「週刊現代」6月26日号に、
『中島みゆきと美空ひばり どちらが“日本最高の歌姫”か』
という記事が掲載されてます。
読み終わった感想は、
う〜ん、「週刊現代」さん、どうなさいました?
というものです。
このタイトルを見た時にイヤな予感がしたんです。
『どちらが“日本最高の歌姫”か』
って、余計なお世話だなと。
対比記事ってどちらのファンも満足させることって、無理があると思うんですよね。
で、やっぱり無理でした、と私は感じました。
例えば、技術は美空ひばりさんの方が上と書かれています。
それは、いいんです。
私には細かい技術的なことはわかりませんから。
ただ、その技術に加えて美空ひばりさんには、
“強烈な耳の良さがある”
と書かれています。
“50人のオーケストラをバックに歌った時も、誰かが演奏ミスすれば即座に気づいた。
全身が敏感な、まさに音楽そのもの”
(音楽プロデューサー佐藤剛氏)
美空ひばりさんは、楽譜は読めなかったが、一度聴いた曲は完璧に歌えたそうで、絶対音感を持っていたと言われています。
だから、“全身が敏感な、音楽そのもの”と言われればそうなのかもしれませんが、
『中島みゆきライブ! Live at Sony Pictures Studios in L.A.』
の時に、
Sony Pictures Studioで、手を打ちながら音の響きを確かめていた、みゆきさんも全身敏感に音を感じているよって思うんです。
こんな反論と言うか、反発は無意味なのかもしれませんが、
“歌手としての技術はどうだろうか。
この点では、ひばりが圧倒的な支持を得た”
とした歌唱技術のみならず耳の良さが出てきて、
それならと、反発心が湧いてきてしまったんですね。
だから、こういうVS記事って、余計なお世話だと思ってしまうんですよ。
また、みゆきさんが過去のインタビューでひばりさんに賛辞を送っている、とあったんでネットで記事を検索したのですが、残念ながらわかりませんでした。
ただ、検索したら2014/6の月イチ赤い歌コーナーが、美空ひばり「真赤な太陽」だったとあったので、何かコメントをされてないかと録音を聴いたのですが、何もなかったです。
で、この記事の結びが、
“同じ『時代』でも違う”という小見出しで、美空ひばりさんの「川の流れのように」とみゆきさんの「時代」を比べているのです。
《ああ川の流れのように ゆるやかにいくつも時代は過ぎて》と歌っているから
“ひばりさんは時代というものを、止めようのない大河だと思っていたのでしょう”
とあります。
これだけ読んだ時、作詞は秋元康氏じゃないか、何を書いてるんだ?って思ってしまったんですよ。
それで、「川の流れのように」のウィキペディアを見ると
“ひばりは自分の人生と本楽曲を重ねて「1滴の雨が木の根を伝い、せせらぎが小川になる。
水の流れがあっちにぶつかり、こっちに突き当たりしながらだんだん大きくなる。
やがて大河になり、ゆっくりと海にたどり着く」と発言”とありますから、ひばりさんが『時代』を止めようのない大河と思っていたのは、間違いではないのでしょうが、書き方が端折過ぎじゃないでしょうか?
「川の流れのように」の『時代』を流れる大河と感じる美空ひばりと、《まわるまわるよ 時代は回る》と何度でもやり直せると思わせる中島みゆきという対比で締め括られていました。
なんか、今までになく疲れる記事で思わず、どうした「週刊現代」と思ってしまったのでした。
「週刊現代」さん、営業妨害じゃないからね。
興味のある方は、どうぞ。
お読みいただき、ありがとうございます。(^^)
では、また。(^-^)