身の程知らずの独り言

音楽的にも文学的にもダメダメな♀が、身の程もわきまえず、好き勝手な戯言(主に、中島みゆきさん)を記しております。

「あどけない話」と"夜のゴンドラ" 2("夜のゴンドラ")

2019-09-24 23:26:00 | 中島みゆきさん(旅)
台風13号、15号、そして、17号。

被害にあわれた方には、お見舞い申し上げます。

台風に能天気に遭遇した、不謹慎な旅行記の続きになります。

1「あどけない話」では、旅のきっかけから、台風前日に福島県二本松の高村智恵子の生家・記念館を訪れた時までを記しました。

2"夜のゴンドラ"は、それ以降の話になります。

↑夜のゴンドラです。

こんなのに乗った話です。

よろしければ、お付き合いくださいませ。

智恵子の生家を後にし、バスで駅まで戻り、岳温泉行きのバスで岳温泉に着いたのは夕方5時前。

そのまま「空の庭リゾート」(ホテル)にチェックイン。

連泊する部屋は、シングルとは思えない広さのちょっと秘密基地みたいな部屋でした。
布団が敷かれているのが、ベッドではなく一段上がった場所。
(帰り際に撮ったので、布団がよれてます、、、f(^^;)

そこが秘密基地ぽくって、居心地良かったです。(^^)v

この反対側に、洗面所とトイレ。

本当に広い部屋でした。(^^)v

部屋に落ち着いて、ほどなくして夕食。

↑席には、前菜とカンパチのレモン鍋がセットされていました。

この他、何種類ものお惣菜がバイキングになっており、揚げたての天ぷらもやってきました♪
 
何を食べも美味しくて、とても幸せな食生活を送らせていただきました♪♪♪

夕食も終わり7時前。

1で、この旅にはいくつかの目的があると書きました。

智恵子の生家と、もう一つが↓これです。

私の場合、幻想的なイルミネーションよりも、夜のゴンドラに乗るのが第1目的でしたが。f(^^;
 
運行時間は、19:00~21:00

雨も降ってないし、風も吹いてない現状。 

ただ、台風が近づいています。

そんな中、運行するのか?

あれこれ考えてもしかたないので、ロープウェイ運行元に電話してみると、
「運行する予定で準備してます」
との返事。

ならば!と、フロントでタクシーを呼んでもらって、奥岳へ。 

ロープウェイは、絶賛運行中。

いざ、夜のゴンドラへ。

「夜会VOL.8 問う女」または、「夜会工場VOL.2」の気分♪♪♪♪♪

しかし、ここで最大の失態が発覚!

ゴンドラに乗り込んで、いざ、携帯プレイヤーを出そうとして、、、な・い、、、(・_・;

ホテルに忘れてきた、、、(-_-;)

何のために来たのか、、、(>_<")

自分のドジを呪いながら、眼下に輝くイルミネーションを町の灯に見立てて、
「あなたの言葉がわからない」を脳内再生。

『♪町が綺麗ね 町が綺麗ね 町、綺麗』

上昇とともに、遠ざかるイルミネーション。

『♪町が遠いね 町が遠いね 町、遠い』

『♪あなたの言葉がなんにもわからない
あなたがこの世にいないかと間違える』

暗くなるゴンドラの中で、脳内再生される「夜会工場VOL.2」のみゆきさんと和ちゃん。

みゆきさんの歌声に、重なる和ちゃんの歌声。

ゆるみそうになる涙腺。

脳内再生なので、ゆるみそうで済んだけど、プレイヤーでみゆきさんの歌声を聴いてたら、号泣してたかも、、、。

山頂駅の駅員さんに、泣き顔を見られずにすんだだけ、プレイヤー忘れて良かったかな?

なんて、思いながら約6分間の夜のゴンドラ終了。

山頂駅でも、イルミネーションがお出迎え。

そんな綺麗なイルミネーションよりも、目を引いたのが、真っ暗な中、山頂への登山道を幻想的に照らす灯り。
これは、どこまで続くのか?

先ほどまでの沁々を好奇心が上回って、行けるところまで歩くことにしました。

足元に気を付けながら、進むこと数分。

開けた場所に出ました。

そこに立っていたのが、「ほんとの空」の記念碑。

灯りはここまで。

山頂へと伸びる登山道は、闇の中。

ここが、夜の登山の終点でした。

引き返すと、山頂駅周辺は白くモヤっていて、駅員さんに急かされるようにゴンドラへ。

下りのゴンドラでも、脳内再生。(笑)

奥岳駅無事に到着。

待っていてくれたタクシーに乗ってホテルへ帰り、温泉で汗を流して第1日目終了。

2日目は、台風のため大雨。

ホテルから出れないのは覚悟の上。

1日、ホテルを楽しもう!ということで、

朝食バイキングに舌鼓。

温泉。

そして、カラオケ。
10人以上入れるカラオケルーム。

ミラボールまでついて、超豪華1人カラオケです。(笑)

これで、一時間1500円。

ドリンクは、持ち込みのペットボトル。

ホテルのカラオケにしては、安上がり♪

見たことない巨大なカラオケ機械と懐かしの歌本。

歌本から選ぶのは、何年ぶりだろう?

懐かしさも楽しみながら、何はともあれ、
「あなたの言葉がわからない」から。

歌いながら、ウルウルしてきて自分でビックリ。(*_*)

歌詞が、沁みてくるんですよ。

カラオケって、歌詞をかみしめるというか、再確認効果があると思うんですよね。

沁々したり、発散したり、とても楽しいみゆきさんタイムでした。(^o^)/

あっ、不思議だったのは、最新オリジナルアルバム「相聞」の曲はあるのに、「問題集」がなかったこと。

なので「India Goose」を、歌えなかったのが心残り。(TT)

その後、お試しエステ、温泉、陶盤浴と貸し切り状態で堪能していたら、外に明みが。

午後4時過ぎ、あれだけ降っていた雨が上がって、青空がのぞくまでに。


夜になると、とても綺麗な月も見えるようになりました。

そして、翌朝は台風一過の快晴。

おかげで、夜の登山のその先にチャレンジすることができました。 

「ほんとの空」の記念碑とほんとの空↓

そして、その先へ。 

整備されていて、歩きやすい登山道が続きます。↓

気持ちよく登って行くこと20分。
 
木製登山道が途絶えた所が水浸しで、浅い川状態。

前日の雨の影響ですね

"今日はここまで!"、ということだなと、素直に引き返すことにしました。

ロープウェイで下山。
↑朝のロープウェイ。

まだ、時間に余裕があったので、"あだたら渓谷奥岳自然遊歩道"を一周することに。

遊歩道だし、散歩程度だと思っていたら、アップダウンが激しくて、登山道よりハード。

登山用のストックが、本当に必要になったのは、この遊歩道でした。

登山道を登った時の何倍も汗かくことになりましたし。

でも、汗をかいた甲斐はありました。

烏川沿いに登る遊歩道の景観は素晴らしく、かいた汗の量だけ、浄化された気分。
↑表情豊かな滝がいくつもあり、それぞれに優しい木漏れ日と絶妙のハーモニーを奏でていました。

安達太良山山頂やくろがね小屋には、行けませんでしたが、『ほんとの空』を満喫して帰路に着きました。

以下は、帰路で出会ったオマケです。

↑郡山駅で見た、カラフルな電車。

ゲゲゲの鬼太郎のチャンチャンコに見えませんか?

もう一つ、郡山駅に停車していた金太郎機関車。↓

鬼太郎や金太郎にミーハー心をくすぐられました。

さらに、ミーハー心をくすぐられたのが、福島空港。

ウルトラマンの産みの親、円谷英二氏が福島県須賀川市出身ということで、福島空港にはウルトラマンが飾られていました。

残念ながら、ウルトラマンの写メは人が多くて撮れなかったのですが、旦那へのお土産で買ったピグモンのお酒です。↓

他にも、円谷プロ怪獣シリーズのお酒がたくさんありました。

一番小さくて、安かったのが、ピグモンだったので、これがお土産になりました。(笑)

以上、福島の旅の備忘録でした。

こんな備忘録に、お付き合いいただき、ありがとうございました。(^^)

では、また。(^-^)

コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「あどけない話」と、"夜のゴンドラ" 1(「あどけない話」)

2019-09-23 21:14:00 | 中島みゆきさん(旅)
台風13号、15号、そして、17号。

被害にあわれた方には、お見舞い申し上げます。

これから書くことは、そんな台風に能天気に遭遇した話になります。

不謹慎で、すみません。m(_ _)m

遭遇した台風15号の復旧が完了してからUPしようと思っていたら、17号が発生してしまい、いつUPすればいいのかわからなくなったので、思いきってUPします。

タイミング悪くて、すみません。m(_ _)m

さらに、みゆきさんとは、ほとんど関係ないんです。

特に、この1(「あどけない話」)は。

でも、2にはチラリとは出てこられます、チラリっと。f(^_^;
 
タイトルの「あどけない話」も、みゆきさんの曲のタイトルではありません。

高村光太郎「智恵子抄」の「あどけない話」です。 

紛らわしくて、すみません。m(_ _)m

以下、その不謹慎な旅行記です。

今年は、少し遅めの夏休みを取って、福島県の安達太良山に行ってきました。

突然、何を書いてるんだ?と訝しく思われる方もおいででしょう。

実は、みゆき愛ほどではないですが、高村光太郎の詩も好きなんです。

授業で習った「道程」にひかれ、その後「智恵子抄」の詩の数々に魅了されました。
 
それで、学生時代から「あどけない話」に出てくる安達太良山に何回か登ってたんです。

智恵子が『ほんとの空』と言った安達太良山の空を見に。

高村光太郎詩集「智恵子抄」
「あどけない話」
『智恵子は東京には空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
~中略~
阿多多羅山の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。』

↑薬師岳にある「ほんとの空」記念碑

このことは、3年前に書いた
中島みゆき"歌跡"の旅へ《黒部2・アルペンルート》
にも少し書いてます。

そして、安達太良山に登る度に泊まっていたのが、山小屋には珍しく温泉がある、くろがね小屋でした。

そのくろがね小屋が来春、建て替えのため一時閉鎖する、という記事を読んで、もう一度、智恵子の『ほんとの空』が見たくなったんです。

勿論、くろがね小屋にも泊まるつもりで。

今は膝の調子も悪くないけど、建て替え後はどうかわからないので、今しかない!って感じですね。

サボり気味のストレッチも真面目にして、歩行の助けになるよう、ストックも購入して準備を整えました。

20代の頃は、夜行バスで東京、そのまま東北本線で二本松まで行き、二本松から岳温泉、岳温泉から奥岳までバスを乗り継ぎ、その足で一気にくろがね小屋まで登ったのですが、流石にそれは、無理。

なるべく身体に負担をかけないように、岳温泉で一泊して、くろがね小屋へ向かうことにしました。

後は交通手段。

今は、大阪から福島まで直行夜行バスが出ているのですが、12時間かかるし、、、。

新幹線乗り継ぐのも、時間がかかる。

飛行機は、高い、、、。

何とか少しでも安く、楽して行けないものかと色々検索してみると、飛行機とホテルを組み合わせたプランがありました。

飛行機往復より、ホテルプラスした方が安い!

但し、当初予定していた土日月(7.8.9)は、もう無理。

なので、日月火(8.9.10)の二泊三日で申し込みました。

その時は、台風が来るなどと思わずに。

ただ、くろがね小屋に予約を入れた時には、
"必ず天気予報は確認してください。
無理そうなら三日前くらいに連絡ください"
と言われました。

だから、予定の1週間前から二本松と安達太良山の天気を毎日チェックしていたんです。

すると、台風15号発生のニュースが。

進路予想を見ると関東から東北が通り道に。

これはダメだ。(>_<")

くろがね小屋には、すぐにキャンセルの連絡をしました。

小屋の方も
"仕方ないですね。"とあっさり承諾。

キャンセル料を尋ねても、
"いりません。
今度、天気のいい時に来てください"
と、明るく言ってくださいました。

旅行そのものは、申し込んだ際にカード決済してるので、行けるところまで行くことに決め、ホテルに延泊の打診をしました。

結果、連泊することになったホテルが、大当たりで大変助かりました。
 
9月8日出発。

台風を微塵も感じさせないギラギラの太陽を浴び、福島へ。

福島空港からバスと東北本線を乗り継ぎ、二本松到着が2時過ぎ。

ありがたいことに、空は薄曇りながら台風の気配はゼロ。

今回の旅行では、安達太良山登山以外にもいくつか目的がありました。

その一つが、二本松にある高村智恵子の生家と記念館。

『ほんとの空』がみたいと言いながら、智恵子自体にはそれほど関心がなかっので、今回はじめて、智恵子の生家や記念館があることを知ったのです。

これは、是非とも行ってみたい!と。

2日目以降の予定はどうなるかわからないので、二本松に着いた足で、高村智恵子を訪ねることにしました。

と、ここで高村智恵子について簡単に。

旧姓:長沼智恵子。
1886(明治19)
福島県二本松の造り酒屋の長女として生まれる。
1903(明治36)18歳。
日本女子大学入学。
油彩画に接し、洋画家を目指す。
1907(明治40)22歳。
大学卒業後も洋画家を目指し、東京に残る。
1911(明治44)26歳。
高村光太郎と出逢う。
1912(明治45)27歳。
初めての女性による女性のための文芸誌「青鞜」創刊号の表紙絵を描く。
1914(大正3)29歳。
高村光太郎と結婚。
1929(昭和4)44歳。
実家である長沼家破産。
1932(昭和7)47歳。
自殺未遂。
肋膜に病を抱え病気がちだったことに加え、実家の破産など精神的にも追い込まれ、統合失調症に。
1935(昭和10)50歳。
精神的な病状が悪化、ゼームス坂病院に入院。
1935(昭和13)10月5日没。53歳。
1941(昭和16)8月。
高村光太郎、詩集「智恵子抄」上梓。

以上、智恵子の本当に簡単な略歴でした。

それでは、智恵子の生家と記念館に。

上記のように、智恵子の生家は「花霞」という銘柄のお酒を造る、「米屋」という屋号の大きな造り酒屋でした。

智恵子の弟の代で破産して手放したはずですが、店舗兼住居の堂々たる旧家がそのまま残っていたんですね。

まず、そのことに感動。

そして、幸運なことに、生家の二階の智恵子の部屋が期間限定公開中だったんです。

旧家の二階に上がれることって、滅多にないのでテンションUP!

二階に上がると、智恵子と家人の部屋が三部屋ありました。

ただ、間取り図には、杜氏部屋と女中部屋も二階となっているのに、土壁で行き止まりになっている???

降りて、もう一度一階部分をよく見ると、杜氏部屋へ上がる階段と女中部屋へ上がる階段がそれぞれありました。

家人と使用人、男と女。

きっちり区切るのは、当たり前かもしれませんが、そのために階段が3ヶ所あるというのは、なんとも贅沢な気がします。

「智恵子の半生」で光太郎が 
『彼女は裕福な豪家に育ったのであるが、或いはその為か、金銭には実に淡白で、貧乏の恐ろしさを知らなかった。』と書いていたのを思い出しました。 

確かに、ちゃんとした豪家で育ったんですね。

この豪家は、病気がちだった智恵子にとって避難場所でもあったようです。

光太郎は、「智恵子の半生」で病弱な智恵子を
『田舎の空気を吸って来なければ身体が保(も)たないのであった。
彼女はよく東京には空が無いといって嘆いた。』
と書いています。
 
これが、「あどけない話」の基ですね。

上記に続けて、
『私の「あどけない話」という小詩がある。』
と続け、「あどけない話」を載せていますから。
 
下は、裏庭に面した座敷にあった機織り機で、そんな帰省中に智恵子が習っていたものです。

『ー 私は口をむすんで粘土をいぢる。
 ー 智恵子はトンカラ機を織る。』
(「同棲同類」)
と光太郎が詠んだ智恵子の機織りのルーツです。

智恵子が東京の家で、
"トンカラ機を織って"いたのは、送ってもらった別あつらえの機織り機だそうです。

やはり、豪家ですね。

裏庭から道を挟んで、智恵子記念館があります。

戦火を逃れた初期の油絵や雑誌「青鞜」の表紙絵など智恵子の芸術家としての軌跡が、光太郎の詩とともに、響き合うように展示されています。

特に、精神を病んでゼームス坂病院に入院してから作成された数々の"切紙絵"の素朴な美しさは、胸に迫りました。

智恵子は、その"切紙絵"を自分の仕事とし、毎日作成に没頭していたそうです。

それは、看護してくれていた姪の春子にも見せず、見舞いに来る光太郎にだけ見せるために。

光太郎は、"切紙絵"を見せる時の智恵子の
『恥ずかしそうな、うれしそな顔が忘れられない』
と、綴っています。
 
その"切紙絵"の実物を見れたことに感無量。

その余韻に浸りながら記念館を後にすると思っていたら、最後に出入口にあった智恵子の言葉に、ガツンとやられました。

光太郎が描く智恵子は、人見知りで、優雅で、無口で、控え目で、一途なかわいい女性。

私もそのイメージで、高村智恵子をとらえていました。

智恵子の言葉を読むまでは。

「世の中の習慣なんて、どうせ人間のこさえたものでしょう。
それにしばられて一生涯自分の心を偽って暮らすのはつまらないことですわ。
わたしの一生はわたしがきめればいいんですもの、たった一度きりしかない生涯ですもの
高村智恵子」

正直に書くと、上記は後から検索したものです。 

写メ禁止で、書き写す時間がなかったので、一字一句合っているのかは自信がありませんが、同じものだと思います。

この言葉を見て、今まで、光太郎を通してしか見ることのできなかった智恵子の本当の姿が見えたような気がしました。
 
確かに、「智恵子の半生」で
『彼女はやさしかったが勝気であった』
と光太郎は書いています。

しかし、その勝ち気さは、全てのことを自分の胸に納める勝ち気さだと書かれています。

曖昧さや妥協も許さない勝ち気さ。

それゆえ、四六時中張りつめた弦のようになって、それに耐えきれなくなったのだ、と。

だから、こんなに、自分を強く持った人だとは思ってなかったんです。

平塚らいてうらの「青鞜」創刊号の表紙絵を描いているので、女性の自立や女性運動には関心はあったんでしょうけど、そのイメージってなかったんですよね。

光太郎を通したイメージしかなかったから。

ああ、でも、よく考えたら、だから、光太郎との愛を貫いたんですよね。

自分で決めて、一途に。

精神を病んでも、光太郎に見せるためだけに、切紙絵を作り続けたんでしょうね。

この言葉は、胸にズシンと響きました。

そして、頭の中では、
『♪彼女の人生 いつでも晴れ』
(「彼女の生き方」)
と、みゆきさんの歌声が響きました。(笑)

そんな智恵子の言葉を書きたくて、長々と書いてしまいました。f(^^;

旅の1日目前半で、十分長尺になってしまった。

ここで区切ります。

夜のゴンドラは、2で。

中途半端で、すみません。m(_ _)m

それでも、長々と読んでいただき、本当にありがとうございます。(^^)

では、2でまた。(^-^)
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中島みゆき"歌跡"の旅へ《東京・忘れ物》

2019-03-18 01:16:00 | 中島みゆきさん(旅)
2016年に「夜会VOL.19 橋の下のアルカディア」で上京した時、
・渋谷の元「ヤマハ エピキュラス・スタジオ」
(中島みゆき"歌跡"の旅へ《東京・楽園》)
・武道館
・両国国技館
・渋谷Bunkamura
・NHK
・ニッポン放送
・東京国際フォーラム
(以上、中島みゆき"歌跡"の旅へ《東京・おまけ》)
に、寄って来ました。

その時、完全に失念していた場所が1ヵ所。

中島みゆき"歌跡"の旅へ《東京・おまけ》を書いた時に、その忘れ物に気付き、以下のように記しています。↓

"シアターコクーンから次が、赤坂ACT だと思っておりました。
この記事を書くのに、データブックで確認していたら、シアターコクーンと赤坂ACT の間に青山劇場が1回あったことがわかって、内心焦っています。(^o^;)
「夜会VOL.14 24時着00時発」(2006)です。
初めて、大阪公演が実現した時です。
大阪公演が、嬉しくて舞い上がっていたのか、東京公演のことは全く記憶になかったんです。
なので、青山劇場はノーマーク。
次に上京した時に、足を延ばそうと思います"と。

そんな、記憶力がないばかりに、失念してしまってた
「青山劇場」にやっと行って来ました。

と、言っても「青山劇場」は、劇場のある「こどもの城」ごと2015年2月には、閉館していたんですね。

この「こどもの城」(国立総合児童センター)は、厚生労働省の管轄で、閉館後は、東京都が購入し、「首都災害医療センター」にする予定だったようです。

しかし、医師会と揉めてるうちに、知事が変わってしまい、未だに閉館時のまま残っていました。

モタつくお役所仕事のお蔭で、閉館中とは言え、その外観を見ることができたのは、ラッキー。↓



嬉しいことに、岡本太郎作のシンボルモニュメント「こどもの樹」も健在。↓



"ここで、岡本太郎先生の作品に出会えるとは!"
と感激のあまり、雨の中で写メを撮りまくってたら、持ってた紙袋が崩壊して、、、私って、ホント、雨女なんですよね。(TT)

それでも、雨にも負けず、閉鎖されてる「こどもの城」を一周。



↑ここで、出待ちしてたのかしら?とか妄想しまくって帰路に着きました。

で、その帰りの新幹線の中で、ハタと気付いたことが、、、。

「青山劇場」と同じく閉館になった場所があること。

2006年1月27日~2月24日の
「夜会VOL.14 24時着 00時発」
東京公演は、青山劇場。

そして、
2006年4月27日~5月14日の
「夜会VOL.14 24時着 00時発」
初の大阪公演は、
シアターBRAVA!。

そうです、大阪公演が行われていた
「シアターBRAVA!」も2016年5月31日をもって閉館されていたのです。

「青山劇場」より1年遅い閉館でしたが、そこは民間から民間への譲渡。

いつまでもそのまま、という悠長なことはありません。

現在は、
"コナン君(名探偵コナン)のおかげ"
で、読売テレビ新社屋に生まれ変わろうとしています。

「夜会」大阪公演及び、「夜会工場VOL.1」大阪公演で訪れた
「シアターBRAVA!」
は、今は跡形もなくなっています。

で、その何回も訪れた
「シアターBRAVA!」
の写メって1枚も撮ってなかったことに、改めて気付いたのです。

"「歌跡」の旅"なんてカッコ付けながら、一番身近な場所を忘れていたなんて、、、(>_<")

東京の忘れ物は、お役所仕事のおかげで残っていたのに、、、トホホです。(・・、)

今まで滑り込みセーフだったのが、とてつもない幸運だったんだと痛感しました。

この時、頭の中を何となく、駆け巡ったのが、
「浅い眠り」。

『♪ああ二人気づかない
失ってみるまでは
誰が一番ほしい人なのか
何が一番つらいことなのか』

旅と言うには、近すぎましたが、
「シアターBRAVA!」
を"歌跡"に残せなかったのは、痛恨の極みでした、、、(>_<")

まあ、これは、あくまで私にとっては、ですけどね。(・_・;

以上、東京の忘れ物は何とか回収できたけど、もっと大きな忘れ物をしていたことに気づいた、というトホホなお話でした。f(^_^;

そんなトホホな記事を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。(^^)

では、また。(^-^)
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(番外)中島みゆき"歌跡"の旅へ《再びの"くろよん"》

2018-09-16 04:04:00 | 中島みゆきさん(旅)
懲りもせず、再び"くろよん"に行ってまいりました。

これは、そのご報告記事です。

ですが今までの"歌跡"の旅とは、余りにも趣が違う、情けない旅になってしまいましたので、(番外)としました。

本当に、トホホの連続なので笑い話としてお読みいただければ、幸いです。f(^_^;

突然、みゆきさんの歌われた黒部に行ってみたいと思い立った2年前。

色々検索した結果、黒部ダムどころか、黒部川第四発電所"くろよん"見学会があることを知りました。

と、そんな経緯と説明を書いたのが、
中島みゆき"歌跡"の旅へ《序章》
中島みゆき"歌跡"の旅へ《黒部 1・準備~1日目》

この時は、行けることだけで満足してしまい、それ以上調べるという考えが全くなかったんです。

そんな不勉強な私は、"くろよん"見学会ご一行様について行くのが精一杯でした。

その"くろよん"見学会の様子を書いたのが、
中島みゆき"歌跡"の旅へ《黒部3・くろよん「地上の星」》
でした。

思い入れと思い込み、妄想と暴走を目一杯詰め込んだ、傍迷惑な超長文記事をUPさせていただき、それで完結のはずだったのですが、、、(-_-;)

実は、見学会終了時から"ああすれば良かった"、"これ忘れてた"、そんな忘れ物のオンパレードだったんです。

今年、色々あってどうしても、その忘れ物を取りに行きたくなりました。

ただ、いくら取りに行きたいと言っても、見学会に当たらなくては行けないのですから、運次第だったのですが、何と今回も当たることができたのでした。

で、この度、再チャレンジして来たんです。

何を忘れていたか、その一番大きな忘れ物は、みゆきさんが実際に歌われた場所、通称"みゆき広場"に行ってないこと。

上部専用鉄道では通ったので、正確には立っていないとなります。

昼食をパスして、是非とも"みゆき広場"に行く!

そこで、「地上の星」を聴く!

できることなら、紅白バージョンと「歌旅」バージョンを続けて。

と言うのが、今回の最大の目標です。

その目標がどうなったかは、すみません後ほど書きます。f(^_^;

まずは、トホホな旅の始まりから。

今回の出発日は、アッケラカンと月イチ終了が告げられ翌々日になります。
(厳密には翌日かな?)

いつも以上に月イチの記事を書くのに手間取って、記事をUPしたのが深夜3時前。

書きながら、何度か意識が飛んでたんですが、UPした安心感からか、完全に落ちてしまいました。

9時前のサンダーバードの指定を予約していたので、5時か遅くても6時には起きなくてはならない。

寝不足は、サンダーバードで解消しようなど考えていたのですが、、、(-_-;)

目が覚めた、、、?

目覚ましの音も、みゆきさんの歌声も聞こえないのに、目が覚めた???(*_*;

まあ、鳴る前に目が覚めることはよくあることと、枕元のスマホを見ると、6:20。

"ヤバい!"と、飛び起きる。ヽ(ill゚д゚)ノ

大急ぎで支度すれば、何とか間に合う!

と、思った私の目に飛び込んできた目覚ましの文字盤は、何と"9:20"。

"え"っ?"(*_*;

何が起こったか、理解できない私。( ゜o゜)

もう一度、よく時計を見て、念のためテレビを点けてみる。

テレビに映る時刻も、"9:20"。

何のことはない、スマホを反対から見て、9を6と間違えていたんです。
(その上、何故かスマホはマナーモード)

完全にアウト!ヽ(ill゚д゚)ノ

"バカだぁ~"(>_<")

と、一瞬頭が白くなりました。

今まで、寝坊でトチったことがなかったので、油断してました。

月イチをリアルで聴いて仕事行って、帰って月イチの報告をUPしたのが、3時前。

2時間仮眠して、寝不足はサンダーバードで補えるなんて、自分のこと過信し過ぎてました。

歳ですね、、、f(^_^;

ただ反対に、齢(よわい)を重ねてきたからこそ、諦めが早くなっているのか、パニックは本当に一瞬でした。

よく考えると、前回と同じく「立山黒部アルペンきっぷ」だったので自由席なら乗れるはずだなと、思い至って一安心。(^。^;)

指定席が、パーになっただけなので、私の隣の席の方が広く使えてラッキーなだけかもしれない。

ただ、もし、指定がいっぱいで泣く泣く電車の時間を変えた方とかいらっしゃったら、申し訳ございませんでした。m(._.)m

それにしても、周遊券のありがたさ。

JRさん、ありがとうございます。

"道理で、頭が重くなかったわけだ"、と変なことに感心する余裕もでてきたりして。(笑)

3時間ではなく、6時間以上寝られたので、当然なんですけど。f(^_^;

初日は移動だけだ!と、完全に開き直り、サッと掃除と洗濯までして、13時前のサンダーバードに無事乗車。

寝られた分、体調も良くて"災い転じて福と成す"かなと思いきや、第2のトホホ、、、(-_-;)

実は、5月に右膝に水が溜まって、ずっとリハビリしています。

運動部時代からの持病なんです。(TT)

その右膝が、最近また思わしくなくて、先週2回リハビリに通って落ち着いたと思っていたのですが、、、(--;)

この日、普通に動くのは大丈夫なのに、階段の登り降りがちょっと違和感があって、、、。(-_-;)

違和感だけだからと、出発したのですが、サンダーバードに座ったあたりから別の違和感が。

ズボンの右脚側が、キツイんです。

右膝に巻いてるサポーターもキツくて、ズボンもキツイ。

"腫れてる?"(*_*;

座ってるから、右膝が痛いわけではないのですが、食い込んでるサポーターが痛い。

とりあえず、サポーターを外すもズボンはキツイまま。

やはり、腫れてる、、、(>_<")

サンダーバード、北陸新幹線と乗り継いで何とか富山着。

とりあえず、迷いながらも駅の近くの整形外科へ。

膝を見たセンセイ(医師)、
「見事に腫れてるね。
お仕事?」

「いえ、明日からアルペンルートに行く予定で、、、」f(^_^;

顔を見合わす、センセイと看護師さん。(-_-;)

幸い抜かなくちゃいけないほど水は溜まっていなかったので、レントゲンを撮って、応急措置として膝にステロイドの注射をしていただきました。

「これで、腫れはひいてくると思うけど、無理はしないようにね」
と、ちょっと呆れられながらも、とても親切にしてもらいました。

湿布薬と痛み止めの処方箋をもらって、薬局に行くと、ここでも、
「お仕事ですか?」
と、訊かれ、

「いえ、明日からアルペンルートへ行く予定で、、、」f(^_^;

「まあ、お大事に」
と、ちょっと驚かれながらも、優しく言っていただきました。

お陰で、翌朝には痛みも腫れもひいてくれました。

○○センセイ、本当にありがとうございました。m(._.)m

富山の診察券が、会社では一番ウケました。f(^_^;

そんなトホホな1日目を何とか乗り気って、2日目。

○○クリニック様のお陰で、痛みと腫れは引いてくれたのですが、違和感はしっかり残っていました。

メインは翌日の"くろよん"見学会。

なので、大人しくアルペンルートの乗り物を楽しむことに。

アルペンルートの詳しい記録は、
中島みゆき"歌跡"の旅へ《黒部2・アルペンルート》
をご覧ください。

アルペンルートの最初の乗り物は、立山行きのダブルデッカー車。↓



今回は、ダブルデッカーの1階指定を取りました。


案の定、ダブルデッカーの1階指定をわざわざとる物好きは、私だけでした。


貸し切り状態。


↑は、普通より低い1階からの景色です。

この少し低い1階からの景色を堪能して、立山へ。

立山からは、ケーブルカーと高原バスを乗り継ぎ、室堂です。

この室堂では、前回時間的に断念した、玉殿岩屋(たまどののいわや)にチャレンジするつもりでした。

しかし、自然保護センターで、
「雪解けの悪路で非常に歩きにくいよ」
と言われたので今回も断念。(TT)

それでも、何とか、立山室堂だけは再訪してきました。

室堂から立山トンネルトロリーバス、ロープウェイ、ケーブルカーを乗り継ぎ黒部ダムへ。

黒部ダムは、予想外の30℃越え。

狂暴な日射しに、驚きました。

台風の影響のフェーン現象とかで、連日記録的な暑さだそうです。

台風が2つも直撃してた中、雨に合わなかったのは幸いでしたが、予想外の暑さには参りました。

と言うのも、山の寒さを考えたダウンジャケット他の防寒具フル装備と、台風に備えた防寒具にもなるレインウェア上下が詰まったリュックがずっしりとのしかかっていたからです。

前回の経験から、防寒具はアルペンルートで着ることになるから、軽くなっていくと思っていたのに、、、(-_-;)

一番気温が低い室堂でも、長袖シャツ1枚を余分に羽織れば十分。

黒部ダムでは、そのシャツさえ脱がざるを得ない暑さ。

荷物が軽くなることもなく、右膝も気になるので、黒部湖遊覧やダム散策は取り止めて、宿に連絡して予定よりずいぶん早くチェックイすることにしました。

前回と同じ宿です。

この宿は食事も美味しいのですが、色々細かい心遣いがありがたい宿なんです。

今回一番ありがたかったのが、自由に使えるレンタル竹籠。

お風呂へ行く時とか、重宝しました。

なので、ゆっくり休んで"くろよん"見学会に備えることができました。

翌朝は、しっかり朝食を取って、大町温泉郷からバスに乗り込み扇沢駅へ。

扇沢駅では、待望の"中里さんキーホルダー"をご本人より購入し、↓


こんな言い方は、失礼かもしれませんが、本当に嬉しそうな中里さんが、かわいかったです。(^^)

今年で最後になる、関電トンネルトロリーバスに乗って、黒部ダムへ。↓

中央に、"トロバスラストイヤー"の文字があります。

集合時間より1時間ほど早く着いたので、朝の黒部ダムを散策しました。


朝日の中の慰霊碑です。

さて、ここからいよいよ「黒部ルート見学会」("くろよん"見学会)です。

と言っても、詳しい行程や内容は省きます。

行程や内容は、少し長いですが、
中島みゆき"歌跡"の旅へ《黒部3・くろよん「地上の星」》
をご参照ください。

この時の感動は、私の中の大切な宝物になっています。

それを感傷的にまとめたのが、《黒部3・くろよん「地上の星」》
でした。

2回目の今回は、正直
《黒部3・くろよん「地上の星」》
に書いたような純粋な興奮や高揚感は、ありませんでした。

しかし、落ち着いて案内人さんのお話を聞き、資料映像を見ることができ、改めて黒部川の開発の歴史の重みを認識することができました。

特に、関係者(案内の方々)のお話は、ジョークを交えながらも、胸にくるものがありました。

ほとんど、《黒部3・くろよん「地上の星」》を書く時に調べた内容と同じでしたが、資料を読むのと関係者から話を聴くのでは大違い。

基礎知識を持って聴いたから、よくわかったというのもあるとは思いますが、声や表情から先人たちへの敬意や
"伝えたい!伝えていかなければ!"
という使命感みたいなものを感じました。

それは、紅白の時の話をされた時も同じでしたよ。

使命感とは違うけど、誇らしげに話されていたのが印象的でした。

その"くろよん"見学会は、前回撮り損ねた写真を中心に。↓


まずは、バスで地底トンネルを進みます。

途中下車したトンネル↓

記録的な暑さがウソのような寒さです。

やっと、防寒具にもなるレインウェアを着ることができました。f(^_^;

バスから地下式ケーブルカー インクラインに乗り換え、一挙に456㍍下の黒部川第四発電所まで。

今回のインクラインは、B号車でした。
(みゆきさんは、A号車でした)

インクラインの中では、ちゃんと紅白の「地上の星」の映像が流れました。

みゆきさんが、月イチで初めてこの見学会のことを知ったようだったので、ヤマハから抗議がきてるかも、とドキドキしていましたが、ヤマハさんは太っ腹でした。(笑)

黒部川第四発電所駅に到着。

紅白で映った、あの時計です。

入口は、二重になっています。

奥の正面玄関。

最初の時、地下の秘密基地を想像していたので、あまりの普通さに拍子抜けした玄関です。(笑)

この玄関から一歩中に入ると、地底にいることを忘れるくらい快適な空間が出現します。

60年近く前に造られたとは思えない、キレイさです。

発電所内には、階段もエレベーターもあります。

地下の発電所なのですが、エレベーターの表示は、確か入口ある階が1階で、それより上が2階3階。

それより下が地下になってたと思います。

階段で、2階に上がり、大会議室でダム及び発電所の説明を受けます。

巨大なジオラマを囲んで着席。
(人を避けながらで、上手く撮れてなくてすみませんf(^_^;)

説明の時は、このジオラマが動いたり光ったりします。

会議室での説明の後、発電所内の見学。

そして、会議室に戻って昼食タイムです。

あからさまに昼食を食べずに、みゆき広場に向かうのも気が引けたので、とりあえずトイレに行くことにして、自然に部屋を出ました。

トイレから出ると、会議室の入口に先ほど説明をしてくれた関電職員さんが。

"これは、チャンス!"と、

「中島みゆきさんが、紅白で歌われた場所に行きたいのですが」
と尋ねると、

「ああ、あそこは、保安上、一般の方の立ち入りは禁止されています」
とあっさり拒否。

「紅白の時のパネルが飾られていると聞いたのですが」
と食い下がると。

「場所がわかるように、パネルは飾っています。
移動する時に、ご案内しますよ」
と、にこやかに説明してくれました。

なんと!
私が、忘れ物だと思い込んでいた所は、最初から行けない場所だったんです。

冷静に考えたら、トロッコ(正確には駆動車と耐熱式客車)の行き交う狭いトンネルに一般人がウロチョロしてたら危険ですもんね。

我ながら、自分の浅はかな思い込みを反省。(-_-;)

ヘッドライトまで持参したことが、恥ずかしい!(>_<")

ただ、行けない場所だということが、はっきりしたので、2年間のモヤモヤした気持ちは晴れました。

来た甲斐がありました。(^^)v

みゆき広場に行けないことがわかったので、会議室の隣のみゆき部屋に。

前回、人が多くて撮れなかった、部屋全体とか、みゆきさんが休まれたソファーとかをじっくり撮ろうと思ったら、もう、先客が、、、(-_-;)

先客を微妙に避けて撮った、室内写真です。↓


みゆきさんが休まれた、奥のソファー。↓


そして、前回載せた、みゆきコーナーの中の集合写真。

肝心のみゆきさんの写りが悪くて、すみません。

しかし、これを載せると、
"ヤマハさんに叱られる"かな?

叱られたら、削除します。

それまで、お楽しみください。

みゆき部屋も人でいっぱいになってきたので、早めに上部専用鉄道の乗り場に降りて、ゆっくり写真を撮ることにしました。

しかし、廊下の左右に階段があり、どちらから降りたらいいかわからなくなって、給湯室にいた職員の方にきくことに。

その方は、予定時間より早いため玄関がまだ閉まってるから開けてあげるよと、親切に案内と解錠をしてくださいました。

その上、関係者以外立ち入り禁止の黒部ダムの通路から撮った放水の写真も見せてくださったのです。

間近から撮った放水写真は、迫力満点でした。

ダンディーな職員さん、本当にありがとうございました。(^^)v

実は、先に載せた時計や玄関の写真は、この時に誰にも邪魔されずに撮ったものです。

そして、上部専用鉄道の写真↓です。

このトンネルの奥に、みゆきさんが歌われたみゆき広場があるんです。

その場に立てなかったのは、残念ですがトンネルを眺めながら聴いた「地上の星」に2年間のモヤモヤを吹き飛ばしてもらいました。

ただ、移動の時間が迫ってきたので、残念ながら最後まで聴くことはできませんでしたが、スッキリしました。

時間になり、上部専用鉄道で移動です。


案内の職員さん一人と見学会参加者10人が、耐熱式客車に分乗。


職員さんの説明を聞きながら進みます。

私が、乗った客車の担当職員さんは、何と!紅白で、あの時計と共に映っていた職員さんでした。

なので、まずは、紅白のこぼれ話から。

くろよんの電圧が200Vなので、放送で使用する100Vに変圧するのが大変だったこと。

そして、何とか放送用機材を動かせるようになった後、本番に備えて、みゆきさん側からヘアメイクをしたいのでドライヤーを使いたいとの要望があって、慌てたこと。

その理由が、おバカな私にはイマイチ理解できなかったのですが、とにかく、ドライヤーは発電所側の想定外だったようです。

"紅白で歌うんだから、髪を整えたいと言うのは、もっともなんたけど"
と仰った後が聞き取れなかったんですが、調整が大変だったみたいです。

紅白が終わった後の年越し蕎麦120人分を作るのも、凄く大変だったんだと言いながら、そんな様々な大変さを克服して、やり遂げたんだという自負心が言葉の端々に滲み出てました。

みゆきさんが食べたお弁当(みゆき御膳)の写真も、見せてくださいました。

"歌は、上手かったよ。
感動したね。
生で聴いたもん"
と、本当に誇らしげに紅白の話を締めくくられました。

みゆきさんのお話は、ここでおしまいです。

ここからは、職員さんの説明を聞きながら高熱隧道を通り、仙人台駅で途中下車して欅平駅に繋がる竪坑エレベーターへと向かいました。

資材やトロッコを運べる超大型エレベーター、竪坑エレベーターで200㍍を一挙に降下します。


工事用トロッコに乗り換えて、終点黒部渓谷鉄道欅平駅に到着。


ここで、黒部ルート見学会は解散です。

私の2年間のモヤモヤを晴らす"くろよん"見学会の終了です。

変な思い込みで、みゆき広場に立てなかったと後悔し続けて2年。

自分の後悔が、全く的外れだったという、ある意味トホホな結末でした。

しかし、人生の後悔を一つ減らすことができて、気分はスッキリ。

金銭的にも、日数的にも、体力的にも、キツイ旅でしたが、行った甲斐がありました。

と、自己満足に浸りながら、また長々と書いてしまいました。

すみません。m(._.)m

この後をサラッと書いて終わります。

欅平駅から黒部渓谷鉄道で、宇奈月駅まで行き、宇奈月温泉駅に移動して富山地方鉄道で新黒部駅下車。

歩いて3分の黒部宇奈月温泉駅で、北陸新幹線に乗り換えて富山へ。

乗り換え時間が、タイトだったので焦りましたが、富山には、前回より1時間以上早く着くことができました。

お陰で、早めに休むことができて、体力回復。

最終日に、路面電車にも乗り、富山市ガラス美術館に行くこともできました。

図書館も併設している美術館で、広い吹き抜けと木とガラスのステキな空間でした。

下から見上げると↓


そして、上から図書館方向。


本当に居心地のいい美術館だったので、時間が許す限り堪能して帰路に着きました。

これで、本当に旅の終了です。

月イチの前に、本当に、長々とお付き合いくださいまして、ありがとうございました。(^^)

月イチは、事情があってUPに時間がかかるかもしれません。

それもあって、月イチ前に長々と書いてしまいました。

どうなりますやら。

本当に、お疲れ様でした。

お読みいただいて、本当にありがとうございました。(^^)

では、また。(^-^)
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中島みゆき"歌跡"の旅へ《合歓の郷・前》

2017-10-08 22:11:00 | 中島みゆきさん(旅)
「泣かないで・女歌」に出てきたミュージックキャンプがあった合歓の郷、現ホテルネムに行ってきました。

辞めるの、続けるの、と騒いどきながら暢気に旅行行ってるんじゃないよ‼️
と、お怒りの方もいらっしゃるかもしれません。

本当に、お騒がせして申し訳ございません。m(._.)m

それでも、お読みいただいて、ありがとうございます。(^.^)

と、はじめましたが、いつもの如く、"合歓の郷"に着くまでが長いので、前置きを含めて、"合歓の郷"到着までを《前》、到着後を《後》にしました。

"合歓の郷"だけでいいよと言う方は、《後》まで少しお待ちくださいませ。(笑)

前置きから、付き合ってやろうと言う心の広い方(笑)は、引き続きよろしくお願いいたします。(^^)

では、前置きから。

昨年、つま恋、くろよん、東京と、勝手にみゆきさんの"歌跡"を追っかけて記事にしてきました。

そうやって勝手に追っかけていて、1ヶ所悩んだ末に見送った場所がありました。

それが、今回の"合歓の郷"です。

読んでくださった方の中にも、1ヶ所足りないと感じた方がいらっしゃったんじゃないでしょうか?

昨年、"合歓の郷"を見送った第一要因は予算でした。

くろよん見学が、決まったことから思いたった"歌跡"への旅。

だから、黒部行きの予算は削れない。

その上、「夜会」もある。

小銭貯金だけでは、不可能でした。

しかし、不幸中の幸いというのか、乳癌の手術をしたことで、幾らかの保険金が出たんです。

手術代や入院費、放射線治療費を差し引いても若干プラス。

本来なら、再発に備えて残しておくべきなんでしょうが、病気で得たお金を残しておきたくなかったんですよね。

厄払いに、使いきりたいと。

そう思って、くろよん見学に応募したんです。

その予算内で、もう1ヶ所行けそうだ、と考えた時に浮かんだのが、"つま恋"と"合歓の郷"。

さすがに、2ヶ所となると「夜会」にしわ寄せがいくので、絞ろうと。

で、つま恋を選択したのでした。

ポプコンとシークレットゲストのつま恋の方が、魅力的だったんです。

それに対して、合歓の郷は、ヤマハから経営が変わっているので、ヤマハ時代の名残がないんじゃないか、行くだけ無駄かもしれないという思いがありました。

その上、宿泊しないと日帰りでは見学できないみたいで、その宿泊代が中々高額なんですよ。
(今は、日帰りできるみたいです)

また、リゾートホテルに1人というのも
"何だか、、、f(^_^;"だったので、
"合歓の郷は、いいか"と、思っていたんです。

それが、今年はじめての月イチで、みゆきさんが、
"(合歓の郷で、)てんこ盛り、ノラ孔雀を見た"話をされたのを聴いて、やはり、一度行ってみたいなと思ったんですね。

月イチでのみゆきさんの発言は、以下の通りです。
 
「最初に見た時は、湯タンポ落ちてんだと思いました。
後ろ姿の雌だったんですよ。
見事な尻尾もなしで、山道のど真ん中にポテっと、灰色の丸い物体が。
なんでここに、湯タンポが?と思ったら、
"何か用か?"と振り返ったら、ああ、孔雀だ、、、。
というのが、最初でしたけどね。
それから、もうゾクゾクとそこら辺にいましたが。
孔雀は、よくいるもんなんですねぇ~♪
ホントか?(小声)」

現在、ノラ孔雀がいるとは思いませんが、かつて湯タンポのようなノラ孔雀がいた場所を見てみたいなあ、と。

それから、合歓の郷についてチャンと調べてみました。

すると、もうないだろうと、頭から決めつけていたヤマハの名残があった!

それも、ミュージックキャンプそのものが、、、( ゜o゜)

しかし、昨年8月末で閉鎖されておりました。(-_-;)

あ"~、タイムオーバー( ̄□ ̄;)!!

昨年、もっとチャンと調べるんだったと後悔しても、後の祭り。

経営が変わって、ヤマハの名残がないだろうと、勝手に思い込んだ、自分の愚かさに涙です。ρ(・・、)

『♪限りない愚かさ 限りない慕情』
(「慕情」)

しかし、後悔したからと言ってどうにもなるものではありません。

『♪としをとるのはステキなことです』(「傾斜」)
と思えることの一つに、諦めが早くなったことがあります。

残りの時間が短いから、後悔している時間が勿体ないと思うようになったんですね。(笑)

終わったものは、仕方がない。

でも、まだ、1年、何らかの名残は残っているかもしれない。

そんな思いで、今年中に"合歓の郷"へ行くことを心に決めたのでした。

しかし、1月、2月は、リスペクトライブ「歌縁」があり、3月以降は仕事が忙しくて休める状況になかったので、夏休みに行く計画をたてました。

前にチラッと書いたのですが、仕事はカレンダー通りなので、交代で9月末までに夏休みを取ります。

ただ、今年はずっと仕事が忙しく、中々休みを決められず、やっと調整がとれて休みが決まったのが、月イチも終わった8月も下旬。

日がないので、予約がとれないかな?と、サイトを覗くと、希望日が土日の絡まない平日だったので、めでたくゲット!(^^)v

一泊朝食付き、お1人様。

朝夕2食付きになると、「夜会」を越えてしまいますので、朝食のみにしました。
(朝食のみでも、「夜会工場」より「夜会」に近いお値段なものですから(^^;)

満天の星空を見ながらの焚き火カフェ(コーヒーと焼きマシュマロ付き)という魅力的なイベントも付いているので、夜はそちらを楽しみにすることにしました。

と、めでたく予約も取れた翌日、眼科に行って「緑内障」の診断を下されたのでした。

これまた、
"昨年、合歓の郷に行っておけばよかったのに"
と後悔し、キャンセルするか悩みました。

しかし、ここでキャンセルして治るものでもないし、行けるうちに行かないと、それこそ後悔しますもんね。

そして、せっかく"歌跡"に行くなら、ブログを書かなくては!とやる気になりましたし。
(ただ、書くのに異常に時間がかかってますがf(^_^;)

そんな、こんなで夏休みは、合歓の郷に決定です。

いつもの如く前置きが長くて、スミマセン。m(._.)m

やっと、出発です。

せっかく、伊勢志摩へ行くなら特別特急"しまかぜ"に乗りたいなと思ったのですが、いくら平日でも数日前だと都合のいい時間帯は全滅でした。(TT)

しかし、ちょうどいい時間に伊勢志摩ライナーがあったので、そちらのチケットを購入。

前にブログに載せた伊勢志摩ライナーは、車体カラーが赤でしたが、今回の伊勢志摩ライナーは黄色です。

その伊勢志摩ライナーです♪↓

ロゴもかわいいでしょ♪(^^)

この伊勢志摩ライナーには、カラフ
ルなツインシートやカルテットシートのあるサロンカーがあります。↓


また、前の記事に載せたデラックスシートのあるデラックスカーという特別車両もありますが、今回は、特別料金のかからないレギュラーカーになりました。

それしか空いてなかったのです。

しかし、それが私にとってはテンションアップ⤴️

実は、デラックスカーだけでなく、サロンカーも乗ったことがあるんです。

なので、キレイなブルーのシートに一度乗ってみたかったんです。

憧れのレギュラーカーです。↓

何といっても、色とデザインが好き♪

二人掛けですが、シート幅も前後長も十分で窮屈さは感じません。

新幹線の5列より、断然快適でした。

その伊勢志摩ライナーに乗ること、2時間半、終点賢島に到着。

賢島の駅からホテルネムまでは、送迎バスがあるのですが、これは予約制です。

基本、前日の17時までに予約がいります。

と、偉そうに書いてますが予約制だと知ったのは当日の朝。

伊勢志摩ライナーに乗る前でした。

プリントアウトした送迎バスの時刻表を確認していると、何やら但し書きが、、、(-_-;)

よく見ると、
"前日17時までにお申し込みください。
ご予約が無い場合は運行していません。"と。

『予約なんか、してない、、、。
どうしよう、、、。
タクシーなら、手前の鵜方駅で降りた方がよさそうだし、、、(汗)』(-_-;)

とりあえず、ダメ元でホテルネムに電話を入れました。

すると、私が乗りたかったバスを予約してる方がいるので、バスは運行するし、余裕があるので、乗車させてくれるとのことでした。

いや~、助かりました。f(^_^;

ちゃんと、予約された○○さん、ありがとうございました。m(._.)m

皆さまも、合歓の郷に行かれる時は、ご注意くださいませ。(^^;

その送迎バスまでの1時間余りで、昼食、そして夕食の食料調達をすることに。

駅弁でもあれば、それを夕食にしようと思っていたのですが、見当たらず。

しかし、賢島駅改札外に、コンビニがあったので、夕食はおにぎり他にすることにしました。

とりあえず夕食が確保できたので、今の空腹を満たすべく海側に向かいました。

お店を探しながら海辺をトコトコ歩いたりしていると、あっという間に時間が過ぎていきます。

焦りながらも、料金表示がない店は怖いし、夕食がおにぎりなので、軽食や麺類は遠慮したいし、、、。

賢島まで来たのだから、やはり、魚介類が食べたいし、ご飯もしっかり食べたい!

和食の看板に誘われて、辿り着いたのは、ビジネスホテルの2階にある食事処。

地魚(○○タイ)のあら炊き定食を注文。
(名前を忘れてしまいました(^^;)

残り時間は、約40分。

注文した時は、食べるのは早いので時間はある、と思っていたのです。

会社の近くでランチを食べる感覚で、予め煮付けたあら炊きをチンするだけだと思って注文したんですが、10分、15分たっても出てきません。

イチから煮付けているみたいです(・・;)

間に合うだろうか、、、お刺身定食にすれば良かった、、、と、焦りだした頃、あら炊き定食登場。

ここで、写真を撮るべきだったのですが、焦りと空腹で思い付きもせず、箸をのばしておりました。f(^_^;

お皿に、一匹分、これでもか!と、のった熱々のあら炊きは、しっとりしていて、とても美味でした♪(^^)v

ご飯も進む♪

しかし、焦って食べると小骨が、、、
その上、これでもか!とある、、、(^^;

小骨に気をつけ、焦らず、素早く、隅々までほじくる!ほじくる~!

格闘すること10分余り、あら炊きをほぼ猫またぎ状態(骨だけ)にして無事完食。σ( ̄∇ ̄;)

急いで駅に戻ると、もう送迎バスはスタンバイ。

発車3分前、ギリギリセーフ。(^^;

しかし、焦ったわりには、私1人?( ゜o゜)

バスの中で待ちながら、
いつもバタバタ焦ってるなあ~と、反省。f(^_^;

さすがリゾート、他の方は、ゆっくり優雅にやって来られました。

バスも優雅に出発です。

海に架かる橋を渡って、快調にバスは走ります。

そして、「泣かないで」で、ヤマハ北海道支店のサイトーさんが、
「こっから先は、半島全部ウチの会社の」
と、言ってた大崎半島に入ります。

「何でもあります。何でも買えます」
と、調子のいいこと言ってたサイトーさん。

"「ウチの会社の」土地だから何ンでもあるんじゃねぇンだよ。
「ウチの会社の」土地だから、ウチの会社のもの以外、何ンにもだあれも入ってない、っていう意味なんだよ。
一般住宅も。
スーパーマーケットも。
ファーストフードも。
クリーニング屋も。
酒屋もそば屋もおでん屋も焼き肉屋もカレー屋も。
なんーっにも入ってないっていう意味なんだよッ。
バカヤロー。"
と、そんなサイトーさんにみゆきさんが激怒してた大崎半島。(笑)

今は、ヤマハの土地ではありませんし、ちゃんとした街でありました。

しかし、バスが山道を登って行くと、少し歩いて買い物できる店はないような山ン中に。

道はキレイですし、綺麗な民家(別荘?)もありましたが、コンビニとかそば屋とかは、見当たらなかったですね。

おにぎり買ってて良かったと思いましたもの。(笑)

ただ、ホテルネムより先には、レストランがあるようでした。
(そちらの方には行かなかったので、歩ける範囲かは不明です)

と、いう道程を経て、ホテルネムの玄関へとバスは到着したのでした。

お疲れ様でした。m(._.)m

ようやく、《前》終了です。

《後》も半分は、書けているので近日アップの予定です。

そちらも、よろしくお願いいたします。

長々とお読みいただき、本当にありがとうございます。(^^)

では、また。(^-^)
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする