ニュージーランドだったかどこだか忘れたけれど、
ネットニュースとはフェイクニュースである
と、小学生の頃から教育するらしい。
なぜならば、
それは彼らが伝えたいように書かれたものだから。
事実だけを伝えてはいない、ということだそう。
それは然りだなと思った私。
だってコロナですごく思うもの。
マスコミって煽るばっかり。
煽って煽って、
食いつく人を増やしたい。
そして国や政府に、どーするんだ!と噛み付きたい。
それこそが正義なんだと言わんばかりに。
実態は、
噛み付く材料を提供して、
仲間を増やしたい、それだけなのにな。
その愚行にみんな気付こうよ。
これ、言葉にしてくれた人がいて。
簡単にまとめると。
人は「どう見るか?」を決めてから、
その理由を探す。
突如奪われた学校生活
なくなった卒業式
3/1から3/31まで、
友達と会えないという異例の学校生活が確かにあったのに、
「奪われた」にしたい。
少人数でやった寂しい卒業式が確かにあったのに、
「なくなった」にしたい。
寂しさも悔しさも、確かにあったのに。
「奪われた!」
「なくなった!」にする。
そうしたら、
「お前らのせいだ!」
「どうにかしろ!」と、矛先を別のものに向けることができるから。
人は、どう見るかを先に決めている。
その後に、その理由を探す。
この一連の流れを、
ごく当たり前にやっている。
そこに疑いを持つことができるか?
それによって、
パニックになったり、
ヒステリックになったり、
これはチャンスと思ったり、
快適に安心して過ごせたり、
気持ちに差が出る。
振り込め詐欺でも、
簡単に信じてしまう脳の流れは同じ。
私はこう見たい。
が先。
理由は後から探して、あえて拾う。
先に自分で決めてるから、他人に指摘されてもそれを無視できる。
新型コロナがもたらした今のこの状況は、
あなたはどう生きますか?
と、人類一人一人が問われてる気がしてならない。
そう、それも私が決めているんだ。
だから、その理由を探して取りにいっている。
それは会社や周囲が快適だからでしょ?という勘違い指摘はホントに多いんだけど、
状況が快適だから落ち着いているんじゃなくて、
快適に過ごすと決めたから、
状況がそれに見合ってきたんだよ。
順番が逆なの。
どう生きたいのか?
今、どう過ごしたいのか?
周りのせいにしてないで、
自分で決めてるものをちゃんと見なよ。
そこに疑いを持ちなよ。