昨日から三木進一著の『夢追いびと 等伯』(能登印刷出版部)を読んでいる。
ちょっと書き慣れていないことを伺わせる文体に、違和感を感じつつも、
珍しい小説が手に入ったので、むしろ夢中になって読み進めてきた。
しかし、
あとちょっとで読了という、226ページに来て、
先を読む気をほぼ失った。
本法寺の住職日通が次のような言葉を
長谷川等伯にかける場面が出てきたからである。
「いやいや、全ては仏の御加護によるもの、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
そしてこの言葉に等伯はなんの抵抗も感じずに会話を続けていく。
三木さん、本法寺は日通は何宗ですか?
等伯の実家、養家の菩提寺は何宗でしたか?
日通はたとえ焼かれた鍋を被せられても「南無阿弥陀仏」とは言わないと思うんですがね。
これは「仏教をあまり知らないから」なんて言い訳は通らない、
イロハのことだと思うんですが。
それともこの場面、
何か深読みをしなければならないところなんですかね。
ちょっと書き慣れていないことを伺わせる文体に、違和感を感じつつも、
珍しい小説が手に入ったので、むしろ夢中になって読み進めてきた。
しかし、
あとちょっとで読了という、226ページに来て、
先を読む気をほぼ失った。
本法寺の住職日通が次のような言葉を
長谷川等伯にかける場面が出てきたからである。
「いやいや、全ては仏の御加護によるもの、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
そしてこの言葉に等伯はなんの抵抗も感じずに会話を続けていく。
三木さん、本法寺は日通は何宗ですか?
等伯の実家、養家の菩提寺は何宗でしたか?
日通はたとえ焼かれた鍋を被せられても「南無阿弥陀仏」とは言わないと思うんですがね。
これは「仏教をあまり知らないから」なんて言い訳は通らない、
イロハのことだと思うんですが。
それともこの場面、
何か深読みをしなければならないところなんですかね。