先日、友人がアニメ「銀河鉄道の夜」を送ってくれました。
みゆきさんファンのくせに、恥ずかしながら、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」をマトモに読んだことがなかったので、早速視聴させていただきました。
「銀河鉄道の夜」と言ったら「夜会VOL.13 24時着 0時発」及び「夜会VOL.14 24時着 00時発」なのですが、今回はそれとは違います。
私のおバカな頭では、一度観ただけでは、到底理解できたとは思えない幻想的な「銀河鉄道の夜」。
その中に「サソリの火」という印象的な寓話が出てきます。
その「サソリの火」の話を見ながら浮かんだ1曲について書こうと思います。
まず、「サソリの火」について。
ジョバンニとカムパネルラが乗る銀河鉄道に、船が氷山に衝突して沈んでしまい、気が付いたらここにいたという幼い姉弟と家庭教師の青年が乗車してきます。
蠍座の火のように赤く輝くアンタレスを眺めているジョバンニとカムパネルラに、その姉が父から聞いたという「サソリの火」の話を語りだすんです。
「私は父さんに昔、バルドラの野原で小さな虫を食べて生きていた一匹のサソリの話を聞いたことがあるの。
そのサソリが、ある日イタチに追いかけられて、井戸に落ちた時言うの
『ああ、私は今までいくつのものの命をとったかしれない。
そしてその私が今度イタチにとられようとした時には、あんなに一生懸命逃げた。
それでもとうとうこんなになってしまった。
ああ何にもあてにならない。
どうして私は私の体を黙ってイタチにくれてやらなかったろう。
そうしていたら、イタチも一日生き延びたろう。
どうか神様。
私の心をご覧ください。
こんな虚しく命を捨てず、どうかこの次には真のみんなの幸せのために私の体をお使いください。』
そうしたら、いつかサソリは自分の体が真っ赤な美しい火になって、夜の闇を照らしているのを見ていたんですって」
この話を聴きながら頭に浮かんだのは、
「夜会」の一場面ではなく、
『♪もしも私が全て正しくて とても正しくって 周りを見れば
世にある限り全てのものは 私以外は間違いばかり
もしもあなたが全て正しくて とても正しくって 周りを見れば
世にある限り全てのものは あなた以外は間違いばかり
つらいだろうね その1日は
嫌いな人しか 出会えない
寒いだろうね その一生は
軽蔑だけしか いだけない
正しさと正しさとが 相容れないのはいったい何故んだ』
(「Nobody Is Right」)
でした。
この話で一番肝になるのは、
『真のみんなの幸せのために私の体をお使いください』
なのでしょうが、私が一番印象に残ったのは、
『どうして私は私の体を黙ってイタチにくれてやらなかったろう。
そうしていたら、イタチも一日生き延びたろう』
というサソリの言葉でした。
『♪つらいだろうね その1日は
嫌いな人しか 出会えない
寒いだろうね その一生は
軽蔑だけしか いだけない』
と結びついたような気がしたんです。
ストンと胸に落ちてきたというか、変に納得できたんです。
これは、あくまでも私の中で勝手に結びついたということなので、みゆきさんがこの詞とサソリの火を結びつけたということでありませんので、念のため。
そんな勝手な結び付きを記事にしていいものか、少し悩みましたが、勝手ではありますが、こういう感じ方もあるということを伝えたくて。
なので、タイトルも"番外"にしました。
"みゆきさんの言葉選び"というのも、違うかもしれませんが、私の中では、やはり"言葉選び"のような気がしたので。
イレギュラーですがお許しください。
まあ、今まで「銀河鉄道の夜」をマトモに読んだこともない無知の戯れ言と思いください。
そんな戯れ言にお付き合いいただき、ありがとうございます。(^^)
では、また。(^-^)
まだ小さかったときに、なんか暴言を吐いて、両親に、
『刀で切った傷は薬をつければ治せるけれど、言葉で切った傷は薬では治せないんだよ』って言われまして。
自分は、悪気もなく言ってしまったんだろうけれども、それで人を傷つけることがあるなんて思いもしなかったんで、言葉は気をつけて使わなければいけないんだって、そのときに学習したんですね。」
(婦人公論 2000.1.7 no1052)
★「言葉が刃になっちゃうことがあるのね。
ただ、それだけじゃない。
刃になるだけだったら黙っちゃえばいい。
でも、それでは言葉がかわいそうなんじゃないかな。」(1993)
★「言葉の傷というのは本当に深いの。
そして私は言葉に対する憧れがすごく強いんですよ。」(1977)
(「中島みゆきスペシャル
もっと みゆきと 深い仲~時代・夜会・そして~」)