身の程知らずの独り言

音楽的にも文学的にもダメダメな♀が、身の程もわきまえず、好き勝手な戯言(主に、中島みゆきさん)を記しております。

古希、、、ですか、、、?(*_*)

2017-04-15 02:09:00 | 中島みゆきさん(その他)
吉田拓郎さんが、古希を越えられたそうで驚きました。(*_*)

年齢なんて意識してなかったので、、、(*_*;

拓郎さんは永遠の青年?、中年?、せめてオヤジ?のイメージで、71歳とは、、、(--;)

あっ、古希の方、スミマセン。m(__)m

ただ、古希と言う言葉の響きがあまりにも不似合いな気がして、驚いてます。

確かに、1946年4月5日生まれなので、昨年古希を迎えられてるんですね。

それで、拓郎さんの古希を祝って、トリビュートアルバムが6月に発売されるそうです。

そのニュースで、拓郎さんの古希を知って驚いているんです。

このアルバムの企画制作は、武部聡志プロデューサーで、拓郎さんに古希のお祝いをトリビュートアルバムという形でさせて欲しいと申し入れたところ、
「武部に任せたよ、好きなようにやりなよ」と言われたそうです。

それが、2016年1月。

それから1年半がかりで、アルバムが完成し、武部プロデューサーは感無量だと語っておられます。

そのトリビュートアルバムが、2017.6.7発売の
『今日までそして明日からも、吉田拓郎 tribute to TAKURO YOSHIDA』
¥2,800(税抜)

[収録楽曲 / 参加アーティスト]
1. 奥田民生 / 今日までそして明日から
2. chay / 結婚しようよ
3. Mrs. GREEN APPLE / 流星」
4. 寺岡呼人feat.竹原ピストル / 落陽
5. 鬼束ちひろ / 夏休み
6. 一青 窈 / メランコリー
7. 井上陽水 / リンゴ ※既発音源
8. 高橋真梨子 / 旅の宿 ※既発音源
9. 徳永英明 / やさしい悪魔 ※既発音源
10. 織田哲郎 / おきざりにした悲しみは
11. THE ALFEE / 人生を語らず
12. ポルノグラフィティ / 永遠の嘘をついてくれ

拓郎さんのトリビュートアルバムのラストが、シンガーソングライター吉田拓郎の作詞作曲ではなく、中島みゆき作詞作曲の
「永遠の嘘をついてくれ」だったのが意外過ぎて、この記事を書いてます。

本当に、アルバム収録曲を見た時は、驚きました。!!(゜ロ゜ノ)ノ

田家さんの楽曲解説によると、
「永遠の嘘をついてくれ / ポルノグラフィテイ
参加者の顔ぶれのバラエテイと選曲の意外性という点では、この曲も双璧だろう。
オリジナルは95年発売のアルバム『LONGVTIMEVNOVSEE』。
作詞作曲は中島みゆきである。
作詞と作曲を別個に依頼したことはあっても両方を一人のアーテイスト、しかもシンガーソングライターに依頼したのは初めてだった。
中島みゆきからのラブレターという解釈もある。
※この曲はシンガーとしての吉田拓郎にフォーカスを充てた作品である。
ポルノグラフィティの二人が、吉田拓郎のヴォーカルに魅力を感じ、選曲してくれたSpecialなTrackです」
とあるこから、選曲はポルノグラフィティのお二人がされたようですね。
(しかし、田家さん好き勝手書いてますねぇ(笑))

ポルノグラフィティの岡野昭仁さんも
「お二人のレジェンドで紡がれた作品は、あまりにも眩しすぎるのですが、それに少しでも近づけるよう、魂込めて歌わせて頂きました」
と、コメントされてます。

ただ、アルバムラストに持ってきたのは、武部プロデューサーの遊び心なのか、何なのか?

選曲についての武部プロデューサーのコメントがないので、そのへんがよくわからないんですけど、岡野さんと同じく、"二人のレジェンド"への敬意なのでしょうか?

とにかく、魅力的なアルバムなので拓郎さんの古希をお祝いして、購入しようかと思っています。

ポルノグラフィティの「永遠の嘘をついてくれ」は、是非聴いてみたいですし。

次の月イチで、みゆきさんのカバー曲としてではなく、拓郎さんのカバー曲としてかからないかな?

拓郎さんとみゆきさん、そして、
「永遠の嘘をついてくれ」
と言ったら、"つま恋"ですね。

その"つま恋"が、
"つま恋リゾート彩(さい)の郷(さと)"として、2017年4月12日からプレオープンしたそうです。

本格稼働は、4月27日の予定だそうで、ヤマハ時代の施設はお化粧直しをされて基本そのまま残されているようです。

みゆきさんが、拓郎さんと「永遠の嘘をついてくれ」を歌われた多目的広場も、ポプコンで歌われたエキジビションホールも残っています。

"つま恋リゾート彩(さい)の郷(さと)"のホームページには、「音楽イベント・コンサートの歴史」のコーナーもちゃんとありました。

今後どうなるかわかりませんが、今のところ"みゆきさんの歌跡"は、消えてなくなったりはしないみたいです。

吉田拓郎トリビュートアルバムには驚きましたが、つま恋にはホッとしたので、このへんで終わります。

お読みいただいて、ありがとうございました♪(^^)

では、また。(^-^)
コメント (4)
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みゆきさんの声、その42 "息づかい"「36時間」と「あなた恋していないでしょ」

2017-04-03 01:55:00 | 中島みゆきさん(声)
一年以上ぶりの"みゆきさんの声"です。

なんか、ものすごく、サボってた感じ、、、(--;)

スミマセン。m(__)m

って、誰に謝ってるんでしょう。f(^^;

これこそ、私の自分勝手な妄想の最たるものなんで、ここ最近の記事しか読まれてない方は、"あほな妄想"だと大きな気持ちでお読みください。f(^_^;

で、実はこの記事の原形は「組曲(Suite)」が出た直後に「36時間」について書こうとしたものです。

「36時間」の"息づかい"を書こうとして、まとめきれなくて2年以上も塩漬けしていた、ある意味かわいそうな妄想です。

また、「組曲(Suite)」を「問題集」みたいに、順番に書けなかった第一の障害でもありました。

そもそも"息づかい"を"声"と言っていいのか?

"声"と言うとしたら、「36時間」以外でも特徴的な作品はあるんじゃないか?

それらと、違う「36時間」の特徴は?

等々と、考えていたら行き詰まってしまって、、、(--;)

行き詰まったら、放っておく主義なので、塩漬けになってしまいました。f(^^;

時々、塩抜きしてたんですが、また行き詰まって塩の中への繰返し、さぞショッパイ妄想になっていると思いますが、お許しください。(^。^;)

"息"と言えば、みゆきさんの場合、特徴的な"ブレス"(息継ぎ)が有名。

と言うか、ブレスがない、、、(--;)
と、提供された歌手泣かせで有名。(笑)

みゆきさんは、超人的な肺活量なのでしょうかね?

確かに、小さい頃から声は大きかったと、コンサート「一会」で仰っていました。

寄宿生活を送っていた学生時代、4階で話した声が、外まで聞こえていると叱られたと声色つきで話されて、大ウケしていました。(笑)

それで、大声出しても叱られない仕事として、歌手になったと。

その流れで、"息"について話されました。

以下は、私が書いた、そのナンチャッテMC の転記です。

"そんな風に、怒られない仕事に就けて良かったんですが、デビューしてから暫くたって、ある人に
「小さい声で歌ってみませんか」って言われたの。
「大きな声を出すのと同じ力で、小さい声を出してみませんか」って。
余った息はどうすればいいの?
どうやって歌えばいいの?
って、腹立てたりしたわよ。
でも、それが、後々「夜会」なんかで、演技しながら歌う時なんかにとても役にたったの。
今では大変感謝してるんだけど、もう伝えることができないんです"

そして、「ピアニシモ」を歌われたのでした。

『♪大きな声と同じ力で ピアニシモで歌ってください』(「ピアニシモ」)

その"余った息"が、歌を包み込んでるように感じたのが、
「36時間」なんです。

と、もっともらしく書いていますが、この"余った息"と「36時間」で書きたかった"息づかい"が繋がったのが、つい最近。

実は、ユナイテッド・シネマ橿原で「ピアニシモ」を聴いていた時です。

MC 聴いて2年以上。

コンサートの時に、繋がらなかった私って、、、(--;)

トロイというより、あほですね。(T_T)

但し、これはあくまでも、私が勝手に「繋がった」と喜んでるだけなのです。

ホントは、どうかはわかりません。(笑)

わからないのですが、その"余った息"が、歌声に絶妙なアクセントをつけていると勝手に思って、この記事を書いています。f(^^;

みゆきさんの"声"好きの私にとって、"息"も"声"の一部として心魅かれる大きな要因なんだと気づかせてくれたのが、タイトルの2曲です。

それほど、この2曲の"息"の使い方が、印象的だったんです。

特に、"息づかい"を意識したのは、
「36時間」を聴いてからです。

私は、"息"は声の質、"息づかい"は、"つかい"が入る分、歌唱法の一種と思ってます。

無意識の部分もあるでしょうが、やはり技術、技巧なんだと思うんです。

その技巧に、非常に魅かれたのが、この2曲です。

まずは、「36時間」。

『♪1日は36時間と決めたんです
他人(ひと)さまの進み方は知りません』

この歌い出しから、音としての"声"を"息"が薄く包むと言うか、挟み込んでるような感じが私にはするんです。

息、音、息の三層構造のような気がして、曲より、歌詞より、その三層構造に魅せられ、魅き付けられました。

"息づかい"と言う言葉が、頭に自然に浮かんできたんです。

息と音が同時に出るのが声なので、
「何を当たり前のことを!」、
「バカなことを言ってるんだ!」
と、お叱りを受けそうですが、、、(^^;

あくまで、私の勝手なイメージで、妄想なのでお許し下さい。m(__)m

イメージと言えば、前にこの曲のイメージを
"傷を優しく包むガーゼの包帯のよう"
と書きました。

これは、最初に聴いた時に浮かんだイメージです。

薄い"息"の膜が、ふわりと優しく言葉を包みこんでいるイメージですね。

全体としたら、ふわりと包み込むイメージなんですが、それだけではない何かがあるような気がして、何回か聴いているうちに浮かんだのが、息・音・息の三層構造のイメージだったんです。

同じアルバムの「休石」も、ふわりと優しく包まれているイメージは、同じなんですが、三層構造のイメージとは少し違うんです。

「休石」は、"息"が声に溶け込んでいるイメージなんです。

で、その"息"が声に溶け込んでいるイメージって、よく考えると、昔から感じてた気がしてきました。

"息"は、"声"の質のような気がすると、書きましたが、みゆきさんの声って、ハッキリ張る声や綺麗な声もありますが、ハスキーで少しボソボソとしたザラつきのある声もあって、そのボソボソとしたザラつきが"息"と言うか、"息"がこもった気泡のように感じるんです。

特に、初期の"声"にそれを感じます。

例えば、
「ホームにて」(「あ・り・が・と・う」1977)とか、
「泣きたい夜に」、「蕎麦屋」(「生きていてもいいですか」1980)とかとか。

気泡の中に、優しくあたたかい空気("息")を含んだ"声"に感じられて、そのあたたかさに、すごく慰めてもらっていた気がするんです。

改めて考えると、空気をイッパイ含んだ、優しい甘さのメレンゲのイメージです。

口にいれると、ホロリと崩れ、優しい甘さで、癒してくれる砂糖菓子です。

って、食いしん坊なので食べ物をすぐに思い浮かべましたけど、木綿のタオルのほうが適切でしょうか?

そう言えば、「泣きたい夜に」を"大きな毛布"に例えたのは、鳥居みゆきさんでしたね。

『♪涙だけは大きなタオルでもあれば かわくだろう
けれど心の傷口は自分では縫えない』
(「泣きたい夜に」)
と歌う声に、涙をふいてもらい、悲しみや苦しみを吸収してもらっていました。

みゆきさんの声にある大小の"息"の穴(気泡)が、苦い思いをスポンジのように吸収してくれてたような気がします。

しかし、この頃の気泡は不揃いで粗いぶん、口に入れるとホロリと崩れるメレンゲのような儚いもろさ、せつなさを感じていました。

だから、慰てもらっている反面、抱き締めたくなるような愛しさを感じる声でもあるんです。

元々"余った息"は歌声に溶け込んでいて、月日とともに、少しずつ気泡がキメ細かくなっていったような気がします。

特に、「夜会」をやられる前に、発生法を勉強し直して、一段とキメ細かく滑らかになられたんじゃないでしょうか?

メレンゲの粗い気泡ではなく、シフォンケーキのしっとりとしていて、キメも細やかな気泡に変わったイメージです。

タオルなら、洗いざしのタオルから、絹のような手触りのいいタオルへと変わったような気がします。

ともすれば、もろさを感じた声が、強くしなやかになった感じです。

昔は、スポンジのように吸収してくれていたのが、今は優しくおおってくれるイメージですかね。

あくまで、私のイメージですよ。f(^^;

その"気泡"を感じられる"声"に、私は弱いんですね。

その延長で、"息"、"息づかい"に魅かれるような気がします。

「36時間」を聴いていると、みゆきさんは、七色の声とともに、七色の"息"も使い分けていると思えてきたんです。

その七色の"息"の一つ、"色っぽい息"に強烈に惹き付けられたのが、
「あなた恋していないでしょ」(「常夜灯」2012)。

「36時間」が、全体をふわりと優しく覆って、三層構造なら、
「あなた恋していないでしょ」は、切り替えのアクセントになっていて、色っぽさと切なさがこもった、ため息の上に音(言葉)が乗っている気がします。

『♪火傷するほど誰かを好いて 人も自分も傷つき果てた』、
『♪鋼でできた鎧は脆い』

アルバムでは、↑の部分。

この色っぽさに、魅きつけられます。

また、「一会」劇場版では歌い出しから、ため息に乗せて、と言うか、言葉を色っぽい"息"が強く押し出しているように聴こえました。

「一会」の東京公演の感想を
"迫力満天の
「旅人のうた」の次ぎは、別人かと思える色っぽさで、
「あなた恋していないでしょ」 (「常夜灯」2012)。
この曲も過去2回(大阪)とは、印象が違いました。
少しハスキーな歌声が色っぽければ、吐く息さえも色っぽい。
でも、決してベタベタしない、粋なバーのママのイメージですね。
さっきまで、鳴り響いていた人とは思えない、劇的な変貌です。"
と、綴っていました。

「一会」では、この劇的な変化のために、歌い出しから意識した"息"の使い方をされたんじゃないかと、勝手に妄想しております。

で、この2曲以外で"息づかい"が印象的な曲を考えた時に、思い至ったのが、
アルバム「夜を往け」(1990)。

「ふたつの炎」・「あした」・「新曾根崎心中」・「遠雷」の"息づかい"が印象的です。

「ふたつの炎」・「新曾根崎心中」・「遠雷」の"息づかい"は、色っぽいと思うのですが、それぞれ違って聴こえるんです。

「ふたつの炎」は、"色っぽさ"もあるけど、それより、どうしようもない"せつなさ"が、全体を覆っているように感じます。

色っぽく吐く息が、せつなさをより強く響かせている気がするんです。

また、せつないと言えば、
「あした」の"息づかい"。

「ふたつの炎」が、"せつなさ"が全体を覆っているとしたら、
「あした」は、"せつなさ"を言葉と一緒に吐き出してるように感じます。

ちなみに、
「あした」で、私が一番せつなく感じるのが、2番の
『♪教えてよ』なんです。

「新曾根崎心中」は、絡みつくような"息"の使い方で、"色っぽさ"を露悪的に強調しているように思えます。

強調することで、強がっている"女"が見えてくるような気がして、そこが、この曲の愛しくなるところなんです。

私が、一番"色っぽさ"を感じるのが、
「遠雷」の"息づかい"です。

「遠雷」は、「ふたつの炎」と逆に、せつなさもあるけど、全体を覆っているのは、けだるい"色っぽさ"のように感じます。

熱を持った"息づかい"をしても、投げやりな気だるさが感じられて、
「新曾根崎心中」のような絡み付くような"色っぽさ"ではなく、どこか冷めた"色っぽさ"を感じるんです。

そして、その冷めた"色っぽさ"が、その底に流れている"諦め"をより鮮明に浮かび上がらせているように思えるんです。

こんな風に、曲によって、詞によって、"息"も七色に使い分けているんだと、改めて思いました。

そう考えると、もっと、色々な曲があるのですが、キリがなくて、、、(--;)

また、まとまらなくなるので、このへんにします。f(^^;

私の勝手な妄想だと、重々自覚しております。

お気に触った方がいらっしゃったら、お許しください。

ごめんなさい。m(__)m

こんな私の勝手な妄想に、長々とお付き合いくださった方、本当にありがとうございました。(^^)

では、また。(^-^)
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