身の程知らずの独り言

音楽的にも文学的にもダメダメな♀が、身の程もわきまえず、好き勝手な戯言(主に、中島みゆきさん)を記しております。

DAD

2014-06-05 23:59:26 | 中島みゆきさん(その他)
DAD 川上源一

みゆきさんのCD及びDVDをお持ちの方なら、目にしたことが、おありかと思います。

歌詞カードのスタッフクレジットに必ず記載されています。

DAD 、単純に訳すと"父親"、尊敬も込めて"師父"。

川上源一氏、日本楽器製造株式会社(現ヤマハ株式会社)の第4代・第6代社長、財団法人ヤマハ音楽振興会の設立者でポプコンの創設者。

「彼女の曲には、将来性を感じる」と、みゆきさんのグランプリを事実上決定した方です。
(ラジオ番組で、大石吾朗氏がその時のことを語っておられました。)

なぜ唐突に、川上源一氏のことを書いているかといいますと、お亡くなりになったのが、この時期だったような気がしたのと、相変わらず、毎日のブログのベストに"ストリッパーと遊女"が入っているからなんです。

さらに謎なこと書いてますね、スミマセンm(__)m

まず、川上源一氏が御逝去されたのが、2002年5月25日です。
90歳でした。

そして、「お別れ会」が静岡で開かれたのが、7月9日。

この「お別れ会」で、献奏としてみゆきさんが『時代』を歌われました。

一時、YouTubeにUPされていたので、ご覧になった方も多いと思います。

ポプコングランプリの逸話以外でも、みゆきさんの著書、「泣かないで・女歌」の『楽園』に、猫こと谷山浩子嬢を紹介してくれた楽園のオーナーとして、登場してます。

また、つま恋のガス爆発の後、関係者への謝罪に一緒に回ったと、雑誌に載ったそうです。

この記事は、読んでないので真偽のほどはわかりませんが、事故後のオールナイトニッポンの様子や著書『伝われ愛」の記述から、この事故で受けたショックは、相当なものだったことは、確かです。

そして、ROCKIN ' ON JAPAN VOL. 411のインタビューで"御乱心時代"のことを訊かれて、川上源一氏と思しき会長さんが心配したというエピソードが、出てきます。

少し長いですが、抜粋します。

(イ:インタビュアー、み:みゆきさん)

イ「キャリア10年目の時期に『はじめまして』(84年)とか『中島みゆき』(88年)というタイトルのアルバムを出されましたよね。普通だったらデビュー時のタイトルだと思うんですね」
み「はいはいはい」
イ「なぜ、その時期に原点に立ち戻るようなタイトルが出てきたんでしょう」
み「あのアルバムはたぶんね、サウンド志向っていうところを非常に意識してやったアルバムだったと思います。ヴォーカルをガッと下げてます、あれ。で、ヴォーカル下げるっていうことは、ヴォーカリストとしての自分を引っ込めるていう意味にもとれるなっていうんで、いや、そういう意味じゃない、中島は中島だっていうんで名前をつけたんだと思います」
イ「ちょうど80年代中盤、いわゆるパワーステーションサウンドを起用して」
み「そうそうそうそう」
イ「なんとスティービー・ワンダーが参加して、シンセサイザーとか、あとハーモニカ吹いていて」
み「はいはい、そういううねりの中に存在する、音として(のヴォーカルを)試してみようっていうことだったんで、当時の、ヤマハのトップの会長さんはとても心配なさいましたね。『こんなに歌引っ込めて何考えてんだ?』って。『いや、これはいいんです』って、『この時期は今はこれでいいんです』って。どうしても、中島みゆき、ギター1本弾き語り、ヴォーカル、みんなわたしについといで的なことがひとつのカラーとしてありましたからね。1回崩したいなと思って」

さて、長々と川上会長とみゆきさんの係わりを書いてきました。

そこで、先に挙げた"ストリッパーと遊女"が関係してくるんです。

みゆきさんの作品には、娼婦をモチーフとしたものが、いくつかありますが、そういう題材を描く女性のソングライターは、珍しいと書きました。

私が無知なだけかもしれませんが、私が知る限り断トツに、そういう作品の数が多いシンガーソングライターだと思います。

作品に制限をかけない(と思われる)ヤマハという会社だったから発表することができたのではないか、と思うんです。

そして、川上会長の理解が背景にあったからだろうなと。

「何考えてんだ?」と心配しながらも、止めさせはしていない。

一アーティストのアルバムに口を出す会長というのも、珍しいでしょうが、立場上気に入らないなら止めることもできると思うのです。

でも、結局思い通りにさせているんですから、協力的ですよね。

会長に真っ向から返す、みゆきさんもスゴいですが、このやり取りが、二人の距離感を表しているように思います。

巡り合わせってあると思うんです。

みゆきさんなら、どこに所属しても大成したという考え方もあるでしょうが、今の姿と同じかは疑問です。

デビューして5年、まだ20代の女性アーティストがアルバムタイトル「生きていてもいいですか」で、死んでいった娼婦の歌(「エレーン」)を収録するんですよ。

イメージ戦略なんかを考えたら、
結構大胆な決断だと思います。

余談ですが、「うらみ・ます」が、暗い曲の代名詞みたいに言われますが、私には「エレーン」、「異国」の連続技のほうが、ショッキングでした。

暗さの質が違うような気がしたんです。

うらむことが、できるだけ救いがあると思えました。

「エレーン」と「異国」は、感情の一番奥に突き刺さる感じで、考えさせられました。

と、何が言いたいかと言いますと、川上会長と巡りあったことがみゆきさんにとっての幸運だった、少なくても今のみゆきさんが好きな私にとって、幸運だったと思うんです。

川上源一氏は、「川上天皇」と言われたほどのワンマンで、強烈な個性の持ち主だったそうです。

たぶん、あまり個人的には、係わりたい人物ではなかったかもしれません。

しかし、みゆきさんを見出し、今のみゆきさんの活動の善き理解者、協力者であって下さったことには、感謝してます。

奇しくも十三回忌のこの時期に、思い出したのも何かの縁(?)、改めてご冥福をお祈りしてます。

長々とお読みいただき、本当にありがとうございました。(^^)

では、また(^-^)










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