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八十路の青春賦 人生の黄金期を自分らしく あるがままに生きる幸喜幸齢者 感謝と幸せの生きがい日記 頑爺/肇&K

姓とN君

2023年07月11日 | 夏・八十路の青春賦
7月11日(火)26/33℃   
姓とN君

小学校の同級会に参加すると今も N君 と呼ばれる。  高等学校の友達は今も昔の苗字の方が呼びやすそうだ。


大学時代の友達もまだ時々 N君 と呼ぶ。

雨の中、近くの関西大学国際交流センター宿舎へ帰る外人学生たち

N君が父親の仕事の関係で信州・安曇野から大阪へ転校してきたのは小学校2年生の時。
なぜ自分だけが家族と苗字が違うのか、両親の説明はなかった。
 
友達の家に遊びに行くと、友達の親からなぜ両親や弟さんと姓が違うのと何度も聞かれたが自分にもわからない。  なぜ なぜ? 


そのたびにN君は N家 の祖母や親族のいる故郷の家に帰りたかった。


父親は二人の弟には厳しい躾をしていたが、N君 に手を挙げたことは一度もなかった。 逆に弟達が羨ましかった。  母親は優しかったが、父親に従属的だった。


もうどうでもよくなっていた20歳の誕生日に父親から呼ばれ「今日から成人になるから家族と同じ K姓 になるかどうか自分で決めていい」と


初めて苗字の事にふれたが、もう田舎の祖母らはこの世にいなかった。


聞けば私の実父は私が2歳の時、戦争から帰り結核で死んだ。 その同じ病棟で実父の同僚だったクリスチャンの人と母親は再婚した。


聞けば N家 の長男で一人息子で跡取りだったので、田舎の家屋・田畑を守る為、いつかはお前を N家 へ戻さねばと思っていたからだと聞いた。


子供の N君 はそんな事より家族みんなと同じ苗字でいたかった。

 
昔から女性は嫁に行くと姓が変わり、それが自然だと周りも本人も受け入れてきた。


だが、昔のしきたりや慣習から長男や跡取りは姓について特別の思いがあったようだ。 今でこそ違うようだが、姓による疎外感に翻弄された子供の心は計り知れない。



先日小学校の同じクラスの同級会が開かれ16名が参加した。各地から駆け付けてくれたが、卒業後66年振りに会う人もいて驚く。
何という感謝と喜びと幸せなひと時だったか分からない。

いつしか K君  N君 に戻っていた😂 


*写真はいずれも雨の千里南公園の散歩道から 九州は大変な豪雨のようで心配です。


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