《 空想から科学へ 》 奧菜主義革命~ 革命的奥菜主義者同盟非公然ブログ

奥菜恵さんは、精神と肉体の両方から無駄なものをすべて削ぎ落とし、必死に舞台に立っていた

ヒカリエで劇団☆新感線を観てきました

2013年01月02日 22時15分58秒 | Weblog
生意気言って済みませんが、演技、歌、大道具、小道具、証明演出、ストーリー、紙吹雪等の全てがこれまでの新感線範囲内だった、平凡な内容と感じました。
こうやれば常連さんには受けるんだよ、て感じが随所に。
良くも悪くも、え、これが新感線?って、はじけた衝撃があまりにも少なかった。
アウェー感のない客席に慣れて、裸の王様になりつつあるのではないかという心配がよぎりました。

さらに納得いかないのが、闘いの構図に共感できなかったこと。
天保の改革への反抗の意味もこめてヒロインを打ち上げ花火で月に帰そうとする純国産エンジニアたちの意地とか、
親の世代の偉大さに何度も押しつぶされそうになりながらも、親世代に望まぬ闘いを挑み、その果てに親世代が完遂できなかった魔鏡の封印を成し遂げようとする七本の芒の成長とか(再び会わないことが俺たちの絆だ、なんて泣けたよねぇ)、
肩入れしたくなるような構図がヒーロー・ヒロインの側に無かったような気がするのです。
五右衛門や明智君が命投げ出す覚悟で闘ったのはなんのためだったのか、今イチ共感できなかった。堺の自治を守ると言われても、堺の自治=「金、及び金で雇った武力で世を動かすこと」みたいな描かれ方だったし、秀吉、三成との関係も煮え切らないし。

空海の隠したお宝も、その役割がピンと来ない。
空海のお宝より『大江戸ロケット』の「ストロンチューム」とか『七芒星』の「天涯魔鏡」の方が役割はっきりしていたし。

奥菜恵さんがご出演した作品をひいきの引き倒しで持ち上げようって訳ではないんです。
奥菜さん出演以外の作品でこれまで観たのは「アテルイ」「阿修羅の瞳」「髑髏城の七人」「SHIRO」「吉原御免状」とそれなりにあるんです。全て五つ☆と評価します。みんな好きなんですよ。でも今回の芝居は……

話のスケールを大きくしすぎたうえに、歌を多くしすぎたため、役者さんのほとんどが、芝居の流れを乱さないことに徹していたような感じで、はじけていなかった。楽しそうじゃなかった。はじけているように見えるやりとりも、これまで観てきた過去のアドリブに似ているものが実に多かったし。

話のスケールが大きいから、勢い説明が必要となるが、それを歌でやるというのは無茶。『大江戸』では森奈みはるさんを説明役として上手に用いていたのに。

準主役級を平等に扱いすぎ。だから話を広げなければならなくなる。
赤字に出来ない東急側の要望ですかね。満員にしたいから準主役級があんなに多くなって、話が冗漫になった、とかないかな。
あんな劇場を使っていなければ、もっと良い芝居になったと思う節がいくつか感じられる。

保坂エマちゃん、育たないのか、育てられないのか、育っているけどやらせないのか、事情に疎い私には分からないんだけど、『七芒星』から8年くらい経つというのに、あの時よりも脇役感を強めている。アラフォーなのに、いくら何でもかわいそうだ。


喋りすぎて敵を作っちまったな、猫の目お銀みたいに。