《 空想から科学へ 》 奧菜主義革命~ 革命的奥菜主義者同盟非公然ブログ

奥菜恵さんは、精神と肉体の両方から無駄なものをすべて削ぎ落とし、必死に舞台に立っていた

このお写真がいちばん好きだぁ~~あ

2009年01月13日 20時08分19秒 | Weblog
朝の通勤途中に
「うっひょ~~!水たまりに、こんな分厚い氷が張っているよ。こんなの何年ぶりかなぁ。」
と独り言しながら通り過ぎた水たまりの氷が、
夕方、帰宅途中に見ても朝のまんまだった。
きっと明日の朝もあのまんまなんだろうな、
などと思わせる極寒の今日、唯一私の心を温めてくれたのは、今日が

「月刊 奧菜恵 FINAL 」

の発売日だったという事実だけさ。
気温的にも、仕事的にも、厳しく寒い一日だったなぁ……。

さっそく「少女×娼婦×人形」の中身を拝見。

そこに写し出されている
花も美しいのではありますが、着物もきらびやかなのではありますが、白いレースも神々しいのではありますが、ユリの花もかぐわしいのではありますが、黒の下着も他を圧倒するのではありますが、首輪・鎖もドッキリさせられるのではありますが、足袋のエロチックさといったら、私、言葉を失うんですが、

それらのすべてに、奧菜恵さんの内面から溢れ出ているものが負けていない。
いや、優っている。
単に優っているだけではなく、調和と引き上げが成立している。
そこにあったのは、写真家と女優の格闘ありのままですな。
もう、痕にはぺんぺん草も生えなかろうという凄まじいぶつかり合いが目に浮かぶんです。

きっと、10代のアイドル写真集に求めるべきものをここに求めて、
トンチンカンな批評をする輩も出るでしょうが、
そういう宇下人言は相手にしなくていい。
奧菜恵さんの内面から湧き出るものを見よ!である。

ただし、私の「宇下人言」という言葉の用い方は完璧なまでに間違っている。
「松平定信」の“定信”を二つに割って成立した書名、
という説明がしばらく理解できなかったが、
「人」は二つをひとつにまとめたんだ、と気づいたらよくわかった。
「ウ+下+人=定」 「人+言=信」


年末の東武カルチュアスクールで馬桜師から紹介された
「江戸吉原図聚」(中公文庫)三谷一馬 は定価が
1524円+税、もするので買うのをためらっていたが、
かの給付金を、自分を耕すために使おう、
(飛騨牛でも食べようか、と発言した大臣がいたことに、腰を抜かすほど驚いた。べつに、飛騨牛の営業妨害を意図している訳じゃないんだけどさ)
と思って1月4日に池袋の文庫専門書店「大地屋書店」に行き、
なぜか、中公文庫版の「渋江抽斎」(森鷗外)が視野に入り、買ってしまった。
岩波版しかなければスルーしたと思うのだが……。

もちろん、江戸吉原図聚も買った上でだ。
「いいやん、給付金が出るんだもの」
それとは別の機会に、アマゾンで買った本3冊もあれをあてにしている。
馬桜師の講義を聴いて、
自分の、仕事への投資はなんとレベルの低いことかと恥じ、
自分を耕さなくちゃ、と切に思いましてね。
2次補正予算が通らなかったら、どうしましょう。
でもあんな愚策、やっぱり通らない方がお国のため、国民のためかなぁ。
やっぱりそうかなぁ。

で、「渋江抽斎」1月5日より読み始めまして、
なかなかページが進まなかったんですが、本日読了。
感想
「なぜ、鷗外はこれを書いたんだろう?」
ちっとも解りませんでした。
たぶん1万人が読んで、そのうちの5人すら「読んだ甲斐がありました」とは言わないんじゃない?
そういうものを、実に、調査に心血注いで鷗外は書いている。
もっと解らないこと。
「なぜ、私はこの作品を読み通してしまったんだろう?」

自分を耕せましたか、だって?
都会のアスファルトに鍬を入れる試みに終始した、
と言っても過言ではない。