これは、にわか長谷川等伯ファンにとっては、とっても嬉しいニュースです。
どうか受賞作に選ばれますように。
等伯 〈上〉 - 安部龍太郎
都に出て天下一の絵師になる――武家から養家に出された能登の絵仏師・長谷川信春の強い想いが、戦国の世にあって次々と悲劇を呼ぶ。身近な者の死、戦乱の殺戮……それでも真実を見るのが絵師。その焦熱の道はどこへ。
長谷川等伯ファンならとっくにお読みのことと思いますので、
等伯ファンではない方にこそ是非ともお勧めしたい。
私、この作品を読んだあと、戦国期から近世までの日本の画家を主人公にした歴史小説に病みつきとなり、あれこれと読破しております。
一昨日までは、辻邦生さんの『嵯峨野明月記』をちょっと苦労しながら読んでおりました。
芸術家、特に画家を主人公にした時代小説がこんなにもおもしろかったなんて。時代小説というと、武将(やその妻)を主人公にした時代小説についつい偏りがちになったしまいませんか。
だから、安部龍太郎さんの『等伯』お勧めしたいのです。関係者ではございませんが。
引き出しが増えれば見っけもの。引き出しの中身ぐらいは楽々増えること間違いなし。
なぜかと言えば、芸術家の主人公って、武将の主人公みたいなデジタルチックで紋切り型の生き方、というより描かれ方をしていません。だから、感情移入していて、しらけることが少ない。
ここのところが、私が愛読する理由のひとつです。
しかし!小説の主人公:長谷川等伯には、どうしてもその作家にとって都合のいい役割を演じなければならない事情があるわけで、
この作品を読んだあとで、別の作品の、別の作家にとって都合のいい等伯像に触れ、中和する必要があると思います。
そういう作品としては、葉室鱗さんの『乾山晩愁』所収の「等伯慕影」が最適ではないかと思います。
萩 耳火介 さんの『松林図屏風』も、澤田ふじ子さんの『闇の絵巻』も好作品ですが、
いちばん良い中和作用があったのは「等伯慕影」でしたし、
私の偏見では等伯はこういう人物だったのではないかと思っているのです。
「等伯慕影」は、
“ハスが泥水の中から美しい花を咲かせるように、泥の中を生きた芸術家でないと、等伯の絵は描けない”
と思いたがる私を満足させてくれたのです。
また妙蓮寺さんの屏風絵を載せてしまいますが、
杉の葉の葉脈の描き方、皆さんは、いや、あなたはどう思われます?
近代以前の細密描写と言えば、伊藤若冲の右に出る画家はいないと思いますが、
この作品のこの部分だけに限れば、
大幅に右に出ていると、等伯さんの肩を持ちたい。