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傘寿の青春賦 人生の黄金期を自分らしく あるがままに生きる幸喜幸齢者 感謝と幸せの生きがい日記 頑爺/肇&K

東海道歩き旅(19)吉田宿から二川宿、元白須賀宿、新居宿へ

2020年02月22日 | 江戸・東海道57次歩き旅(大坂城から江戸城へ)

2月22日(土)7/15℃ 

東海道歩き旅(19)
吉田宿から二川宿、元白須賀宿、新居宿へ
 
 吉田宿は明治になって豊橋と改名され、吉田の名前は使われなくなった。 吉田藩の城下町でここは江戸・東海道が設定された当初より重要な宿場であった。 戦時中の空襲などで当時の面影はないものの街道筋を辿ることは出来る。 
 
 電車の走る札木町にはいまも「問屋場跡」碑が残る。 吉田宿の本陣跡碑もある その向かいには本陣跡碑も立つ  更にその向かいに脇本陣跡碑もありこの地は江戸宿場の重要施設が集まっていたようだ
 
 今の札木通りは広いが、当時の吉田宿の道は狭く、でも賑わっていたようで当時は旅籠屋が多く立ち並び、客引きの飯盛り女の声が飛び交っていたようだ 
 
 二川宿へ向かう  二川宿の成立は慶長6年だが、1644年に二川村と大岩村と合わせて宿となり発展した。 東海道線の二川駅と二川宿が離れていたことから宿はそのまま残り、今も旧道の両側には古い家並みが残る
 
 白須賀宿へ向かう  ここは遠江の国の西の宿場で海岸近くにあったが、1707年の大地震と津波の為大きな被害を受けたため、その後潮見坂の上の高台の現地に移された  白菅とも書き、須賀とは眞砂の集まるという意味。 ひっそりとした家並みを残す
 
 町中はひっそりとしていて人影もない  やがて突然の大雨・・ しかも土砂降りとなり、浜風が暴風雨となり一気に服はずぶ濡れとなった  雨宿りする所もなく為すが儘といった感じで大慌て!  慌てて取り出した折りたたみ傘は5分も持たず骨が折れズタズタで使えなくなった  
(*後で雨の中であれこれ弄ってスマホの操作を誤り、それまで取った今日の数百枚の写真が再生不能で消えてしまった)
 
 雨の中、元白須賀宿から山を下るとき突然視界が開け太平洋の荒波が見えた  荒れた海もきれいだ!  沢山写真を撮ったのに後で見たらみんな消えてしまっていた  残念! 途中の旧坂道を下っている時、下から自転車を押しながら登ってくるセーラー服の高校生がいた  目が合った瞬間零れるような笑顔で元気に挨拶してくれた  この上の集落の子供だろうが雨に濡れながら心も笑顔になった
 
 新居宿へ向かう  突然の暴風雨は少し収まったものの雨風は相変わらず叩きつけるが兎に角歩くしか方法がないのだ  人も車も通らない  
新居宿は東海道・江戸の日本橋から数えて31番宿だ  当時は度重なる地震や津波で被害を受け、関所も宿場も落ち着いたのは1707年との事 
 
 何とか自分の宿に滑り込んだものの体はびしょ濡れで冷たく、熱い風呂にじっくりと入り、服はコインランドリーの世話になった
幸い風邪を引かなくてよかったが、何とも貴重な写真がみんな消えてしまい残念至極! 眠れなかった。
 
スマホとアップルウオッチの今日の万歩計データは、31.2km 43339歩を記録していた。
 
(*翌日の新居宿は見事な快晴! 昨日の暴風雨と写真喪失が悔やまれる)
 
  
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