《 空想から科学へ 》 奧菜主義革命~ 革命的奥菜主義者同盟非公然ブログ

奥菜恵さんは、精神と肉体の両方から無駄なものをすべて削ぎ落とし、必死に舞台に立っていた

いづくにも梅だにあらば我とせよたとひ社はありとなしとも 菅公

2009年01月24日 14時50分00秒 | Weblog
『渋江抽斎』を読了した後、
岩波文庫版の『醒睡笑』に挑んでいます。
どうせすぐに投げ出してしまうだろう、と思っていましたが、
なかなかどうして、『渋江抽斎』で読書態度に忍耐力というか、持久力というか、
そういうスタミナが得られて、ちゃんと読み続けております。
1日20ページ程度の、「おい、読み終える頃には梅雨が明けてんぞ!」
てなペースではありますが。(上)260ページのあたりを彷徨いております。

[信心深い人が、山寺に参詣して、ある僧坊に宿を借り、本堂の観音堂にお籠もりをしたときに、老僧と対面し、「この寺中に住む法師はどれほどいますか。その中で志が堅く、お勤めを怠ることがない方はいらっしゃいますか」などこまごまと尋ねると、老僧は答えて、「この寺にそういう者は我が親子と、隣の坊主の聟と舅」]

これは今日読んだ話の中で最高傑作だと思えたもの。訳は自前で、誤訳はご容赦。
一読しただけでは意味が通じず、首をひねって、ようやく分かりました。
分かったら、じわじわっと寄せてくる笑いが快感でした。
通じにくくなっているおかしみでしょうね。


デアスゴティーニ「落語100選」前号(7)のDVDが
「ついにやっちまったい!」的なレベルの低さで、
今号(8)が「真田小僧」「粗忽の釘」と来たでしょ。
「寄席に行けば『もう嫌ぁ~~~っ!』てほど聴かされる演目をカップリングするかね?
 このシリーズもついに、というか、もう息切れかよ!」
と正直思いましたね。

ところが、視聴してみたら、このDVDはお値打ちよ!
途中で切らずに、通しで演じたものが収録されていますから。

「真田小僧」“六連銭”の話に突入し、「薩摩に落ちたか……」のところまで。
聴いたことがないわけではありませんが、2、3回あるだけでした。

「粗忽の釘」も、前の長屋の場面は定席ではあまりやりませんし、
(自分の落語経験値の低さを暴露してしまいますが、)
中気の父が出てくる落は、今回初めて聴きました。
「中気」は、今の時代、言葉狩りの対象ですものね(エイトックちゃん、一発変換してくれませんもの)。

で、次号(9)は喬太郎版「粗忽長屋」でしょ。
期待ふくらみます。
喬太郎師の「粗忽長屋」は一度しか聴いたことがないんですが(ホント、俺の経験値って低い!)、
一般的な落ちではないサゲ方だったんで、ビックリした記憶があるんです。
ビックリしたために、その落ちが記憶に残っていない。
もう一度あれを聴きたい!
だから期待がふくらんでいるんです。
もし「抱いてるオレは、いったい誰なんだろう」だったら、

火をつけるよ!


革命心に。

だからこの記事を「ネット上の脅迫事件」扱いしないでね、お願いだから!
まだ塀の向こうには行きたくない。


「落語百選」が勢いを盛り返してくると、私は嬉しい悲鳴を上げざるを得ない。
「キャ~~ァ~~!」

失礼しました。
「落語百選」と「昭和の名人」と鈴々舎馬桜師の落語講座が今、同じ週なんですよ。
前二つが隔週火曜日(今は第1・3週に巡って来ている)、講座が第1・3水曜日。
第5火曜日があると、この巡り合わせは崩れる(はず)なのですが、
それは3月31日までない(はず)。
それまで、第1週・第3週は大変な騒ぎだ。
馬桜師の講義だって、聴いておしまいじゃない。
手が不自由だから、汚いメモしかとれないもんだから、
後日ワープロ打ちの作業をしている。
宿題が出るときもある。
はやく3月31日が来て欲しい。

第5週が「百選」「名人」休刊だったら、

火をつけるよ!


革命心に!