身の程知らずの独り言

音楽的にも文学的にもダメダメな♀が、身の程もわきまえず、好き勝手な戯言(主に、中島みゆきさん)を記しております。

三代目桂米朝師匠、ありがとうございました。

2015-03-22 01:01:00 | 独り言&本
三代目桂米朝師匠が、お亡くなりになりました。

89歳でした。

ここ何年か、入退院を繰り返されていたようなので、案じていたのですが、、、。

三代目桂米朝師匠は、
五代目桂文枝師匠、
六代目笑福亭松鶴師匠、
三代目桂春團治師匠
とともに、『上方落語四天王』と呼ばれ、戦後上方落語衰退期を支えた方です。

『上方落語四天王』のことは、
"好きなモノ その2―上方落語―"の
故五代目桂文枝師匠を取り上げた時にも書きましたが、悲しいことに、故人のほうが多くなってしまいました。

春團治師匠も
『残された四天王も僕ひとりになり、寂しい思いでいっぱい』
と仰っておられます。

戦後、十人程度に減った噺家を現在の二百人近い数にまで増やした師匠方の中心が、『上方落語四天王』でした。

その中で、最大が米朝一門です。

月亭一門や、桂枝雀一門や、桂ざこば一門等々、バラエティ豊かな弟子や孫弟子、曾孫弟子の集まる一門の中心が、米朝師匠でした。

更に、噺家を増やすだけでなく、生真面目で、研究熱心で学者肌の師匠は、数多くの埋もれていた上方落語の演目も復活させました。

演じるだけでなく、文献として残し、継承することにも情熱を注がれました。

そんな著作の中で"読む上方落語"と言っていいのが、ちくま文庫の
「上方落語 桂米朝コレクション」
だと思います。

「上方落語 桂米朝コレクション」
(ちくま文庫 全8巻)
「第一巻 四季折々 百年目 他」
「第二巻 奇想天外 地獄八景亡戯 他」
「第三巻 愛憎模様 たちぎれ線香 他」
「第四巻 商売繁盛 はてなの茶碗 他」
「第五巻 怪異霊験 猫の忠信 他」
「第六巻 事件発生 らくだ 他」
「第七巻 芸道百般 軒づけ 他」
「第八巻 美味礼賛 饅頭こわい 他」

これこそ、上方落語の教科書だと思います。

頭の中で米朝師匠が、様々な噺を語って下さってるような楽しい錯覚に陥ります。
(ただの妄想でありますf(^_^;)

あまりの可笑しさに、読みながら吹き出すこともあるので、通勤時の読書は、要注意ですが。(^^;

故桂枝雀師匠の
『上方落語 桂枝雀爆笑コレクション』(ちくま文庫 全5集)
とともに、私の宝本です。

その米朝師匠の語り口は、上品で"はんなり"してるのに、モッチャリしてなくて、シャッキリしてるというか、切れ味鋭く立て板に水の小気味良さなんです。

声に関しては、
五代目桂文枝師匠の高音の魅力、
三代目桂春團治師匠の低音の魅力、
六代目笑福亭松鶴師匠の愛敬あるどら声、
と比べると、米朝師匠のお声は、一言で表現しにくいお声なんです。

高さは中庸で、優しく聞きやすく、なめらかで、上品というのが、私のイメージです。

しかし、噺に入ると登場人物に合わせて、自由自在に声を変え、語り分ける七色の声なんです。

その七色の声と、細かい言葉使い、計算され尽くした細かい仕草で現す人物のメリハリの見事さは、流石です。

大袈裟な仕草や、極端な声の強弱をつけなくても、自然と人物の語り分けが判るところが、聴いていて心地良いんです。

語り分けの見事さに、テンポの良さが相まって、グイグイ噺に引き込まれていくのが、快感なんです。

悲しいですが、追悼番組で、この快感を味あわせて頂きます。

大ネタ「地獄八景亡者戯」もあります。

長らく「近日来演 桂米朝」の看板がかかっていた、地獄の寄席に
「本日来演 桂米朝」
の大看板がかかるんでしょうね。

と、思っていたら、息子さんの桂米團治さんも、早速寄席で、
「地獄八景亡者戯」前半で、ネタにされていたみたいですね。

米朝師匠自身も、あちらの寄席で同じようにご自身のことをネタに、この大ネタを演じられてるんじゃないでしょうかね。

ただ、米朝師匠のことなので、歴代の大師匠連から埋もれた噺を聞き出しているかもしれませんね。

米朝師匠、多くの噺を教えて頂き、ありがとうございました。

心を豊かにしていただいて、本当に感謝してます、ありがとうございました。


読んで頂いた皆様、ありがとうございました。(^^)

では、また(^-^)


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「ちいさいモモちゃん」、ありがとうございました。

2015-03-15 22:14:00 | 独り言&本
突然ですが、作家の松谷みよ子先生がご逝去されました。

お亡くなりになられたのは、2月28日で、89歳でした。

"好きなモノ1・本"で、記したように、大好きな作家のお一人です。

いや、大好き以上の存在でした。

松谷先生の
「ちいさいモモちゃん」は、私の読書の原点だからです。

「ちいさいモモちゃん」は、小さい私に、本を読むことの面白さを教えてくれました。

「ちいさいモモちゃん」は、
『モモちゃんが うまれたとき』から始まります。

モモちゃんが生まれた夜、ジャガイモさんと、ニンジンさんと、タマネギさんが、カレー粉の袋をしょって、やってきます。

次に、チューインガムが、最後に、ソフトクリームが、お祝いに訪れます。

しかし、まだモモちゃんは、小さくて食べられません。

だから、ママに、
「大きくなったらね」、と言われて、みんな帰っていきます。

この第1話から、引き込まれて、夢中になって読んでました。

たぶん、小学校の1年か2年の図書の時間のことです。

現実の世界に、不思議が、ごく自然に混じり合う物語が、空想癖の強かった私に、ぴったり合ったんだと思います。

(今は、妄想癖が強いおばさんになってますが。(笑))

この「ちいさいモモちゃん」は、シリーズとなっています。

「ちいさいモモちゃん」(1964)から始まって、
「モモちゃんとプー」(1974)、
「モモちゃんとアカネちゃん」(1974)、
「ちいさいアカネちゃん」(1978)、
「アカネちゃんとお客さんパパ」(1983)、
と書き継がれ、
「アカネちゃんのなみだの海」(1992)
で、完結します。
(初版年)

シリーズ完結まで、28年です。

「アカネちゃんのなみだの海」のあとがきで、松谷先生が記していますが、このシリーズは、先生と二人の娘さんの物語です。

だから、様々な現実世界の問題が、出てきます。

「モモちゃんとアカネちゃん」では、
一番生々しい現実である離婚も、真っ正面から描かれています。

ただし、先に書いたように、現実世界に不思議を溶け込ませながら。

『ママのところへ死神がきたこと』
夜遅くに帰ってくるのは、パパの靴だけという日が続きます。

ママは、靴にご飯を食べさせたり、お風呂がわいてますよ、と言うのはバカげていると、嘆きます。

しかし、飼い猫のプーに、靴はご飯を食べないし、お風呂にも入らないのに、なぜ起きて待っているのかと問われると、
「今日の晩、もし靴だけじゃないパパが帰ってきて、お腹すいてたら、困るでしょ」と答えるのです。

そんなママの所に、死神が度々現れるようになります。

『森のおばあさん』
死んだら子供たちが困る、何とかして死神をおっぱらわなければ、とママは森のおばあさんに相談に行きます。

森のおばあさんは、ママに、植え木鉢を見せて、鉢の2本の枯れかけた木が、パパとママだと告げます。

そして、2本の木を別々の鉢に植え替えると、ママの木は育ち、パパの木は歩き出しました。

パパは歩く木で、ママは育つ木。

小さな植え木鉢の中で、根っ子がからまりあって枯れてしまわぬように、根分けをしなくてはいけないと、息ができるようにしなくてはいけない、とママは決意します。

次の物語は、
『おわかれ』
となり、ママとモモちゃん、アカネちゃん、プーのお引っ越しになります。

久しぶりに、読み返しながら、プーとママの会話でウルウルきてしまいました。(TT)

「アカネちゃんのなみだの海」のあとがきで、
「コツコツと靴だけが帰ってくる話も、死神も、歩く木も、私にとっての真実でした」
と記されています。

松谷先生の
「自伝 じょうちゃん」
に、このあたりの具体的なことが、書かれています。

この
「自伝 じょうちゃん」
の解説で綿矢りさ先生は、影のある不思議と表現して、怖かったと書かれています。

影のある不思議は、松谷先生の本でしか読んだことがないとも書かれています。

確かに、私も児童文学で影のある不思議は、読んだことがないです。

ただ、綿矢先生と違って、中学生の時に読んだので、怖いとは思いませんでした。

児童文学で、こう言うことを書いてもいいんだ、と驚くと同時に、子供を対等に見てくれているんだと感動したのを思い出しました。

それに、"上手い表現をするなあ"と生意気にも感心したことも、思い出しました。

それで、このコツコツ歩く靴や歩く木が、今でも強烈に焼き付いているんです。

訃報を聞いて、30年以上前に買った、
講談社児童文学創作シリーズ「ちいさいモモちゃん」を本棚から出して読み始めました。

そして、シリーズを1冊ずつ。

やはり、今読んでも面白いし、考えさせられる話も多いんです。

改めて、この本が読書の面白さを教えてくれたんだと思いました。

「ちいさいモモちゃん」ありがとう。

松谷みよ子先生、ありがとうございました。

安らかにお眠り下さい。

お読み頂いて、ありがとうございました。(^^)

では、また(^-^)



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本の話3「小暮写眞館」宮部みゆき

2014-05-12 00:31:20 | 独り言&本
"本の話2"に続いて、
『小暮写眞館』(宮部みゆき著)
の解説(兵庫慎司)を読んで。

インタビューの引用から、宮部女史が現代物(犯罪物)を書くことで、いかにダメージを受けるかを知り、驚いたことを"本の話2"で書きました。

そして近年、それを克服するためのエネルギーの充電に時間がかかることも。

さらに宮部女史は、同じように現代人の暗部と向き合っている、若い作家をうらやむのと同時に、心配していらっしゃることも印象的でした。

「あんまりがんばりすぎないで。いつか私みたいにリバウンドが来ちゃうかもしれないよ」と。

但し、ダメージはあくまで現代物で、平行して書いている時代小説では、凄い事件を書いても割り切れると語っておられます。

そして、『楽園』から3年の充電期間を経た『小暮写眞館』には、精神を消耗するような犯罪はでてきません。

本人が、書いていて楽しかったと語るように、読んでいて楽しくなる、読み心地(?)の良い作品に仕上がっています。

ただし、読み心地がいいだけの甘い話ではありません。

そのことを兵庫氏は、二つのメインテーマを挙げて語っておられますが、それは内容に関わるので、小説をお読み下さい。

内容に関わらないことで、この解説から、もうひとつ。

兵庫氏が最後に付け加えた「あとひとつだけ」について。

氏曰く、「ものすごく優れた表現物の中にはごく稀に、『一緒に終わりを目指したくなくなる』『ずっと一緒にいたくなる、だから時間を止めてほしくなる』ものがある」と。

これを読んで、「同じように感じる人がいるんだ」と感動したんです。

本当に入り込んで、物語の中にいることが気持ち良い時に、ずっと読んでいたい、読み終わることが切ないと思える時があるんです。

そこまでの感覚になる小説は、多くはないのですが、そういう小説は、読み終えてすぐに読み返すんです。

ゆっくり、噛み締めるように。

兵庫氏が、読後もう一度読み返すかは不明ですが、ずっと読んでいたいという感覚に陥ることが、特殊なことではないと解って、嬉しかったんです。

ただし、「宮部みゆきの新しい本を読み始める時、僕はいつも、ちょっとだけ憂鬱になる。読み始めたら、いつか読み終えてしまうからだ」という兵庫氏のように、読む前からそういう気になることは、どんなに好き作家でもないのですが。

反対に初めて読む作家の作品で、そんな切なく幸せな読書体験をして、その後その作家の作品を追っていくことが多いように思います。

また、長くなってしまいました。

お読みいただき、ありがとうございます。(^^)

では、また(^-^)












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本の話2「小暮写眞館」宮部みゆき

2014-05-11 00:12:14 | 独り言&本
"本の話1"の最後に書いた、
兵庫慎司氏の解説(『小暮写眞館』)について。

兵庫慎司氏については、全く存じあげなかったので、検索したところ、株式会社ロッキング・オンのウェブ事業部の方みたいです。

ちなみに、株式会社ロッキング・オンと言えば"みゆきさんの言葉選び、その8"などで引用したインタビュー記事が載った「ROCKIN ' ON Japan 」を出版してる会社みたいです。

同じ"みゆきさん"(宮部みゆき女史)ですが、この解説は、中島みゆきさんとは全く関係ありませんので、念のため。

さて、解説の内容ですが、季刊総合誌「SIGHT 」2010年秋号掲載の宮部みゆきインタビューを引用しながら、『小暮写眞館』がどのような状況(主に作者の精神的状況)で書かれたか、そしてどのような意味を持つ作品かを語っておられます。

まず興味深かったのは、作者の精神的状況です。

この『小暮写眞館』は、2010年に「講談社創業100周年記念出版 書き下ろし100冊」という企画の一冊であり、現代物のエンタメ系小説としては、2007年刊行の『楽園』(文春文庫)以来3年ぶりの作品だったようです。

なぜ3年空いたのか、インタビューで、宮部みゆき女史は、
「現代小説で、犯罪とか、つらい出来事をずっと書いてきて、そのことに疲れてしまったんです。」、「一番のターニングポイントは、やはり『模倣犯』(新潮文庫全5巻)でした。物語の中で、本当にむごいことをたくさんやりましたし。書き終わった後、半年くらい、かなりの疲労と自己嫌悪の中にいたんです。」、「あそこでつぶれてしまっていたんじゃないかというくらい、すごく落ち込みました。」等々、その後遺症として、重い犯罪物が書けなくなっていること、間を空けないと、エネルギーが充電できなくなっていることを語っておられます。

『模倣犯』は、楽しくとは言えなくとも、全5巻をほぼイッキ読みしたほど面白かったので、ここまで消耗されていたとは意外でした。

確かに、怖くなったと、半分も読めずに断念した友人もいました。

陰惨な事件が続きますし、もし自分が、と思った瞬間、真っ暗な気持ちになったこともあります。

しかし、宮部女史の読みやすく、テンポのいい文章のほうが、陰惨な気分を上回り、読書の楽しみに浸ってしまうんです。

また、同じ読みやすく、テンポのいい文章でも、『小暮写眞館』の軽妙洒脱な筆致とは、また違う迫力ある文章に、最終頁まで釘付けにされたような記憶があります。

もし私だったら、これだけの作品を書き上げることができれば、「どんなもんだい」とふんぞり反ってるような気がするんです。

(仮定の話です。気を悪くされた宮部ファンの方、スミマセンm(__)m)

また、6年後(連載は、5年後)とはいえ、続編(?)とも言える『楽園』を上梓されていたこともあって、精神的ダメージを受けていらっしゃるなんて、この解説を読むまで、全く考えたこともなかったので、本当に驚きました。

インタビューで、書いている時は、怖いものを素手で扱っていることに、あまり気付かず、重金属の中毒のように、後からじわじわ効いてくるというようなことも仰っていますから、『模倣犯』の後遺症と対峙するのに、5年(連載開始)の時間がいったんでしょうね。

創作し表現し、それで生活の糧を得るということが、どれほど自分自身を消耗することか、改めて教えられた気がします。

正に、"身を削る"ですよね。

プロ、それも一流のプロは、やはり凄いです。

これは、中島のみゆきさんにも通じるように思います。
(やっぱり、そこかい!(笑))

う~ん、この解説についてもう少し、というか、まだ書きたいことの半分以下なんですが、思いの外長々と書いてしまったので、続きは"本の話3"として、改めて書きます。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。(^^)

では、また(^-^)








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本の話1「小暮写眞館」宮部みゆき

2014-05-08 00:44:07 | 独り言&本
「小暮写眞館」宮部みゆき著
(講談社文庫)

積ん読状態の本の中から、一番ボリューム(上下刊合計約1000頁)がある「小暮写眞館」を読了ました。

ブログを書くようになってからは、みゆきさんの本を読み返すことは多くなったんですが、それ以外の読書が億劫になってしまって、積ん読本の山が高く聳え立っています。

少しずつ、楽しみながら消化していかなければ。(笑)

宮部みゆき様、楽しませていただきました。
ありがとうございます。(^^)

"夜会と高村作品"では、色々書きましたが、やはり、宮部みゆき女史は文句なく面白いです。

読みやすく、リズミカルな文章が、心を落ち着けて物語の中に誘ってくれます。

そのリズムに身を委ねながら、時に憤り、拳を握り絞め、時に目頭を熱くし、物語に魅せられ、翻弄される心地よさ。

そして、ほろ苦いけど、清々しい読後感。

ひとり興奮して、未読の方には意味不明な文章になってしまい、スミマセンm(__)m。

簡単なストーリーを少し。

主人公は、高一の花ちゃんこと花菱英一。

その花ちゃんの両親が、酔狂な人物で、写眞館付き古家を新居として購入するんです。

必要最低限のリフォームだけ施し、スタジオ設備やウインドウ、古い写眞館の看板もそのままに住み始めます。

まるで、小暮写眞館が再開したかのように。

そして、その誤解が花ちゃんの元に一枚の心霊写真を運んでくるのです。

その謎を解こうと調査を始める花ちゃんと、関わりあい、繋がっていく人々。

無事心霊写真の謎は解けたのですが、この謎を解いたことにより、さらなる心霊写真が持ち込まれることになります。

さらに、もう一枚。

花ちゃんは、写真の謎を追うとともに、小学生の弟、光(ピカ)の罪悪感や徐々に心が通っていく垣本順子の苦悩、更に両親と花ちゃん本人の封印した過去にも対峙していくことになります。

と、言うような筋書きです。
(私の拙い説明では、解りにくいでしょうが。(--;))

主人公の花ちゃんが、良いです。

親友のテンコこと店子力(タナコツトム)に、"自分のことは、「まあ、いいけどさ」で済ますのに、理屈で解ける謎は、途端になあなあができなくなる、それはピカちゃんに答えられるようにじゃないか"、と言うようなことを言われるシーンがあります。

その時は、花ちゃん自身、ピンときてないのですが、物語を読み進めると、このお兄ちゃん気質がよく出てて、いじらしくなってきます。

また、一見気分屋のテンコもいい味を出しています。

いじらしいと言えば、弟のピカも
抱きしめたくなるほどですよ。

小学生とは思えぬほどの賢さと強かさを持っている半面、子供ならではの真っ直ぐな思い込みで、自分を追い込んでいく様に、涙腺を刺激されました。

昔から、宮部女史は子供を描かせたら本当に上手いと評されてきましたし、実際そうだと思ってきましたが、この作品はその思いをいっそう強くしてくれました。

心霊写真と言う謎はありますが、この作品には、酷い暴力や圧倒的な悪意はでてきません。

ほどよく善良な人々と自分の信念に忠実な人々。

自覚のない悪意が、周囲に撒き散らす理不尽な言動。

そんな、どこにでもあることが、物語の底流にあります。

そして、その理不尽と真っ向勝負をかけるシーンで、溜飲を下げました。

この清々しさが、少しほろ苦い読後感をほの暖かいものにしてくれているように思います。

本当に、登場人物一人一人に愛を感じる作品です。

兵庫慎司氏(ロッキング・オン)の解説のことも書こうと思っていたのですが、それはまたの機会にいたします。

長々とお読みいただき、ありがとうございました。(^^)

では、また。(^-^)


















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