身の程知らずの独り言

音楽的にも文学的にもダメダメな♀が、身の程もわきまえず、好き勝手な戯言(主に、中島みゆきさん)を記しております。

みゆきさんの言葉選び、その20"名脇役・猫"

2015-08-28 00:33:04 | 中島みゆきさん(言葉選び)
"距離感・変"に、miya さんから、
"「流星」(LOVE OR NOTHING 1994)の『おっちゃん』や
「相席」(心守歌 2001)の『客を良く見てないマスター』など、
『脇役』が出てくる、曲がまだまだありそうですね"とコメントを頂き、『脇役』で色々妄想をしてたんです。

「タクシー・ドライバー」(親愛なる者へ 1979)の
『苦労人とみえるタクシー・ドライバー』や"変"でも書いた
「蕎麦屋」(生きていてもいいですか 1980)の『おまえ』や
「ミルク32」(愛していると云ってくれ 1978)の『ミルク』。

女性だと、一番印象的なのは、
「南三条」(歌でしか言えない 1991)の
『背中で眠る赤子を揺りあげる 忘れないあの日の女』でしょうか。

「店の名はライフ」(あ・り・が・と・う 1997)のチラッとしかでてこない
『母娘でよく似て見事な胸のおかみさんと娘』 も、忘れ難い存在です。

「悪女」(1981)の『マリコ』や
「誰のせいでもない雨が」(予感 1983)の『滝川や後藤』は、名前だけしか登場しないのに、印象的です。

と、次々浮かんできて、果ては、
「ダイヤル117」(親愛なる者へ 1979)の時報は陰の脇役とは言えないか、などと考えてしまい、収集つかなくなってきて、、、(^^;

それでなくても、いつもとっちらかっているのに、、、(--;)

ので、見方を少し変えて、動物で考えてみることにしました。

みゆきさんの動物好きは有名で、
「真夜中の動物園」(2010)は、ほぼ動物アルバムですし、それ以外にも色んな曲に動物達は出現しますよね。

昔実家には、ハナという名の愛犬がいるという話を聴いた記憶があるのですが、スミマセン、裏付け資料が見つかりません。m(__)m

まあ、とにかく大の犬好きなのは、間違いないですよね。

犬好きが、高じて
「夜会VOL.11 ウィンター・ガーデン」(2000)
では、犬をおやりになりましたし、
「空と君のあいだに」(1994)や
「荒野より」(2011)は、
犬目線で創られたと、公言されてますしね。(⌒‐⌒)

ご自身が、犬になっちゃうんですよね。(笑)

だから、脇役で犬がでてくる曲っていうと、
「シーサイド・コーポラス」(36℃ 1986)の『昼寝犬』くらいしかパッと浮かばないんですよ。

「黄色い犬」(中島みゆき 1988)は、比喩としての犬なので、脇役とは言い難いですしね。

一番登場頻度が高いのは、大雑把に言って、魚か鳥だと思いますが、脇役というと、、、違うかなと。

で、それ以外なら『猫』が印象深いかなと猫好きの私は、思ったわけです♪

印象に残る猫を時代を追っていくと、まずはじめは、
「流浪の詩」(みんな去ってしまった 1976)の
『♪さあママ 町をでようよ~』と歌われる、
『ママと名付けた黒猫』。

同じアルバムの「トラックに乗せて」には、『野良猫のように』と例えに使われています。

そして、黒猫と言えば、
「おまえの家」(愛していると云ってくれ 1978)に
『♪昔飼っていた猫は 黒猫じゃ なかったね』とチラッとふれられる黒猫。

同アルバムには、
『♪世の中はとても 臆病な猫だから』(「世情」)
と、みゆきさんの『猫』の中で一番多く論じられているであろう猫がでてきます。

本当に、多くの方が、論じてらっしゃいますよね。

しかし、『臆病な猫』は、比喩というか、象徴として使われているので、脇役とは言えないと思います。

まあ、このように、比喩としてもよく使われますね。

他には、
「やまねこ」(1986)や
「拾われた猫のように」(「夜会VOL.7 2/2」 1996)なども。

そして、これも比喩と言えば比喩ですが、
「なつかない猫」(パラダイス・カフェ 1996)。

擬える猫の描写が、リアルで好きです。

『♪ケガしても誰も届かない場所でうずくまるだけ』

『♪なでようとすると手をかいくぐって身をかわすだけ』

『♪湖よりもはるかに鎮まりかえった瞳で
猫は見てる 男たちをコインたちを』

みゆきさんの甘ったるく、舌足らず気味の歌声。

好きですねぇ♪

この声と歌い方は、レアだと思いますよ。(⌒‐⌒)

鳴き声まで入ってますしね。(^^)

「お月さまほしい」(ララバイ SINGER 2006)の『屋根の猫』

この猫の解釈も様々だと思います。

『♪夜中の屋根で猫は跳ぶ 呼んで跳ぶ泣いて跳ぶ』

このフレーズを聴くと、今は亡き愛猫が、私のために月に向かって跳ぶ絵が浮かんできて、涙腺が刺激されるんです。

個人的感傷を抜きにして考えると、屋根にいる猫を見て、その姿に自分の気持ちを投影しているようにも思えます。

みゆきさんの詞は、聴き手の数だけストーリーができあがりますね。(^^)

そして、今のところの最新で、最大の名脇役、
「夜会VOL.18 橋の下のアルカディア」(2014)の"すあま"。 

あたるちゃん(中村中)が、演じたバー"ねんねこ"代理ママ、豊洲天音(とよすあまね)の前世の"デカイ猫"です。

その"すあま"を歌ったと思しき、
「ペルシャ」(問題集 2014)。

『♪愛しい人が私を呼ぶわ 「迎えに来たよ、さあ行こうね」と
愛しい人が私を呼ぶわ 「捨てたわけではないのよ」なんて
なんだ、 夢なのか』

『無愛想のかたまりのペルシャ』、でも、『愛しい人が迎えに来る』ことを夢に見て、待つペルシャ。

この待つ猫について、みゆきさんが語ったことがあります。

とは言うものの、漠然とそんな話を聴いた気はしていたのですが、何で聴いたか、正確にはどんな話だったのか、思い出せなかったんです。

記憶力が、、、(--;)

しかし、最近その録音を、未整理のライブラリーから見つけて、フルバージョン聴くことができました。

それが、元毎日放送(MBS)アナウンサー角淳一氏のラジオ番組「おとなの駄菓子屋」です。

この番組の中で、猫の話がでてきます。 

その猫の話の前に、角さんとの関係と番組の説明を少々。

"春なのに"というタイトルのブログに、チラッと書きましたが、みゆきさんは、1978年から大阪の毎日放送(MBS)で、「ミュージックマガジン」というラジオ番組をやってらして、当時局アナだった角淳一氏ともその頃知り合われたみたいです。

毎日放送のラジオ番組は、半年毎で、1984年まで続きました。

その後も親交は、続いていて、
「夜会VOL.14 24時着 00時発」(2006)で、初めて実現した大阪公演の取材を、角さんのTV番組「ちちんぷいぷい」で観ることができました。

それも、会場となったシアターBRAVAを、みゆきさんが案内しながら、角さんに「夜会」の説明をするというもレアなものでした。

その際、角さんは、みゆきさんを姫と呼び、自分のことは、ジイと呼んでいたと思います。

角さんは、"僕だからみゆきさんは、TVの取材を受けてくれた"と、自慢してました。

2011年10月30日、その角さんが、新しく始めるラジオ番組の第1回ゲストとして、みゆきさんが東京から駆け付けたのでした。

まだなんの用意もないのに、いきなり大物ゲストがきたと、狼狽え気味の角さんと、スカイツリークッキーを手土産に、ハイテンションのみゆきさん。

フリートークと言うか、好き勝手トークというか、みゆきさんは、最後までハイテンションで、楽しそうでした。

「南極大陸」と主題歌「荒野より」の話で、
『♪犬てんこ盛り!犬てんこ盛り♪』と、ハシャギまくり、犬目線で創ったことを暴露。

南極大陸で待っていた、タローとジローの話から、猫も待っているという話になります。

ハシャギまくりのハイテンションから、少し落ち着いたトーンで、
「犬って、迎えに戻ってこないかもしれないとは、考えないんですってね。
『来る!』、何年経っても『迎に来る!』って思ってるのね。
でも、犬だけじゃなくて、猫も、そういう猫見てます」と。

みゆきさん家の近所のミュージシャンで、猫好きのお兄ちゃんが、急に亡くなったそうです。

クラブでプレイしてるのか、深夜2時とか3時に帰ってくる人で、帰ってくるのを猫達は、迎に出てたそうです。

「お兄ちゃんが亡くなって、何年経っても、夜中にそこで、猫待つの、
『帰ってくる!』って思ってるのね」
と、沁々と語るみゆきさん。

『♪犬てんこ盛り!』のハシャギようから、お見事な切り替えです。

その落差に引き込まれるんですね。

みゆきさんの演技のおおもとは、このラジオの語りにあるんだなあ、なんて考えてしまいました。

この話を聴いていたのに、
「夜会VOL.18 橋の下のアルカディア」(2014)の時には、ハッキリと思い出せなかったんですね。

まあ、録音が何処あるのか、わからなかったのもあるんですが、、、ナサケナイ、、、(--;)

という訳で、遅ればせながら、、、(^^;

で、何とか最新の『猫』まで、辿り着けたみたいですね。

私の支離滅裂な妄想に、今日もお付き合い頂き、本当にありがとうございました。(^^)

今日はこの辺で。

では、また(^-^)
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みゆきさんの言葉選び、その19番外編「雪 虫 Whisper」、「Winter Song」

2015-08-23 03:22:13 | 中島みゆきさん(言葉選び)
「歌縁」が、みゆきさん以外の久し振りのライブ(歌手)と書きました。

演劇や歌劇、合唱、演奏は行っていますが、シンガーのライブとなるといつ以来だろう?と考えた結果、いつかはわからないんですが、アーティストは間違いなく谷山浩子嬢だなあと思い至ったのであります。

昔から、みゆきさんは、殆ど一人で行っていましたが、浩子嬢は、友人達と行っていました。

私の回りでは、浩子嬢のほうが、メジャーだったんですね。(^^)

そんな友人達も、パタパタと結婚してしまい、浩子嬢ともご無沙汰していた頃、
「夜会VOL.11 ウィンター・ガーデン」(2000)
の告知が。

これは、何としても観に行かねば!、と勇んで上京したのを覚えています。

しかし、1度しか観れなかったので、ストーリーを追うのに必死で、、、よく覚えてないところも、、、(^^;

記憶力が不自由な質なので、、、(--;)

などと、思い出に浸っていて、ふと浮かんだのが、みゆきさんと浩子嬢のもうひとつのコラボ、
「雪 虫 Whisper」。

浩子嬢の35周年で、32枚目のアルバム
「フィンランドはどこですか?」(2007)
のラストに収録されている曲です。

作詞 中島みゆき、作曲 谷山浩子。

今のところ、二人の合作は、この曲だけですね。

この曲の仕上がりに対し、みゆきさんは、
「とても私が詞を書いたとは思えない、美しい歌に仕上がっていて驚きです」
と、コメントを寄せていました。

浩子嬢のコメントは、
「知り合って三十余念(2007年現在)、先日は初めて合作できてほんとにうれしがったです。ありがとう。長生きしてください」でした。

浩子嬢の35周年記念に贈った詞だからか、美しい歌に仕上がった、この曲をみゆきさんは、歌われていません。

同じ様に、アーティストに、詞を提供して、みゆきさんが歌われていない曲に、
織田哲郎氏の「Winter Song」(W FACE 2013)があります。

先月この2曲を聴きたくて、各収録CD を衝動買いしてしまいました。

YouTubeでは、聴いてたんですが、CD の音で聴きたかったもので。

と言うわけで、今回は、番外編として、この2曲を妄想しようと思います。

この2曲、ある意味対称的なんです。

「雪 虫 Whisper」は、みゆきさんのコメントを見ると、詞先行と思われます。

対して、
「Winter Song」
は、織田氏のインタビューを見ると、何曲か曲を渡して、好きな曲に詞をつけてもらった、曲先行なんです。

また、浩子嬢の曲調と、織田氏の曲調も対称的です。

しかし、みゆきさんの詞は、どちらも冬なんですね。

で、ここで動画を貼り付けられたらいいんですが、上手くいきません。(>_<)

スミマセン、どちらもYouTubeにあるんですが、、、(^_^;)

なので、興味のある方は、YouTubeをご覧下さいませ。

本当に、不親切なブログでスミマセンm(__)m

「雪 虫 Whisper」(フィンランドはどこですか? 2007)

自分を小さく儚い雪虫に例えた、ものすごく、せつない詞です。

その詞に、浩子嬢がシンプルなピアノ伴奏の美しいメロディを付けています。
(CD のブックレットによると演奏は、浩子嬢のピアノと石井AQ氏のシンセサイザーのみです)

1音ずつ響くピアノの調べと、浩子嬢の呟くような少し低めの歌声(浩子嬢にしたら)が、抱き締めたくなるくらい切なくて、みゆきさんのコメントの通り、驚く程"美しい歌に仕上がって"います。

詞に関しては、
『♪あなたに消せる傷がある
あなたに消せない傷がある
それを私が抱き埋(うず)む』

『♪私の勇気は雪虫で
私の自信は雪虫で
有りか無きかの夕間暮(ゆうまぐ)れ』

「抱き埋む」と「夕間暮」を指して、"中島みゆき"だ、と言うような書き込みを幾つか見かけました。

「夕間暮」は、辞書にもある言葉ですが、「抱き埋む」は、みゆきさん得意の造語だろうと思います。

しかし、最初に聴いた時に、確かにその2ヶ所でもニヤっとしたのですが、それよりも、
『♪私に見える冬がある
私に見えない冬がある』
の歌い出しから、
『♪あなたに見える雪がある
あなたに見えない雪がある』
と畳み掛けていく感じに、みゆきさんだなあと思いました。

後先になりますし、曲調も意味合いも全然違うんですが、
「BA- NA - NA 」 ( 荒野より 2011)の
『♪私には何が有る 他と比べずに何が有る
私には何が無い 他と比べずに何が無い』
が、頭をよぎりますね。

また、
『♪補いあってゆけるなら 2人歩きは寒くない
なのにあなたを補える誰かを知って 私泣く」の
『私泣く』
が、最初に聴いた時から引っかかって、何故かわからないけど、とっても好きなんです。

ラストの
『♪それでもどうか傍(かたわ)らに 私を置いてくれたなら
ある日敢えなく飛ばされて 風を知らせてあげるのに
それでもどうか傍らに 私を置いてくれたなら』
の儚ない切なさが、泣けてきますね。

この泣けてくる切なさが、何となく
「ジョークにしないか」(問題集 2014)を思い起こして(発表年は前後してます)、携帯プレイヤーのお気に入りに、
「雪 虫 Whisper」の次に、
「ジョークにしないか」を入れているんです。

で、この並びが、今一番のお気に入りになっています♪

先に書いたように、この儚く切ない曲調とは、対称的に疾走感満載なのが、
「Winter Song」。

作詞 中島みゆき、作曲 織田哲郎。

織田哲郎氏のソロデビュー30周年の節目の2枚組アルバム「W FACE 」(2013)のDisk1"RED"の5曲目です。

アルバム発表時のインタビューで、みゆきさんに作詞を依頼した経緯を語っています。

織田氏は、根っからの中島みゆきファンで、ファンであるが故に、一緒に仕事をするという発想はなかったそうです。

みゆきさんが、作詞・作曲して唄っている曲が好きなんだと、語っています。

そんな思いを、飲み仲間の坪倉唯子嬢(以下唯子)に、酔っぱらいながらしつこくしてたら、唯子に
『みゆきさんに詞を頼んでみたら?』って言われたんですって。

織田氏は、みゆきさんが自分の曲を唄っているのが、好きなだけだから、詞を頼むなんて考えたことがなかったので、唯子の言葉に
『おー!なるほど!!』と思ったそうです。

しかし、そんな会話があって数年は、どんな曲を頼めばいいんだろう?とずいぶん悩んだそうです。

そして、悩んだ末、何曲か渡して、
『もしイメージが湧いたら書いてください。沸かなかったらいいです』と。

インタビューのこの部分を読むと、先の
「雪 虫 Whisper」の
『♪私の勇気は雪虫で
私の自信は雪虫で
有りか無きかの夕間暮(ゆうまぐ)れ』
が、聴こえてきそうな気がします。

そうしたら、織田氏自身が
『これ!?』
と、思う程意外な曲をみゆきさんは、選んだようです。

このアルバムは、2枚組でDisk 1"RED " は、アップテンポのロックンロールが並び、Disk 2"BLUE "は、ジックリ聴かせるメロディアスな曲が並ぶ構成になっています。

メロディアスな"BLUE " の曲ではなく、アップテンポな"RED " の中でも一番疾走感がある曲をみゆきさんは、選んだんですね。

一番意外な曲を選ぶところに、みゆきさんのチャレンジ精神というか、プロ意識があるような気がします。

誰もが思う、中島みゆきのイメージを守って、博物館に行くのはイヤな人ですから。(笑)

イントロのギターから、気持ちよく走ってますね。

そして、疾走する曲に乗って、詰め込まれた言葉達が、カッコ良く弾けてる曲だと思います。

目一杯詰まってますよ(笑)

織田氏曰く、みゆきさんなりに、織田哲郎の世界を考えてくれてるけど、それでもやっぱりみゆきさんの詞だと。

織田氏が、絶対に入れない言葉が随所にあって、本当に面白いと思った、でも、アルバムに入っていても、違和感がないと。

確かに、違和感は感じなかったです。

「馬鹿なんです」という、色んな意味で弾けた曲もあるんですが、一番カッコ良く弾けてるのは、
「Winter Song」だと思いました。

贔屓目かもしれませんが。(^^;

『♪一生分の悲しみを使い果たしたあの日
別人になってしまった己れを抱えて
他人の悲しみを聞かない その代り自分でも泣かない~』
と始まります。

『♪あぁ すれ違う電車の窓を見たかい
あぁ 笑い顔で泣いてる自分が乗っていた』

と、ここで、
『♪精一杯に急いだと 肩で息を継ぎながら
押しのけたあの傘の中に自分がいた気がした』
「あのバスに」(心守歌 2001)
が、よぎる私は病気ですね。(笑)

『♪やけっぱちだった夏と 諦めて堕ちて行った秋と
憧れ過ぎて舞い上がった春との間で
冬は冬だ何もない 飾る嘘も守る嘘もない』
言葉が詰まってるでしょう。(笑)

そして、ラスト
『♪Winter Song 冬は何か始まる
失うものなどない それゆえ愛でも始めたくなる
まいるぜ』

織田氏は、自分ならあそこで『まいるぜ』という言葉は、絶対に思いつかないと言っていた
『まいるぜ』。

溢れる言葉と走り続けた後の沁々とした
『まいるぜ』
が、カッコいいんです。(^^)v

しかし、私は、その前の
『♪失うものなどない それゆえ愛でも始めたくなる』の
『それゆえ愛でも』に妙に惹かれるんですがね。

で、この『まいるぜ』を聴いた時に、頭をよぎったのが、甲斐よしひろ氏と田中一郎氏への提供曲、
「あり、か」(回帰熱 1989)。

『♪こんなことって あり、か』
ですね。

カッコいい、決め台詞みたいな連想ですね。

やっぱり、病気です。(笑)

と、また、長々とバカなことを書いていると、3時を回ってしまいました。

明日のこの時間は、月イチです。

なので、この辺で失礼します。

今回も支離滅裂な妄想に、お付き合い頂いて、ありがとうございました。(^^)

では、また。(^-^)



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みゆきさんの言葉選び、その18"距離感・変"

2015-08-07 00:18:00 | 中島みゆきさん(言葉選び)
"距離感・変"と、変なタイトルをつけてしまいましたが、決して変な距離感では、ありません。(笑)

変化する距離感という意味でつけました。

先日、みゆきさんの言葉選び、その17"距離感"を書いた後で、
眠り猫さんから
「風の笛」(常夜灯 2012)、
miya さんから
「タクシー・ドライバー」(親愛なる者へ 1979)
をさりげなく優しい"距離感"の曲として、コメント頂きました。

ありがとうございます。(^^)

他にもたくさんあると思います、とコメントを返したように、色々な曲が思い浮かびました。

みゆきさんの人に対するスタンスと言うか、眼差しの優しさが、絶妙な"距離感"を産み出すんでしょうね。(⌒‐⌒)

その浮かんだ曲の中で、先日挙げた"距離感"と少し、肌合いの違う距離感の曲が、あったんです。

先日のさりげなく優しい"距離感"は、ある一定の距離感を保ってるイメージでした。

いい意味で、平行線。

「3分後に捨ててもいい」(夜を往け 1990)や
「病院童」(問題集 2014)も、そのイメージです。

しかし、その"距離感"に収まらない曲が、あるんです。

それが、変化する距離感の曲なんです。

1曲目は、
「蕎麦屋」(生きていてもいいですか 1980)です。

凹んでる時に、"おまえ"呼ばわりできる、気が置けない友人から
『♪あのぅ、そばでも食わないかあ、ってね』
と電話がくる。

『♪べつに今さらおまえの顔見てそばなど食っても仕方がないんだけれど』

と、歌いながらも、向かい合わせで食べている二人。

『♪あいつの失敗話にけらけら笑って丼につかまりながら、おまえ』

ここまでで、十分に"おまえ"と"あたし"の優しい距離感は、感じられます。

そして、続く

『♪あのね、わかんない奴もいるさって  あのね、わかんない奴もいるさって』

このフレーズが、二人の間の距離感も、テーブルという物理的な距離も飛び越えて、スッと懐に入ってくる、距離感が0になって、心の中で広がってゆく感じがするんです。

だから、
『♪あんまり突然云うから 泣きたくなるんだ』
と。

その後で、何事もなかったかのように、
『♪風はのれんをばたばたなかせて ラジオは知ったかぶりの大相撲中継』
と、もとの距離感に戻っていくところが、見事だなあと。

この一瞬の接触が、変化する距離感だと思ったんです。

話は少し逸れますが、これを書いていて、

「蕎麦屋」の
『♪あのね、わかんない奴もいるさって  あのね、わかんない奴もいるさって』
って、言い換えれば、 

『♪ファイト! 闘う君の唄を
闘わない奴等が笑うだろう』
「ファイト!」(予感 1983)

なんじゃないかという気がしてきました。

今まで、あまり意識していなかったので、何か私の中では、発見した気分で書いてます♪

私の妄想の中ではと書くべきかしら?

そう言えば、この曲のモチーフになったエピソードは実在し、モデルも特定できるというのが、妄想ではなく定説になっていますねえ。

但し、私はみゆきさん本人が、そのことに言及してるのを聴いたことも、読んだこともないので、ここには記しません。
(知らないだけで、みゆきさん本人が、話していたら、私の不勉強です、スミマセン)

変に思わせ振りな書き方で、これまたスミマセンm(__)m。

さて、次の妄想です。(笑)

「流星」(lOVE OR NOTHING 1994)

『♪どこまで行くの 何しているの』
『♪歌を歌っているんです』
『♪そうかい、おいらは歌は知らねえな 演歌じゃねえんだろう、そのなりじゃあな』

サービスエリアで遭遇したトラック運転手のおっちゃん。

『♪身体こわさず がんばってみなよ
たまには親にも℡してやんな』

おっちゃんの言葉は、温かいです。

しかし、普通若い女性が、知らないおっちゃんに声かけられたら、聞き流すか、余計なお世話と思いそうなものだと思うのです。
(私がひねくれてる?(--;))

それを
『♪吹く口笛はスプリングスティーン あれは演歌だと おっちゃんは信じてる』
と、歌うことで、おっちゃんと主人公の心の距離がグンと近づいた気がするんです。

クスッとした瞬間、おっちゃんの温かさが沁みてくるような気がして、聴いている私にも、近づいた気がしてくるんです。

これもまた、変化する距離感かなと思います。

さらに、この曲は、相手が行きずりの他人(プロ)だという点で、先の「タクシー・ドライバー」を思い起こしました。

「タクシー・ドライバー」と同じように、他人からのさりげない心使いを感じ取れる感受性と、感謝の念、プロへのリスペクトが、感じられる曲だと思います。

以上が、距離感が近く変化したと思った曲です。

反対に、突き放そうと言うか、頑なに近づくまいとする曲として、浮かんだのが、

「永遠の嘘をついてくれ」
(パラダイス・カフェ 1996)。

この曲は、ご存じ吉田拓郎氏への提供曲です。
(それも、氏自らの依頼)

つま恋での共演は、伝説になってますね♪

本当に、カッコよかった!

話はまた、逸れますが、私はこの曲を聴くと
「ミュージシャン」(中島みゆき 1988)と
「仮面」(シングル、中島みゆき 1988)
が、頭をよぎってしまうのですねえ。

「仮面」の作曲は、甲斐よしひろ氏です。

「ミュージシャン」が、甲斐よしひろ氏を歌った曲だという説もありますが、これもみゆきさん自身の言及はなかったと思います。

この3曲を聴いていると、みゆきさんの美学が、感じられるんです。

『♪ミュージシャン さみしいことを言わないで』(ミュージシャン)

『♪羽振りの好かった時代のように
思い上がった口をききなさい
己を知らない子供のように
なんでもできそうな口をききなさい』(仮面)

『♪たとえ くり返し何故と尋ねても 振り払え風のようにあざやかに
人はみな望む答えだけを 聞けるまで尋ね続けてしまうものだから
君よ 永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ』(永遠の嘘をついてくれ)

弱音を吐かず、カッコをつけて、走り続けろ!

憧れの対象で、あり続けろ!と。

それこそ、
『♪一度は夢を見せてくれた君じゃないか』と。

これを書きながら、頭の中で、
『♪息はきれぎれ それでも走れ
走りやめたら ガラクタと呼ぶだけだ、この世では』
「断崖―親愛なる者へ―」(親愛なる者へ 1979)
が、響いてきました。

続いて、
『♪がんばってから死にたいな がんばってから死にたいな
這いあがれ這いあがれと 自分を呼びながら』
「重き荷を負いて』(ララバイSINGER 2006)が。

ブレずに、ずっと走り続けていらっしゃいますよね。

本当に、頭が下がります。

話を"距離感"に戻しますと、

「ミュージシャン」と「仮面」は、それでも弱気になった時は、

『♪ミュージシャン 長生きは辛いことじゃないはずよ』(ミュージシャン)

『♪ぼろぼろになって獣がむせぶ
失うものは何もない
ぼろぼろになって獣が眠る
あたしは邪険に抱きしめる』(仮面)

と、傍らで見守り慰めているんですよ。

対して、
「永遠の嘘をついてくれ」では、

『♪永遠の嘘をつきたくて 探しには来るなと結んでいる』
友の矜持を信じ、

『♪永遠の嘘を聞きたくて 今日もまだこの街で酔っている』
『♪今はまだ二人とも旅の途中だと』
と、頑なに距離をとっている。

『♪傷ついた獣たちは最後の力で牙をむく
放っておいてくれと最後の力で嘘をつく
嘘をつけ永遠のさよならのかわりに
やりきれない事実のかわりに』
と、突き放す。

互いを"信じる"から離れて見守るという、感じがするんです。

この"信じる"って、信じられてる方にしたら、結構厳しいような気がします。

「永遠の嘘をついてくれ」の頑なな距離感って、いい意味の緊張感なんだという気がするんです。

その緊張感に、曲の疾走感が相俟って、ナマケモノの私には、オシリを蹴飛ばされてる感がある曲です。

シッカリしろ!って。(笑)

勿論、物凄くカッコいい曲だと思います。

使い方が正しいのか、不安ですが、"男前"な曲だと思います。

つま恋の前から、カラオケで一番気持ち良く歌える曲です。

シャンとしなきゃって、背筋が伸びるんです。(笑)

突き放し感が、自分にカツを入れるのに、いいのかもしれませんね。(^^)

最後は、カラオケかよ!って、怒られそうなほど、妄想が支離滅裂に、暴走してしまいました。(笑)

スミマセンm(__)m。

本当に、長々とこんな妄想に、お付き合い頂いて、ありがとうございました。(^^)

では、また(^-^)
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