以前りくまるの担任が、
産休で年度途中で交代になったことがあり。
保護者でお金出し合って、
お礼の手紙とお祝いを贈るって話が出た。
でも私、参加しなかった。
多分クラスで我が家だけだったと思う。
その時の私の言い分は
職場でもないのに?
年度途中でいなくなるのに?
復帰したらまたお祝いあげんの??
…やる必要ないと思うから、
うちはやんない。
大した金額でもないのに、
色んな理由考えて、
色んな人に話して、
自分の正当性を主張してた。
で、ふと思い出した。
他の担任が結婚した時は、ちゃんと参加したわ、と。
なぜ今回はこんなに嫌がる…?
と考えたら、
ただ嫌いな担任だったから
嫌いな人を祝いたくない。
その感情が悪いことだと思っていたので、
最もらしい理由を探して、
賛同者を作りたかったんですね。
私は間違ってない!って、
他人ではなく、
自分に言い訳したかったんです。
自分の正当性を主張したい時って、
やっぱり何か理由があるんだよね。
黒い部分に蓋をしたい、
自分の正しさを認めさせたら勝者、
異論が認められたら
自分の今まで信じてたものが壊れる…とか。
そんなこと、しなくていいんです。
担任が嫌いだから祝いません。
そう思った自分を、
「そうかそうか、それもいいんじゃない?」って認めてあげる。
私が認めてあげれば、
他人が分かってくれなくたって大丈夫。
だから、すんごく楽なんです。
どんな自分も受け止める。
幸せな人生はそこから。
ノートに書いて、
自分の感情や価値観を浮き彫りにしたら、
それでほとんどお終いと言ってもいい。らしい。
まひろは
「ノートに書いて解決するもの」と思っていたんだけど、
解決までしてもしなくても、
「自分はすでに幸せだからいい」んだよね。
そう言われれば、そうだ。
解決したければ、「できる」。
しなくていいなら、「このままでいい」。
それも選んでいい。
選んだら、ちゃんとそっちの方向に物事が動き出す。
こういう書き方がスピリチュアルっぽく聞こえてしまうんだけど、
他に書き方がないから仕方ない(笑)。
私、第六感とか皆無ですからね