるものが上昇し、世に喧伝されている「トイレットペーパー騒動」が始まった。

最近ではマスク騒動だが、深刻さはこんなものではなかった。

 

この時の政府は、田中角栄内閣だった。どのように対応したか?

①徹底した節電と省エネ対策そして技術革新。

家庭では不要な電気は使わない。企業は省エネ対策に奔走した。

②公定歩合は引き上げて8%になった。

市中金利は10%程度になり預金金利も8%くらいになった。

中小企業でもこの程度は歯を食いしばって堪えた。最も、もともとのベースは5%くらいだったろうか。

③製品価格への転嫁と給与の引き上げ

当時は平社員だったが物価上昇以上に給与が上がった記憶がある。

 

この時、国民も政府も石油高騰と言う現実から逃げなかった。

特に技術革新がこの後の日本の発展を支えたといえる。

今のように国債発行でガソリン価格や電気代の補助などと言うという痛み止めを打っても問題の先送りだ。

「疾風に勁草を知る心構えの無い国の先行きは危ない。

(強い風が吹いてはじめて、風にも負けぬ強い草を見分けることが出来る)


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コメント一覧

megii123
kenちゃん、こんにちは。
「疾風に勁草を知る」は、私も大好きな言葉です。
本当にこの10年来、何か問題があれば国債を当たり前の如く発行します。而も財源の当てがありません。
経済成長すれば還すことが出来るという考えは甘い。

「たたき上げ」と言う言葉も好きですね。
日本の強さは「現場力」でした。
ところが大手企業でも不正検査が当たり前の時代に。
本当にこの先が心配です。
knsw0805
行雲さん、おはようございます。
「疾風に勁草を知る」素晴らしい言葉ですね。ネット辞書には「困難や試練に直面したときに、はじめてその人の意思の強さや節操の堅固さ、人間としての値打ちがわかることのたとえ」とありました。私はこうした諺を思う時はいつも両親のことを思い出します。私の両親はまさに「疾風に勁草を知る」の人でした。両親とも大学を出てない高卒の平民でしたが、0からたたき上げの人でした。血の滲むような苦労を乗り越えて商売に成功しました。たたき上げの人です。私は行雲さんの「今のように国債発行でガソリン価格や電気代の補助などと言うという痛み止めを打っても問題の先送りだ」に同じような疑問を持っています。公明党先導による国民へのバラマキもそうです。国債発行のみによる企業や国民への対応策が本当の経済政策になるのでしょうか?いつも疑問に思っています。足腰の弱い、立ち上げられない国民になってしまいます。
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