身の程知らずの独り言

音楽的にも文学的にもダメダメな♀が、身の程もわきまえず、好き勝手な戯言(主に、中島みゆきさん)を記しております。

広島のおまけです。f(^^;

2017-02-12 01:33:00 | 中島みゆきさん(旅)
先日、「歌縁」広島公演に行って来た記事をUPしました。

主要目的は「歌縁」でしたし、思わぬ副産物として「一会」の記事も書いたのですが、それ以外にお邪魔した広島のアレコレを下手な写真を中心に記事にしたおまけ記事です。

と、言いつつ、何か、凄く時間が経ってしまって、、、(--;)

その間に追加された「歌縁」情報を先に紹介します。

あたるちゃんが、Twitterに載せてくれてます。

★テレビです。
「BSスカパー 中島みゆきリスペクトライブ2017「歌縁」松本公演」(New)

日程:2017.02.18(土)
放送時間:18:00~20:00
放送局:BS スカパー
出演:
クミコ、研ナオコ、中村 中、一青窈、平原綾香

残念ながら、BS スカパーは視聴できません。(TT)

★ラジオです。
(青森公演が、追加されました)

放送順に、
「中島みゆきリスペクトライブ2017 歌縁~広島にて~」
日程:2017.02.12(日)
放送時間:19:00〜20:00
放送局:FM 広島
出演:
研ナオコ 、クミコ、 中村 中、坂本冬美 、華原朋美

「中島みゆきリスペクトライブ2017歌縁 青森」(NEW )
日程:2017.02.19(日)
放送時間:16:00-17:00
放送局:RAB青森放送
出演
研ナオコ、クミコ、中村 中、華原朋美、平原綾香

「レダpresents中島みゆきリスペクトライブ2017『歌縁』」
(『歌縁』仙台公演の模様をダイジェスト)
日程:2017年3月4日(土)
放送時間:20:00〜20:55
放送局:TBSラジオ
出演:
研ナオコ 、クミコ 、中村 中 、岡本真夜、島津亜矢

富山公演をやって欲しいんですが、富山の放送局様、お願いいたします。m(__)m

と言うか、全公演やって欲しいですね。

各放送局様、お願いいたします。m(__)m

また、青森放送さんも、よりによって19日とは、、、(--;)

東京公演のライブビューイングの日で、月イチの日ではないですか、、、f(^^;

18日なら、ダイレクトに録音できたのに、、、(--;)

そのライブビューイングですが、何とかチケットをゲットしました。

何とかと書いたのは、大阪はソウルドアウトだったからです。

2月4日、少し出遅れて10時半ごろチケットぴあに到着。

私の中に、ライブビューイングだからという気持ちが少なからずあって、開店同時に行かなくては!とまでの気合いはなかったんですね。f(^^;

チケットぴあの店員さんに、
「歌縁」のライブビューイングと言ってもすぐにわかってもらえなかったので、そんなに売れてないのかな?と思ったら、大阪会場ソウルドアウト。(TT)

これには、検索した店員さんも驚いてました。

しかし、流石プロ。(^^)v

すかさず、
「他の会場もありますが、どうします?」

で、調べてもらったら、西宮と京都に若干の空席があるとのこと。

その上、親切に各々のTOHOシネマズの場所とアクセスを検索して、見せてくれました。

それで、何とかチケットをゲットできたのでした。(^。^;)

ライブビューイングも、盛況のようで何よりです。(^^)

しかしこの日は、先にも書いたように月イチの日。

遠くなった分、仮眠の時間が、、、(--;)

まあ、何とかなるでしょう。f(^^;

と、「歌縁」関係のご報告も終わったところで、ここからは、みゆきさんは全く関係ない"おまけ記事"です。

そんなんでもよろしければ。(^^)

まず、交通費の情報を少し。

ただこれは、地域・年齢限定の情報です。

今回の広島までの新幹線代は、"おとなびWEB早特"という、JR 西日本の割り引きを使いました。

この"おとなび"は、50歳以上という条件があります。
(『♪としをとるのはステキなことです
そうじゃないですか~』「傾斜」)

この割り引きで、片道
新大阪→広島 通常10,440円→7,300円
です。

往復で、6,280円お得でした。(^^)v

これが、"こだま"使用なら、
新大阪→広島が、4,080円になります。

半額以下です。

今回は時間的なことと、座席を考えて"ひかり"にしました。

乗るなら、新幹線"みずほ"に乗りたかったので。

"みずほ"は全席二人掛け、座席は広くて、落ち着いた木目調の車内で本当に快適でした。(^o^)v

ただ、人気の"みずほ"は、行きしか取れず、帰りは"のぞみ"の二人掛け座席でした。

やはり、"みずほ"が良かった、、、(--;)

ちなみに、「夜会」で上京した時は、東海ツアーズの"ぷらっとこだま"プランのグリーン車で往復しました。

これは、本当は
中島みゆき"歌跡"の旅へ《東京・おまけ》に書くはずが、忘れてました。f(^_^;

スミマセン。m(__)m

改めて、"ぷらっとこだま"ですが、こちらは年齢制限はありません。

誰でも購入可能です。

ただし、各駅停車の"こだま"限定なので、時間は倍かかります。

新大阪→東京 通常14,140円→10,300円。

グリーン車利用で、11,800円でした。

注:上記金額は、通常期料金なので時期によってはUPします。

時間はかかりますが、グリーン車のゆったりした座席は一度座るとやめられません。

本当に、快適でしたよ、時間かかるけど。f(^^;

と、少しは役に立つかも知れない情報でした。

さて、おまけの本題です。

広島公演をゲットした時から、密かにここだけは行きたいと心に決めていたのが、宮島。


この鳥居で有名な世界遺産です。

宮島には、約30年前に行きました。

ちなみに、原爆資料館に行った後年で、世界遺産になる前です。

で、何故、宮島に行きたかったかと言うと、厳島神社にも行きたかったのですが、正直に言うと、それよりも何よりも宮島口にある「うえの」のあなごめしが食べたかったのです。

約30年前に食べて、その美味しかった記憶が、記憶力のない私にも強烈に残るくらい美味しかったんです。

ただ、広島に着いたのが昼。

JR で宮島口まで約30分。

到着が13時前だったので、店は満席。

受け付けで、
「店内だと1時間待ち、お弁当で15分」と言われ、迷わずお弁当を選択しました。

流石、有名店、隣に古い店舗を改造(?)した雰囲気の良い待ち合い所がありました。

しかし、そこも満員。

座れる場所はなく、中を見て歩いていたら、裏口を出た離れにカフェを発見。

その上、そこでワンドリンクを頼めば、「うえの」のお弁当を食べさせてくれるとのこと。

そちらのカフェも古い町屋と蔵を改造した味のあるお店でした。

カフェの名は、
「epilo(えぴろ)」。

15分後に出来上がった「あなごめし弁当・小」(1,728円)を持って、「えぴろ」へ。


出来立てのお弁当は、本当に美味しかったです♪(^o^)v

ふっくらとして脂がのってるのに、しつこくないあなごと、あなごのアラで取った出汁で炊いたご飯の一体感。

私が覚えているより、何倍も美味でした♪(^o^)v

そして、あなごめしの持ち込みは、ドリンク100円引きになります。

このカフェのことは、大々的に告知されてるわけではなく、A4のチラシが貼られているだけでした。

だからか、待ち合い所の満員状態とは対照的に、私以外は誰もいないという意外な状況でした。

私にとっては、幸いなことなので喜び勇んで、ドリンクを頼んで、2階客席に上がりました。

上の写真でも何となくわかるかと思いますが、素敵な雰囲気の2階客席です。

ただ、残念なことにお弁当撮影をしているうちに、他のお客様がきてしまい、全体の写真やもう一部屋の写真を撮ることができませんでした。(TT)

↓の写真は、回りに迷惑をかけない範囲で撮ったものです。
(お店の方に、ちゃんと撮影許可は取りました。
ブログに載せることも)






雰囲気だけでも、おわかりいただけたでしょうか?

また、雰囲気がいいだけではなく、古本図書館でもあるので、古本が読み放題、また、貸し出しもしてくれるという嬉しいサービスもあるんです。

食に関する本が多かったです。

本棚もありますが、↓のようにオシャレに飾られてもいます。



このステキな空間で、極上のあなごめしを味合い、食後に美味しいコーヒーをいただく。

至福の一時でございました。(^o^)v

などと、優雅に過ごし、1階のお土産売り場に寄ると、時間が、、、(--;)

気がつけば、もうすぐ2時。

16時半から「歌縁」開場です。

広島駅で荷物を出し、ホテルにチェックインしてから、会場に向かうためには、、、(-_-;)
(この時、焦りはしましたが、重大な思い違いをしていて、後半、更に焦る結果になりました)

大急ぎで、宮島行きフェリー乗り場へ。

宮島行きのフェリーは、JR と宮島松大汽船の2社があります。

とにかく、直ぐに乗れるのは?、と選んだのが、JR フェリー。

急いでチケットを買って、乗り込みが始まろうとしてるフェリーに、文字通り走り込みました。(-。-;)

このように、たまたま、先に出るJR フェリーに飛び乗ったのですが、これが幸いしました。

JR フェリーのほうが、大鳥居の近くを運航していたのです。

その船上から撮ったのが、最初の写真です。

寒い中、展望デッキでシャッターチャンス(そんな大袈裟なものか!(゜o゜)\(-_-))を狙ったわりには、、、ですが、、、f(^^;

そんなこんなで、宮島上陸。(^^)v

30年の時を隔てて上陸した宮島は、私の記憶と全然変わっておりました。

船着き場も参道もキレイに整備されていて、私の記憶に残る風景とは別物。

そして、何よりも変わっていて、驚いたのが神の御使いの鹿。

30年前は、奈良に比べて小柄な宮島の鹿が、ワサワサ元気よく寄ってきたんです。

元気良すぎるくらいに!

一緒に行った友人は、お尻をつつかれてました。

それが今回、ワサワサと言うほど見かけることもなく、静かに歩いてる鹿や座り込んでいる鹿、2頭~3頭に気づいたくらいでした。

実際には、もっといたのかもしれないのですが、とても静かで本当に気づかないくらい気配がなかったんです。

その時は、宮島の鹿も世界遺産になって、大人しくなったのかな?くらいにしか思わず、時間を気にしながら厳島神社へと急ぎました。

(この記事を書きながら、気になったので、宮島の鹿を検索すると、問題が起こっていることがわかりました。
そのことは、記事後半で改めて)

多言語で書かれた案内やパンフレットと、外国人観光客の多さに、世界遺産なんだなあ~と、改めて認識。

↓は、厳島神社から見た大鳥居です。


厳島神社から、宝物館を見学して、高台にある豊国神社の五重塔へ。


ここで、とうとう雨が降り出し、豊国神社の千畳閣で雨宿り。

この千畳閣は、天正15年(1587)に豊臣秀吉が建立を命じた大経堂で、畳857枚の広さがあります。

しかし、秀吉が急死したため、御神座の上以外の天井や板壁がない未完成のまま現在に至っているそうです。

朱に映える五重塔とは、対照的な木造の素通しの広大なお堂は、独特の落ち着きと雰囲気がありました。

(ただ、残念なことに、千畳閣を撮った写真は全部ダメダメでした。(TT))

その千畳閣から撮った厳島神社。


雨もほぼ止んだので、ボチボチ降りて参道へと戻り、宮島土産を購入していたら、3時を回ってしまいました。

乗り換え時間もあるので、流石に、焦ってフェリー乗り場へ。

往路がJR だったので、復路は宮島松大汽船にしたかったのですが、残念ながら出港した後。

仕方なくと言うと失礼ですが、復路もJR フェリーで宮島口へ。

行きと違って、デッキには上がらず、船室に落ち着きました。

念のために、チケットの確認をすると、物凄い思い違いをしていたことが判明!

開場が16:30なので、開演は17:30だと思い込んでいたんです。

だから、チェックインしてからでも間に合うと思っていたのですが、良く見ると、開演は17:00!!(゜ロ゜ノ)ノ

時間が、、、ない、、、(;゜゜)

直接会場に行かなくては!

お土産買うんじゃなかった、、、荷物、、、重い、、、(TT)

などと、後悔しても遅い!(゜゜;)\(--;)

乗り換え検索をすると、直接向かっても開場ギリギリ。

とにかく、電車に乗り遅れないように下船後急いで宮島口駅へ。

宮島口から新白島駅までJR で25分。

JR 新白島駅からアストラムライン新白島駅まで徒歩で3分くらい。

↓アストラムライン新白島駅です。

中々、斬新なデザインの駅です。

そのアストラムライン新白島駅から白島駅まで約1分。

アストラムライン白島駅徒歩1分で、広島上野学園ホールです。

何とか、開場の16:30までに会場に到着。( ̄▽ ̄;)

ここから、
"行ってきました「2017歌縁」広島公演"に続きます。

公演終了後は、アストラムライン白島駅から新白島駅へ。

↓アストラムライン新白島駅。

外観も斬新です。( ゜o゜)

アストラムラインからJR へ移動し、広島駅へ。

JR 新白島駅から広島駅までは一駅3分です。

無事にチェックインし、1日目は終了です。

2日目は、
"「一会」劇場版in 広島"
にまとめました。

その時に乗った市電(広島)が↓。


"「一会」劇場版in 広島"に、貼り忘れてました。m(__)m

これで、広島のおまけ終了です。

途中で書いた、宮島の鹿問題です。

私もネットで検索したことしかわからないので、どう書いたらいいのか悩みました。

悩んで、何度も書き直した結果、何が起こっているかだけをお伝えすることにします。

調べるまで気づかなかったのですが、宮島の鹿にエサを与えることは、禁止されているそうです。

確かに、奈良や昔の宮島にあった鹿センベイは全くありませんでした。

宮島がある広島県廿日市市のホームページには、
"昔から宮島地域に生息するシカは、自然生態系の重要な構成種ではありますが、保護条例などの制定により住民に大切に扱われてきた歴史があり、住民とともに暮らしてきました。
 しかし、近年給餌などによる人為的関与による、市街地へのシカの定着と生息密度の著しい増加は、住民の生活環境被害や観光客への危害を生じさせるとともに、シカ自体にも誤って食べた異物が胃に蓄積して栄養障害などの健康被害がみられるようになりました。
 廿日市市では、宮島のシカを野生動物として適切に管理することで、人とシカが一定の距離をおきながら新たな共存関係を構築していくことを目指しています"
とあります。

平成10年「宮島町シカ対策協議会」を発足し、対策を講じることになったそうです。

廿日市市のホームページで、その計画概要や資料のPDFファイルが閲覧できます。

↓は、私の独断で抜粋したものです。

"宮島のシカの位置づけ
宮島のシカは,人為的な影響を受けた野生動物として位置づけられる。
人に馴れているため半野生状態のようにみなされることが多いが,廿日市市や住民が飼育管理しているわけではない。
市街地中心部に定着した一部の個体を除いて,ほとんどのシカは夜間を含めて多くの時間を山の中で過ごしている。
さらに,繁殖活動や出産・子育てなどは自然状態で行われ,生態的にも野生動物としての実態がある。
また,法律上も愛玩動物ではなく野生動物として扱われる。
宮島のシカは野生動物であるため直接的な管理責任は生じないものの,長年の餌付けによって市街地に生息していることから,事故や被害に対して対応していかなければならない。
同時に,事故や被害の軽減し,さらに未然に防止するためには,食べ物を与えないことで人とシカの生活空間を分離するという抜本的な対策が必要である。"

詳しくは、廿日市市ホームページに、9個のPDF ファイルがありますので、そちらをご覧ください。

ただ、トップページからは探しにくいので、"廿日市市鹿"で検索するほうが、閲覧しやすいです。

そして、"廿日市市鹿"、または、"宮島鹿"で検索すると、エサやり禁止についての賛否両論が、アレコレと出ています。

能天気に宮島へ行った記事を書いてきて、最後に鹿問題を書くのもどうかと思ったのですが、知らなかったことにして終わるのもイヤだったものですから、、、(--;)

だからと言って、一観光客の私にどうこう言えることでもない。

と言うと卑怯な気もしますが、考えれば考えるほどに、もの事には裏表両目あり、一方向だけからは見られないという気がするんです。

なので、大もとの廿日市市の対応だけ抜粋しました。

時間をかけたのに、中途半端な記事になって、スミマセン。(TT)

そんな記事を、最後までお読みいただいて、本当にありがとうございました。(^^)

でば、また。(^-^)
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中島みゆき"歌跡"の旅へ《東京・おまけ》

2016-12-30 21:35:11 | 中島みゆきさん(旅)
「中島みゆき"歌跡"の旅へ《東京・楽園》」という記事の《おまけ》です。

「夜会」以外で、行きたかった最大の場所は《東京・楽園》で書いた渋谷の元「ヤマハ エピキュラス・スタジオ」こと、現「ヤマハエレクトーンシティ渋谷」でした。

その目的を何とか果たせるメドがたったのと、東京の友人が案内をしてくれることになったので、東京の"歌跡"を駆け足で回ってきました。

ただ、"歌跡"と言っても、皆様ご存知の場所ばかりで、偉そうに東京の"歌跡"と言える穴場はありません。

それでも、私には初めての場所が多かったので、おまけ記事にしてみました。

おのぼりさんの嬉しがり記事ですので、お気軽にお付き合いくださいませ。(^^)

なお、せっかくなので、私が訪れた順ではなく、みゆきさんが歌われた順にしてみました。

というわけで、《おまけ1》は、世界歌謡祭会場の「日本武道館」。↓

私にとって、初めての「武道館」でした。

この超有名な場所の知識が全くなかった私は、友人につれられて九段下駅を出てビックリ!

そこには、お堀が、、、。

こ、これは、お城、、、江戸城ですか?(*_*)

と、驚いている完全におのぼりさんの私。

「武道館」に行くのに、お堀を渡り、立派な御門を通るなんて、、、( ゜o゜)↓

この御門は、田安門と言うそうです。

そして、「武道館」のある場所が、北の丸公園というのも初めて知りました。

本当に、無知な私です。(--;)

それだけでも、私には驚きだったのですが、田安門を入ってから更に驚くべき光景が、、、(^^;

この写真ではよくわかりませんが、この日は、矢沢永吉さんのコンサートだったんです。

コンサートは19時開演なのに、昼過ぎからたくさんの方が集まってるのに驚きました。

それも、その時間から気合いの入った格好の方が多くて、、、f(^_^;

白の上下でキメた男性陣。

ドレッシーな女性陣。

九段下駅で見かけた、和服や白いチャイナドレスの女性達も矢沢永吉ファンだったんだなあ、と納得。

そして、それ以上に自己主張しているファン車の数々。

みゆきさんの会場駐車場でも、目立つファン車を見かけますが、その比ではないファン車の数々。

このファン車は、武道館の駐車場だけではなく、靖国通りを隔てた靖国神社にもギッシリ停まっていました。

この光景には、案内してくれた友人も驚いていました。

「夜会」会場で、その友人は
「年代は同じくらいなのに、人種が違う感じだね」
と、言っていました。

私が、大きく頷いたのは言うまでもありません。(笑)

次は、1985年、1986年の「歌暦」の会場、「両国国技館」。↓

木が邪魔で、スミマセン。m(__)m

1985年と言えば、みゆきさんデビュー10周年。

多くのアーティストが、節目の年には「武道館」と、武道館を目標にするのに対して、はじまりが武道館のみゆきさんは、
"今さら武道館でもないだろう?"と言ってたような記憶があります。

それで、「武道館」でなければ、「国技館」だろうと。

丁度、1985年に今の2代目両国国技館が落成したばかりだったこともあったと思います。

この新国技館は、お相撲以外にプロレスやボクシングなどの格闘技、コンサートやイベントなど多目的に使われているようです。

Wikipediaによると、1985年3月には、甲斐バンドがコンサート会場として柿落としをしていたそうですしね。

「歌暦」は、1985年12月開催。

武道館と違って、国技館には1993年頃仕事で上京した時に寄りました。

と言うか、わざわざ両国のホテルに泊まったんです。

仕事先が両国に近かったのもありますが、「歌暦」に行けなかった、いや行かなかった後悔の念で、一度見てみたいという気持ちがあって、国技館の近くで宿を探したんです。

あんまり意識してなかったけど、何か、その頃から"歌跡"への憧れがあったのかもしれませんね。(笑)

次は、楽園(エピキュラス)と同じ渋谷にある、Bunkamura。↓


その一階、「シアターコクーン」。↓

「夜会VOL. 1」(1989)から
「夜会VOL.13 24時着0時発」(2004)
までを上演した劇場ですね。

劇場として産声を上げる前から、みゆきさんが関わっていた「シアターコクーン」。

ヘルメット被って、工事現場を確認してまわってましたね。

私も
「夜会VOL.9 2/2」(1997)、
「夜会VOL.11 ウィンター・ガーデン」(2000)
の2回訪れました。

リニューアルされたそうで、記憶の中のBunkamuraと違っていて、何か変な感じでした。

単に、私の記憶力の問題かもしれませんが、、、f(^^;

記憶力と言えば、シアターコクーンから次が、赤坂ACT だと思っておりました。

この記事を書くのに、データブックで確認していたら、シアターコクーンと赤坂ACT の間に青山劇場が1回あったことがわかって、内心焦っています。(^o^;)

「夜会VOL.14 24時着00時発」(2006)です。

初めて、大阪公演が実現した時です。

大阪公演が、嬉しくて舞い上がっていたのか、東京公演のことは全く記憶になかったんです。

なので、青山劇場はノーマーク。

次に上京した時に、足を延ばそうと思います。

グンと新しくなって、2014年大晦日に
「麦の唄」を歌われたNHK 。↓

紅白の行われているNHK ホールではなく、NHK 内のスタジオにセットを組んだと記事にあったので、裏側から撮りました。

NHK 内も見学してんですが、入場料がいるのには驚きました。

ただ、入ってみて納得。

大阪の比ではない広さと、内容の充実で、大変面白くて満足しました。

と、ここまでが、完全なる"歌跡"でした。

ここからは、おまけの更におまけです。

オールナイトニッポンを放送しているニッポン放送です。↓ 

現在も月に一度、通われてますね。


↑出待ち、入待ちの方々がいらっしゃるのは、こちらの裏口でしょうか?

東京国際フォーラムにも寄ってきました。↓


国際フォーラムは大きすぎて、何処を写したらいいかわからなかったので、「一会」でなんちゃって出待ちをしていた裏口も付け足し。↓

この写真もわからないことには、変わりないんですけどね。f(^_^;

そして、2016.12.17まで「夜会」が上演されていた赤坂ACT 劇場。

外からの写真は一般的なので、ひねくれて、劇場中から撮った
「夜会VOL.19 橋の下のアルカディア」
の看板の裏側です。↓


以上、東京で訪れた場所でした。

おまけのおまけのおまけとして、「夜会」への差し入れを紹介させてください。

迂闊にも、差し入れの受付をしているのを意識したのは「一会」の時でした。

それまでも、見てたと思うんですけど、意識してなかったんです。

それに、一般人からも受け付けてもらえるとは思ってなかったんです。

「一会」東京公演の時に、勇気を出して係りの方に訊いてみたら、受け付けてくれるとのことでした。

それで、今回の「夜会」では、差し入れを持っていくことにしました。

ドキドキしながら、係りの方に差し入れを渡すと、一枚の紙が差し出されました。

誰宛か、誰からかを書く用紙でした。

私は、誰か特定の人は想定してなかったんです。

だこら、適当に分けるなり、つまむなりしてもらえるモノを差し入れに選びました。

先に差し入れられたものを見ると、みな"中島みゆき様"宛になっていました。

そこで、恐る恐る係りの方に、
「皆様では、ダメですか?」
と訊ねると、
「それでいいですよ」
とのお答え。

ホッとして、「皆様」宛にさせていただきました。

また、セキュリティを考えたら身分証明を求められるかもしれないと、免許証を用意してたのですが、それは不要です、と言われました。

信用されてるのは嬉しいけど、大丈夫かしらと、少し不安になりました。

『♪悪い人などいないだなんて あいにくですが頷けません』
(「Nobody Is Right」 )

さて、差し入れですが、私の大好きな「ばいこう堂」さんのお干菓子です。

『♪SUGAR SUGAR 砂糖菓子』
(「シュガー」)

季節に因んだお干菓子や色んなテーマのお干菓子があって、かわいくて目にも美味しいお菓子です。

11月に差し入れた、クリスマスバージョンのお干菓子大箱。↓


そして、楽器の形のお干菓子。↓


写真だけだと、どんな楽器かわかりにくいので図解です。↓


合わせると50個以上あるので、適当に摘まむのにはむいてるお菓子だと思います。
 
同じものは芸がないかなと悩みましたが、新年バージョンが出たので、12月も、新年用の縁起物のお干菓子と楽器のお干菓子にしました。

そして、千秋楽。

偶々、見かけた正月用の小型の"こもかぶり"です。↓


千秋楽らしくていいかな?と思って差し入れたんですが、後から「人気一」は少しあざとかったかな?と、恥ずかしい気も、、、f(^_^;

そう言いながら、載せてるんだから、恥ずかしいもないもんですね。(^o^;)

以上が、
中島みゆき"歌跡"の旅へ《東京》のおまけ、と言うか
「夜会VOL.19 橋の下のアルカディア」
のおまけの数々でした。

何とか年内にUPできて良かった。(^。^;)

と、お気楽な記事を書いていると、みゆきさんが「ピエロ」を提供した根津甚八さんの訃報が。

3月の小川幾雄さんに続き、縁の方がまた一人旅立ってしまわれました。

改めて、お二人のご冥福をお祈りいたします。

ヤマハのつま恋も営業終了しましたし、月日の流れは残酷ですね。

今を噛み締めて生きていかなくては、などとガラにもないことを思ってしまいました。f(^^;

年末のご挨拶は、明日改めて書こうと思っています。

今回もお読みいただいて、ありがとうございました。(^^)

では、また。(^-^)
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中島みゆき"歌跡"の旅へ《東京・楽園》

2016-12-24 22:31:00 | 中島みゆきさん(旅)
『中島みゆき"歌跡"の旅へ』とカッコつけた記事は、《黒部》で終わろうと思ってたんです。

しかし、もう1ヶ所どうしても行ってみたい場所が東京にありまして、「夜会」で上京した際に何とか探しあてて行ってきました。

ただし、たぶんここがそうじゃないか、程度なんですが、、、f(^_^;

そこは、
"「じゃ、歌のかた、どうぞ」
てなもんでスタジオ内へ案内されて、その広さにびっくりした田舎もんは、ヘッドホンを通して流れ出て来たカラオケを聞いて、またびっくり、なんとテンポはド早いし、キーときたらそれはそれは高いものでありましたとさ。"
"ひっくり返りそうにがんばって、キー違いもテンポ違いもがまんして、ハイハイッて何曲も歌いましたとさ。おしまい。―バカみたい"
(『楽園』中島みゆき著「泣かないで・女歌」)
と、勝手に出来上がっていたカラオケで、みゆきさんが最初にレコーディングをした場所です。

"あたし、たしかにピッカピッカの、アーパーの、たかが田舎もんの新人だったけど、さ。
悔しかったよ。自分が。"
と、綴られた初めてのレコーディング。

"海千山千のベテランおっちゃんたちは、なんだかわけのわかんない芸能界用語いっぱい使ってダーッとまくしたててさ。
「・・・とか言ってもわかんないだろうからさ、キミもう帰っていいよ。あと、こっちで適当にやっとくワ」"

自分で書いた曲なのに、どういう音にしたいのかということを具体的に説明できない、無知な自分に悔しい思いをした場所です。

十年、それ以上かかっても、いつかもっとレコーディングにたずさわれるようになりたい、と思った場所です。

"そうゆう口出しするようになっちゃうと、でしゃばりの自己満足レコード、なのかもしれないけど、でも、自分の曲や詞を産んでそれきり預けっ放しなんて、せつないじゃん。
 自分の産んだ曲や詞でも、もっともっと才能のある育ての親に預けたほうが、ちぢこまらずに大きく育つことがあるっていうのもわかるよ。それくらいわかるよ。
 わかるけど、せめてその才能ある育ての親ってやつに、希望くらい言ったっていいじゃん。言いたいじゃん。"

ある意味、今のみゆきさんの原点になった場所。

それが、
「ヤマハ エピキュラス・スタジオ」

みゆきさん曰く、略称
「エビピラフ・スタジオ」です。

そこは、この「楽園」によると、
"渋谷の駅をはさんで、スペイン坂からちょうど反対方向、同じ位の距離を行ったところに、こちらも坂道の途中にホテル街がある"
あたりで、
"坂の半ばあたりからグンと勾配が急になる。
ここを、会話を交わしながら登るつわものはなかなかあるめえ"
と、書かれた急坂にあるようです。

ただ、もう「エピキュラス・スタジオ」の名前はありません。

「エピキュラス・スタジオ」自体は、渋谷から目黒に移転し、2009年に営業を終了していました。

色々検索したところ、渋谷の「エピキュラス・スタジオ」は、現在は「ヤマハエレクトーンシティ渋谷」になっているらしいと。

らしい、と書いたのは、ヤマハの会社概要や変遷みたいな公的な資料では確認できなかったからです。

それ以外の記事や「楽園」の描写などから、たぶん間違いないと思われます。

↓が、その急勾配の先にある
現「ヤマハ エレクトーンシティ」です。


更なる「楽園」の描写で、ホテルを探して坂を登ってきた二人連れが、
"やっとこ坂道を登りきると、あらうれしや、そこにちょいと奥まった駐車場と、赤く淫靡に点った横文字のネオンを見つける。
これ幸いとスキップもんでドアを入ると、あらびっくり、お二人連れの目の前には非情なる急階段が、どおーんと高く高くそびえ立っている。エレベーターはない"

↓は、日が落ちてからの写真です。

どうです、描写の通りの佇まい。

公的資料で確認できなくても、ここで間違いないと思いませんか?

ただし、勇気のない私は、2度の上京ともここを訪れながら中には入れることができませんでした。

最初は、11月の「夜会」前(下の写真)に立ち寄ったので、時間もなくて写メだけ撮って立ち去りました。

もっと時間をかける予定が、雪で狂ってしまったんです。

そして、12月。

こちらも、何やかやあって、帰りの新幹線の前に寄ることに。

それでも、時間的には充分あったのですが、いざドアの前まで行くと、開ける勇気がなくて、、、(-_-;)

それというのも、あまりにも静かで、人気がなくて、営業してるのかどうかもわからなくて。

そこで、様子を見るために、
"この辺りをみゆきさんは、歩き回っていたのだろうか"
って、周辺をクルクル歩き回って、時間をおいて、もう一度トライしてみたのですが、やはり、同じような静寂。

結局、ドアに手をかけることもなく、スゴスゴと退散してしまいました。f(^^;

その時の写真が、昼の写真です。

この「ヤマハ エレクトーンシティ渋谷」の営業も、渋谷駅周辺の再開発に伴い、2017年12月22日(金)をもって終了するそうです。

ヤマハ エレクトーンシティビル自体が、再開発の対象となっているので、取り壊されるみたいです。

つま恋といい、ここといい、みゆきさんにとって思いでの地が消えていくのは、お寂しいのではないでしょうかね。

そのつま恋も、明日(2016.12.25)で、営業を終了してしまうんですよね。

なくなるか、どうかはわかりませんが、
川上源一氏が作り、中島みゆきを世に送り出した"ヤマハのつま恋"は、終了してしまうのですね。

12月25日の"月イチ"で、何か語られるでしょうか?

『♪時流につれて国は変わる
言葉の通じない国になっても この店は残ってね』
(「LADY JANE 」 )
と、歌われた"LADY JANE "の看板を最後に。


最後まで、お読みいただきまして、本当にありがとうございます。(^^)

では、また。(^-^)
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中島みゆき"歌跡"の旅へ《黒部4・おまけ富山市内》

2016-11-24 12:37:00 | 中島みゆきさん(旅)
2016.11.24 東京は、雪です。

行きたい場所もあったのですが、「夜会」に備えて無理はしないことに。

ホテルに缶詰めなので、完成してない記事を完成させることにしました。

「夜会」も始まったし、アルバムや映像盤も出てるのに、黒部のオマケの話です。

と言っても、黒部ではないし、みゆきさんも全く関係なし、何より時間もたっているのですが、旅の最終日の記録なので一応少しだけ残すことにしました。

良かったら、お付き合いくださいませ。

中島みゆき"歌跡"の旅へ《黒部3・くろよん「地上の星」》
の翌日のお話です。

この日は、これといった予定もなく全くのフリー。

なので、この旅ではじめて、時間を気にせず朝食バイキングを楽しめました。

と言っても、食べ終わった時間は先の2日間と差ほど変わらないのですが、気分的にゆったりと朝食がとれました。


今日の目的は、何と言っても初日にできなかった、上記グルメぐりツアー。

ホテルをチェックアウトして、富山駅に直行です。

ロッカーに荷物を押し込んだら、観光案内所に。

グルメぐりツアーのフリー切符を購入。

ただ、ここで一つ事件が!

このフリー切符、発行時に使用日時を記入するようになっているのですが、うっかり平成27年と記入してしまったバカな私。(--;)

訂正無効。

通し番号がついていて、取り替え不可。

よく事情が飲み込めない、おバカな私と、青ざめる係員さん。( ̄□ ̄;)!!

そうこうするうちに、案内所は満杯状態。

飛び交う複数の言語。

カオスと化す、案内所内。

解決策が見つからず、回りも気になる係員さんから、
「ここでは、どうにもできないので、地電(富山地方電鉄)で訊いて下さい!」
と、チケットを手渡たされました。

やっと、自分のしでかしたことを理解した私は、スゴスゴと案内所を後に。(・・、)

地電のどこで訊ねればいいのかわからないので、総合案内所に行くと、ここでも案内嬢さんを悩ませてしまうことに、、、(--;)

そこで、停車中の市電(地電)の運転士さんに直接訊いてみました。 

やはり、悩む運転士さん。(-_-;)

でも、一瞬悩んだだけで、すぐに携帯で本部(?)に問い合わせてくれました。

しかし、すぐに判断できなかったのか電話口で待つこと暫し。

そのうちに、発車時刻が近づいてくる!

電話してる場合じゃない!
って、ところでやっと指示が出たようで、
「取り替えます。しかし、発車するので次の駅までお待ち下さい」
とのことでした。

「待ちます、待ちます。
スミマセンm(__)m」
と、答えて運転士さんの後ろに陣取る私。

短い停車時間に、チケットを出したり、ナンバーを控えたり、日付入れたりと、お手間をかけたので、交換には3駅かかりました。

それでも、嫌な顔一つせず、笑顔で対応していただいて、本当に助かりました。

地電の運転士さん、本当にありがとうございました。m(__)m

また、私の不始末のために、ご迷惑をおかけしました、観光案内所、総合案内所の方々、地電本部の方々、本当に申し訳ございません。m(__)m

そして、ありがとうございました。(^^)

お陰さまで、無事グルメぐりができました。(^^)v

上記マップの赤い矢印の3店が、利用店です。(^^)

甘いもの5店の中から二つ、どうしても食べたかったのが、「月世界(つきせかい)」と「あやめ団子」。

チケットを交換してくださったのが、南富山駅前行きだったので、まず、
「月世界本舗」で、銘菓「月世界」をもらい、お土産も購入。

「月世界」は、卵と和三盆、白双糖、寒天でできた、とても上品な砂糖菓子です。

メレンゲのような固い層が、ホロリと口の中で溶けるんですが、中にしっとりとした層が挟まっていて、不思議な食感と上質な甘さがクセになるお菓子です。

チケットで引き換えた「月世界」は、自分のお土産に持ち帰りました。

お干菓子やメレンゲなど砂糖菓子が大好きなので、美味しくいただきました。

『♪シュガー シュガー 砂糖菓子』(笑)

次も、甘味です。

「石谷もちや」で、「あやめ団子」2本をいただきました。

ありがたいことに、お店の中に椅子とテーブルがあって、その場で食べることができました。

お茶まで出していただきました。(^^)

「あやめ団子」は、焼き団子に黒砂糖の蜜が"これでもか!"とかかっています。

焼きたてのお団子に、熱々の蜜は本当に幸せな食べ心地です。

正に、口福ですね。(^^)v

甘く幸せな気分で、グルメぐり再開です。

初日に行ってない大学前方面に、鱒寿しを求めて、市電に乗ります。

大学前まで行くと、鱒寿し屋さんがなくなるので、その手前の「富山トヨペット前」で下車。

「鱒寿し本舗 千歳」を目指したのですが、、、。

周辺を探し回ること30分以上。

見つからない、、、(--;)

歩き疲れて、鱒寿し屋さん集中地域に移動することに変更。

この時の頭の中は、鱒寿し一色になっていたので、水墨美術館を失念。

あまりの単細胞さに、近くまで行きながら、富山県水墨美術館は見逃してしまいました。

残念。(TT)

鱒寿し屋さんが密集してる地域を回って、何となく親しみやすそうな「高田屋」さんで鱒寿司を一切れいただきました。

お持ち帰り用に包んでいただいたので、城址公園で食べました。

普通に買える鱒寿司は、量が多くて敬遠してたんです。

だから、お試しで一切れだけ食べれるのは、本当にありがたいことです。

なので、初鱒寿司です♪

桜色の鱒と甘めの酢飯の一体感が、素晴らしく、とても美味しかったです♪

大阪も元々は、箱寿司文化なので押し寿司はわりとよく食べるし好きなんですが、また違った美味しさがありますねぇ♪

もっと早く食べれば良かったと、反省。f(^^;

失敗もあって長々書いてきましたが、この時点で時間は正午前です。

ここまで回ったのは、富山駅の南側のみでした。

しかし、富山駅の北側にもステキな路面電車と見処があるんです。

富山ライトレール富山港線ポートラムといいます。

↓がその路線案内図です。


ホテルでパンフレットを見つけて、どうしても乗ってみたかったので、南側のグルメぐりを駆け足で終えたのでした。

富山駅北のポートラム乗り場に着くと、丁度ポートラムが来るところでした。

そのため、↑は慌てて写した1枚だけのポートラムの写真です。

南側のセントラムに負けないカラフルで、カッコイイ車両が走っているんですが、上の写真じゃ良くわからないと思うので、


このポートラム、車内も広くて綺麗で、振動も少く乗り心地も良かったです。

そして、何より感動したのが、
"ポートラムでは、優先座席を設けていません。
全ての座席が優先座席です"
というような車内アナウンスが流れたことです。

よく考えると当たり前のことなんですが、こうしてアナウンスで聴くと、物凄く響きますね。

黒部アルペンルートのお見送りといい、富山の方の優しさ、意識の高さが心に残る旅になりました。(⌒‐⌒)

このポートラムも路面電車なのですが、南側のセントラムと違って、道路上を走るのは駅周辺だけで、主に専用軌道を走ります。

駅も特色あるデザインで、楽しませてくれます。

そんな、ポートラムで「東岩瀬」まで行き、岩瀬浜まで"まち歩きまっぷ"を片手に歩くことにしました。

「北前航路が最盛期の明治初期に建てられた廻船問屋が建ち並ぶ歴史的な街並みです」
と、"まち歩きまっぷ"にあるように、落ち着いた風情ある街並みが続いています。


立派な造り酒屋もあります。

通りの裏に、大きな酒蔵もありました。

そして、思わず撮ってしまった、"生えさ"自販機。


ホントは、重文の北前船廻船問屋「森屋」の写真や富山港展望台の写真を載せるところなのでしょうが、、、(^^;

「森屋」は、蔵の他に台所や厠など生活感ある場所も見ることができて、面白かったです。

ただ、団体さんとかち合ってしまって、ゆっくりとはいかなかったのが、残念でしたが。(--;)

展望台から眺める富山港もキレイでした、と言いたいところなんですが、生憎の雨で薄暗くて見晴らしも良くなくて、こちらも残念でした。

そのため、展望台では雨宿りをさせてもらいました。

私、基本的に雨女なんですよね~(・・、)

小降りになったので、富山港をブラブラ歩いて出会ったのが、消防船?です。


何か、ラッキーな気分♪

雨の鬱陶しさを払ってもらいました。(^^)v

雨の中、岩瀬運河沿いを歩いて、レストランや土産物屋さんがある「岩瀬カナル会館」で一休み。

ここから、船で富山方面に帰る「富岩水上ライン」もあったのですが、時間が合わずに断念。

岩瀬浜駅から、ポートラムで富山駅まで帰りました。

皮肉なことに、富山駅に着いた時には、雨はスッカリ上がっておりました。

富山を出る前に、どうしても、もう一度、立山そばを食べたくて、早めの夕食をとりました。

海老天そばを食べたのですが、海老がプリプリで、駅そばの海老の概念が変わる美味しさでした♪

こうして、大満足の黒部の旅は終わり、何とか無事に帰り着くことができたのでした。

少々と書きながら、長々と書いてしまいました。

みゆきさんも出てこないのに、お読みいただいた方、本当にありがとうございます。(^^)

無事、「夜会」を観賞できることを祈りながら。

では、また。(^-^)
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中島みゆき"歌跡"の旅へ《黒部3・くろよん「地上の星」》

2016-10-25 01:39:00 | 中島みゆきさん(旅)
長い前置きだけで、本題が遅くなって、スミマセン。m(__)m

いよいよ、本題です。


少し見にくいのですが、「黒部ルート見学のしおり」から工程表です。

中島みゆき"歌跡"の旅へ《黒部2・アルペンルート》で、見学会当日の朝の黒部ダム駅到着までを書きました。

その朝からの旅程を、簡単に振り返ります。

大町温泉郷から、路線バスで扇沢駅まで27分。

扇沢駅から黒部ダム駅まで、関電トンネルトロリーバスで16分。

この関電トンネルト(全長5.4キロ)のほぼ中間地点に、約80メートルの大破砕帯があり、ブルーライトで照らされてます。

《黒部2》では、この大破砕帯のことを難工事箇所としか書かなかったので、少し補足を。

破砕帯とは、
"岩盤の中で岩が細かく砕け、その隙間に地下水を大量に含んだ軟弱な地層"
のことです。

なので、掘っても掘っても天井から崩れてきます。

また、4℃の冷たい地下水が、毎秒660リットルも滝のように降ってくるので、進めません。

犠牲者も大量に出ます。

それでも、10本の水抜き用のトンネルを掘り、薬剤とコンクリートで固める最新鋭の技術を駆使し、堀り進めました。

普通なら10日で抜ける80メートルの距離に、7ヶ月も苦しめられて。

この苦闘を描いたのが「黒部の太陽」です。

下の写真は、その大破砕帯との苦闘をモチーフにした、お菓子です。

売店で、目に飛び込んできました。

インパクトのあるパッケージに惹かれ、荷物になるにもかかわらず、会社への土産に購入しました。

このお土産2個をリュックに無理矢理詰め込んで、見学会集合場所、黒部ダム駅駅長室前へ向かいます。

駅長室前には、"しおり"に書いてあった動きやすい服装に、リュックを背負った30名の老若男女が集っていました。

一人で参加しているのは、私以外では、一人か二人くらいでした。

ほとんどが、二人連れでしたね。

10:20、集合時間前から参加者の確認がはじまります。

そして、4、5人ずつ間隔をあけて、関係者出入口の中に呼び入れられていきます。

見学会スタッフさん曰く、
「一度に入れないので、順番に入っていただきます。
全員揃うまで出発しませんから、安心してください。
早く入っても、寒いだけてますから(笑)」

私の番がきて扉の中に入ると、そこは通路というかトンネルのような所で、臨時の受付が作られていました。

確かに、ヒンヤリしています。

まず、身分証明書の確認。

そして、手荷物及び危険物の検査が行われます。

金属探知機の用なもので、検査されました。

そして、紙製のヘアキャップのようなものとヘルメットを渡されます。

見学会は、工事用施設内を通行するので、ヘルメット着用が必須。

ヘアキャップをして、ヘルメットを被るように指示されました。

はじめてのヘルメット。

ヘルメットって、重いんですね。(^^;

その臨時の受付をすませて進むと、そこはトロリーバスのトンネルに繋がっているようでした。

全員の受付がすむと、ガイドさんからの説明と注意。

意外だったのが、写真は全てOK。

禁止区域はないとのことでした。 

太っ腹♪

ただし、動画は禁止ということでした。

動画については、機密保持というよりは、安全上の問題だそうです。

足場が悪いため、歩きながらの動画撮影で事故が起きるのを防ぐためだそうです。

基本的に止まって撮る写真は、規制なしとのことでした。

トロリーバスの通行を確認して、トンネル内を進みます。

枝分かれしてるトンネルに入っていくと、そこが黒部トンネルのようでした。

そこには、観光バスくらいの大きさのバスが停まっていました。

黒部トンネル内専用バスです。

座席は二人掛けで、座り心地も良かったです。

私は、幸運なことに一人で座席を占領できました。

しかし、バスの座り心地はよくても、普通の観光のようにノンビリするわけにはいきません。

バスの中でも、ヘルメット着用は続いています。

そして、動き出したバスの中で最初に案内されたのが、もしもの時のガスマスクの取扱い方。

長いトンネルで一番怖いのは、煙りなので、もしもの為に、本格的なガスマスクが用意されていました。

使われたことはないそうですが。

そんな、緊張感を少々はらみながら、薄暗いトンネルの中をバスは走ります。

ヘッドラインに浮かぶ壁面は、ほとんどが岩盤を固めただけのようです。

また、道路は濡れているようでした。

実は、バスに乗ってはじめて、このルートの詳細な下調べをしてないことに思い至ったんです。

つまり、みゆきさんが歌われた場所が、ルートのどの位置かちゃんと調べずに来てしまったのです。(--;)

勿論、この見学会のホームページや関電のホームページ、黒部の観光案内ページなどは、チェックしましたが、みゆきさんのことは載っていませんでした。

"行けばわかるだろう"、と何の根拠もなく来てしまったのです。

ツアーのはじめに、詳細な地図を配ってくるとか、解説があるはずだって、勝手に思っていたんです。

それが、地図はないし、説明もガスマスクだし、、、(・・;)

ここにきて、内心焦ってきました。

紅白から14年、もうみゆきさんの話題は出ないんじゃないか?と。

だいたい、このツアーの目的は、黒部ルートや黒部川第四発電所(くろよん)見学を通して、電源開発の軌跡と電気事業への理解を深めることです。

観光ではありませんと、しおりにハッキリ書いてあります。

そのしおりにも、みゆきさんのことは全く書かれていません。

書籍情報として、
「黒部の太陽」、
「黒部の太陽 ミフネと裕次郎」、
「高熱隧道」
は、紹介されていたのですが、、、(--;)

ヘッドライトに浮かぶ壁面を眺めながら、
"もしかしたらもう通りすぎたんじゃないか"と焦る自分と、
"いや、まだ大丈夫、絶対教えてくれるはず"といいきかす自分がいて、ハラハラドキドキしてました。

いっそ、ガイドさんに、訊こうかとも思うのですが、小心者の私にはそれもできず、悶々としておりました。

そんな中、進むにつれて、猛烈な冷気。

ウィンドブレーカーでは、防げない冷気。

ウールのカーディガンを着るも、寒むい。

ウルトラライトダウンの登場です。
 
はじめて、持ってきて良かったと思った防寒具たち。

そんな寒さの中、バスが停車。

さては、ここか!と喜んだのも、一瞬。

黒部ルートの中で、外が見れる珍しい箇所を見学するための停車でした。

土砂を捨てた横穴のようです。

ブレブレの写真でスミマセン。m(__)m

雰囲気だけ感じて下さい。 

バスから降りると、四方八方から冷気がまとわりついてきます。

寒いはずです、あちらこちらに小さい氷柱ができていました。


そのトンネルの先に光が見えてきました。

鉄格子の仕切りがあって、その向こう側が外界になっているようでした。

最後尾からトロトロ歩いていた私が着いた時には、鉄格子が開かれ外に出れるようになっていました。

洞窟の出口、秘密基地の脱出口みたいです。(笑)

トンネル内には、側溝があり、その最終地点がこの脱出口になっていました。

湧き出る地下水でしょうか?

写真ではわかりにくいですが、物凄くキレイな水が印象的でした。

外に出ると、回りは山また山。

真冬に訪れた、みゆきさんがここに立ち寄ったとは思いませんが、こんな山深い、洞窟のような所で歌われたんだと思うと感慨深いものがありました。

そんな感慨深さの一方、わき上がる不安感。

不安感いっぱいになった私は、ガイドさんの解説をこっそり抜け出し、後方に控えていたバスの運転手さんに、
「紅白で使われた場所は、まだ通ってないんですか?」
と、小声で聞いてみました。
(みゆきさんが、と言えない小心者です(--;)

すると、
「紅白?
ああ、中島みゆきさんが歌った所?
まだ、先ですよ。
次に乗る、インクラインの先です。
ここより、もっと狭い所ですよ」
と、親切に教えてくれました。

通り過ぎてなかった!これで、一安心です。

ガイドさん、説明を真面目に聞いてなくてごめんなさい。m(__)m

なので、ガイドさんの説明の聞きかじりと、後で確認したことを書きます。
(以後、見学会後に調べたことを織り混ぜながら書いていきます。
なので、必ずしも当日の解説通りじゃない部分もあると思います)

この場所は、タル沢横坑といい、トンネル工事で出た土砂を捨てていた場所です。

先に、秘密基地の脱出口と書いた所は、正式にはタル沢横坑口というのだそうです。

ここから見る景色は、「裏剱(うらつるぎ)」と呼ばれ、険しい登山道をたどる人しか目にすることができない景色なんだそうです。

黒部ルートならではの眺めで、こんなに天気がいい日は最近では珍しいとガイドさんも嬉しそうに解説してました。

見学も終わり、寒さの中バスに戻って再出発です。

これまでは、通り過ぎたらどうしようと焦っていましたが、ここからは、早く着かないかと焦っていました。(笑)

ほどなく、黒部トンネル内専用バスの終点到着。

途中下車も入れて、約40分の地底探検バスの旅でした。

ここからは、さっきバスの運転手さんが言っていた、インクラインに乗り換えです。

銀色に光る箱形の乗り物が、地下式ケーブルカー インクラインです。


基本、資材運搬用のケーブルで、銀色に光る客車は取り外し式になっているそうです。

456メートルの高低差、斜度34度、815メートルの距離を20分で降下します。

降下中は、外はほとんど見えません。

車内モニターで黒部発電所の説明などを見ます。

しかし、その内容は全く覚えていません、ガイドさんごめんなさい。m(__)m

モニター下の操作パネルの中に、
「中島みゆき紅白、、、」
の文字と有働由美子アナと思われるファーストカットが、、、。

それが、気になって、気になって、、、(・・;)

やっぱり、見せてくれるんだ!という喜びと、スルーされたらどうしようというハラハラ。

ホントに、ハラハラドキドキの旅です。(--;)

そんな中、徐行するケーブルカー。

扉の一部を開放し、ケーブルカーのスレ違いポイントの撮影会です。

撮影会が終了して、再びケーブルカーが動き出した時、ガイドさんの口からみゆきさんの名前が!

ガイドさんの話では、みゆきさんご一行様は、私と同じ黒部ダムルートを通って"くろよん"に至ったとのことでした。

みゆきさんは、前日の30日から現地入りされたそうです。

帰宅後調べたところ、ヤマハスタッフやNHK スタッフ、総勢約100名も同ルートで現地入りしたようです。

みゆきさんが歌われたのは、インクラインを降りた先、上部専用鉄道(トロッコ)の資材置き場だと、教えてくれました。

そしてその場所は、その後
「みゆき広場」と呼ばれているとのことでした。

また、本番終了後、寒さと疲労で仙人谷の宿舎まで帰れなくなったみゆきさんは、"くろよん"の応接室で年を越されたそうです。

その部屋のことを
「みゆき部屋」、
その時食べた食事を
「みゆき御膳」
と呼んでいる、とユーモラスに話すガイドさん。(笑)

紅白の後、数年はみゆきさんが使った食器が、「みゆき御膳」として飾られていたらしいです。
(「黒部ダム」のWikipediaに「みゆき御膳」の写真が載ってます。)

そして、いよいよ、その紅白の勇姿がモニターに映し出されます。

有働アナの曲紹介からはじまります。

リアルタイムで録画したのが、ビデオテープだったため、曲紹介から観るのは久しぶりです。

それだけで、緊張してきました。

田口トモロヲさんのナレーションと黒部ダム建設の映像が流れます。

プロジェクトXのオープニングですね。

その映像を受けて、再び有働アナの曲紹介。

「黒部川第四発電所。
地下200メートル。
今の気温が氷点下2度。
その場所では、今、この時間も電力の安定供給のために働いている人たちがいます。
そして、その場所にこの方がいらっしゃいます。
中島みゆきさん、『地上の星』」

"くろよん"の時計が11時を指し、印象的なあのイントロが流れます。

そして、ワインレッドの女神、中島みゆきが降臨します。

少し大袈裟に書きすぎましたが、インクラインで映像を観ていた時の私には、そんな風に見えたんです。

みゆきさん登場からは、何度も見慣れた映像なのに、特別神々しく見えました。

14年も経っているけど、歌われた同じ空間で観ることができた感動もありました。

でもそれ以上に、どんな過酷な場所で歌われたのかを肌で感じることができたからだと思います。

2002年、リアルタイムで観ていた時には、ピンとこなかった有働アナの曲紹介が、身に凍みます。

そして、みゆきさんの歌声が、心に沁みます。

他の方も、映像に見入っているようでした。

9月だから黒部ダムまでは、既存の交通機関を使用できました。

普通に歩けました。

しかし、雪に閉ざされた真冬にやって来るのは、大変だったと思います。

みゆきさん自身、NHK の番組で
「ドンドン、ドンドン、バスがね、雪ん中、雪ん中、もぐって行っちゃうんですよ。(笑)
私は、いったい、どうなるんだろう、挙げ句の果て、アラララララ、、、(・・;)」
と、語っておられました。

北海道出身で、雪ん中は経験あるかもしれませんが、地底探検は初めてでしょうからね。

アラララララ、、、(・・;)に、なりますよね。

「プロジェクトXに、お礼を申し上げる意味で、プロジェクトXに登場した場所のどこかっていうわけにはいきませんか?」
それが、みゆきさんの希望でした。

そこで、富士山、青函トンネル、黒部ダムの3ヵ所が候補にあがったそうです。

その中から選ばれたのが、一番中継に不向きだと言われた黒部。

最初は、黒部ダムで歌う案もあったそうです。

しかし、流石にそれは無茶。

だから、この"くろよん"のトンネルに落ち着いたそうですが、それでも、有働アナが曲紹介で言った
「氷点下2度」なんです。

暖房なんて、できる場所じゃないです。

下界では残暑が残るこの時期でさえ、震えるような冷気がまとわりついてきます。

そんな場所で、リハーサルを重ね、体が冷えきったために、みゆきさんもミュージシャンも息が白くならなかったとか。

息に関しては風があったから白くならなかった、と書いてるものもありましたが、風があると余計冷えるような気がします。(--;)

皮肉なことに、そのために、収録じゃないかとか、セットじゃないかと疑われたこともあったような、、、。

ちなみに、リハーサルは完璧だったそうです。

本番だけ、"やらかして"、これまた皮肉なことに、そのおかげで生中継だということは証明できたんですよね。

よくその状態で、声が出たものです。

いくら、北海道出身で寒さに慣れてるとはいえ、氷点下2度の中で歌うのは次元が違います。

この環境で歌うことは、物凄く大きな賭けだったと思います。

みゆきさんは勿論、ミュージシャンも。

ミュージシャンも、手がかじかんで大変だったでしょう。

そんな、状況で歌いきって、精も根も尽き果てて、宿舎への移動もできなかったんだと思うと胸に迫るものがありました。

感慨深く聴いていても、曲には終わりがあります。

"やらかした"とはいえ、見事に歌い上げ、深々と美しいお辞儀。

アップに、はにかんだような笑顔を浮かべるみゆきさん。

氷点下2度で肩の出たドレス。

はにかんだようなに見えた笑顔は、寒さに引き吊っていたのかもしれません。(^^;

映像の終了に合わすように、インクラインも停車します。

絶妙なタイミングでした。

思わず心の中で、ガイドさんに拍手してました。

インクラインを降りて数歩、上部専用鉄道(トロッコ)の「黒四発電所前駅」です。

"あの時計"のあった所です。

そして、黒部川ダム第四発電所、通称"くろよん"の出入口です。

関電の社員さんが、出迎えてくれました。

その"くろよん"の入口は、何の変哲もないキレイなビルの出入口のようでした。
 
地下200メートル、50年以上経ってる発電所の出入口。

部厚い扉が何重にもなってる厳めしいイメージを抱いていたのに、あまりにも普通にキレイなのに、驚くとともに、少し拍子抜け。(・。・;

どうしても、秘密基地のイメージが抜けなくて、、、f(^_^;

入口で、少し説明を受けた後、案内されたのが会議室(?)のような部屋。

流石に、発電所内はダウンを脱いでも大丈夫なくらい暖房がきいていました。

O字型の大きなテーブルに、参加グループの代表者のネームプレートと写真の「黒部の氷筍水」が置かれていました。

「黒部の氷筍水」は、富山県からの記念品と紹介されたような気がします。
(記憶力が、、、(--;)

しかし、この「氷筍水」、製造は富山市の会社なのですが、採水地は長野県大町市(地中洞窟内湧水)と表記されています。

そして、販売者は、関電不動産開発株式会社。

ボトルのイラストを見ると、湧水箇所は関電トンネルの"あの大破砕帯"の辺りみたいです。

美味しかったですよ♪(^^)

O字型のテーブルの空洞部分は、黒部川渓谷の見事なジオラマになっています。

このジオラマ、動いて"くろよん"内部がわかるようになってました。

なかなか、見事なものでしたよ。

前方スクリーン(大型モニターだったかな?)で、より詳しい黒部ダムや"くろよん"の歴史、仕組み等のレクチャーがはじまります。
(詳しく覚えてないので、後付け満載です)

戦後の経済復興期、関西圏の電力不足は深刻であり、「電気をよこせ闘争」が起こる。

その関西圏の電力不足解消と安定供給のために、発足間もない関西電力は、水量豊富な黒部に、新たなダムと水力発電所を建設する決断する。

だから、"くろよん"は、北陸の地にあるにもかかわらず、「関西電力黒部川第四発電所」なんです。

水量豊富な黒部川流域は、大正時代から発電所建設が行われていた。

1940年稼働の黒部川第三発電所までは、日本電力が建設。

第三発電所まで稼働していたので、第四なんですね。

関西電力発足後は、黒部川水系の発電所は日本電力から関西電力に引き継がれる。

1956年、関西電力は、黒部ダムと黒部川第四発電所建設を計画、始動。

1960年ダムが完成。

1961年黒部川第四発電所1、2号発電機運転開始、1962年3号発電機運転開始。

1963年、"くろよん"竣工。

現在は、4号発電機も運転。

"くろよん"は、国立公園内の景観対策や雪崩対策などで、地下に造られたようです。

50年も前に、こんな地下200メートルの場所に、よくも発電所を造ったもんだなぁ~と、ただただ感心。

また、個人的に凄く驚いたのが、"くろよん"から高電圧化されて、送電されている先が、高槻市の北大阪変電所だと、聞かされたこと。

高槻市は、私が生まれ育った所で、北大阪変電所の場所も知っていたので、驚きました。

北大阪変電所で、降圧されて京阪神地区に送電されていくそうです。

何か、"くろよん"がみゆきさんとは別の意味で、身近に感じられました。

レクチャー終了後は、発電所内の見学です。

下の写真は、発電機です。

奥が川上です。

奥から1、2、3、4号機と並んでいて、ランプが点灯している、1、2、4号機が、稼働中でした。

この下に、巨大な水車があり、超高速で回転し電気を生み出しています。

階下に移動し、その高速回転しているシャフトまで、見学させてくれました。

轟音と高速回転!物凄い迫力でした。

その後、遠隔操作されているので、無人の制御室を見学。


そして、会議室に戻って昼食です。

会議室の隣が、応接室になっており、そこが、あの"みゆき部屋"です。

今から開放するので、昼食後の見学は自由、とガイドさんからのお達し。

それを聞いて、急いでお弁当を平らげ、みゆき部屋へ。

そこには、みゆきさんをはじめ、"くろよん"を訪れた多くの著名人のサインや「黒部の太陽」の台本などが展示されていました。

その中でも、一番目につくのが、やはり、みゆきさんです。

入口を入ってすぐの所に、コーナーがありました。

この写真を載せてもいいものか、悩みました。

いくら、撮影自由でも肖像権もあるし、、、(--;)

でも、こんなダラダラと長いブログに、お付き合いいただいている方へのせめてものお礼と思い、載せることにしました。

なので、どっかから、怒られたら消します。(^^;

このコーナーのスタッフとの集合写真を見ていると、背後からガイドさんが、
「中島みゆきさんが、どこにいるかわかりますか?」
と、声をかけてこられました。

瀬尾師匠は、ど真ん中で寝そべってるので、すぐにわかるのですが、みゆきさんはドレスの上に作業着を羽織っているので、スタッフに紛れてしまってわかりにくいのです。

それでも、中央に写っているのですぐにわかりました。

ただ、みゆきさんを指差すことを躊躇っていると、探せなかったと思ったガイドさんが、
「ほら、ここ。
一人だけヘルメット被ってないでしょう」
と、教えてくれました。

この写真撮影が、本番前か、後かわかりませんが、ヘルメット被っては写らないでしょうね。

そうやって、ガイドさんと話しているうちに、部屋は満員状態に。

ゆっくり写真を撮ることが、不可能になりました。

ここで、私は"くろよん"の出立時間を10分多めに勘違いしてしまったのです。

まだ、時間があるからトイレに行って、もう一度撮影に戻ろうと。

その後で、あの時計や入口、できれば「みゆき広場」も撮りにいこうと。

みゆき部屋に戻ると、人はほとんどいなくて、撮影しほうだい♪と喜んだのもつかの間、
「もうすぐトロッコの発車時間です。
早く、出て下さい」
と、ガイドさんの声が、、、(--;)

ここではじめて、出発時間を勘違いしていたことに気がついて、大慌てで駅へ。

なので、あの時計も会議室のジオラマも"くろよん"の入口も写す暇はありませんでした。

そんな中、何とか写したのが、下の写真です。

あまりにも、お顔がバッチリ写ってしまったので、補整しました。

このトロッコの先に、「みゆき広場」があります。

事前に指定されていたトロッコに、急いで乗車。

狭い車内は、すし詰め状態です。

狭い上に、天井も低く、気を付けないと出入りの度に、頭を打ちます。

そんな狭いトロッコですが、説明のために関電の方が一人ずつ同乗してくれました。

走りはじめて、少し行くと
「ここが、みゆき広場。
中島みゆきさんが、歌われた場所です」
と教えてくれました。

みゆき広場には、その時に撮った写真をパネルにして飾ってあるとのことでしたが、暗くてよくわかりませんでした。

「ここだけ、地質が違ったみたいです。
他は、音が反響するのに、ここだけ、音を吸収したので、ここで歌うことになったんです」
と、解説してくれました。

そのことについては、みゆきさんも先のNHK の番組で、
「地質の違う所があったんですよ、トンネルの中で。
そこは、音吸ってくれるんですね。
これなら、いけるんじゃないなと」
と語っておられました。

当日は、中継ケーブルを20キロ地下を伝い、扇沢に停めた中継車から、衛星を使って生中継した、とあります。

私が、ここまで到達するのに、扇沢から、トロリーバス16分、黒部トンネル内専用バス約20分(途中下車除いたらそのくらい)、インクライン20分、トロッコ数分、と乗り物を乗り継いでも約1時間かかりました。

その道のりに、放送用のケーブルを這わせ(それも、予備を入れて3本か4本)るだけでも、相当な苦労だったと思います。

器材を運び込むのも、撤収するのも。

気温は、氷点下。

中継スタッフの執念を感じます。

また、苦闘していたのは中継スタッフだけではなく、"くろよん"の職員も闘ってたみたいです。

先程書きましたが、"くろよん"で作っている電気は高電圧です。

中継用の器材に使用するには、変圧器を臨時に設置するなど、発電所なのに、電源を確保するのに苦労したそうです。  

発電所なのに、途中で停電したら目も当てられないから、必死です。

その上、本番終了後は、総勢100人に年越しそばも振る舞ったようで、そちらも大変だったようです。

放送時間、6分弱。

その僅かな時間に賭けて、闘った人々。

ヤマハのスタッフも、NHK のスタッフも、関電の職員も、己のプライドを賭けて闘っていたのだと思います。

その思いを胸に、歌いあげた中島みゆき。

もう、3本くらいプロジェクトXができそうですね。(^^)

みゆき広場を過ぎると、もう、みゆきさんの名前が出ることはありませんでした。

以降は、手製のファイルを使って、この先にある高熱隧道の掘削の解説をしてくれました。

高熱隧道とは、岩盤の温度が160℃以上に達する約500メートルの区間。

その区間では、あまりの高熱にダイナマイトが自然発火する大事故が繰返しおき、多くの犠牲者を出した難所です。

この工事は、1936年、日本電力の時におこなわれています。

灼熱のトンネルでの作業。

半裸の作業員に黒部川の冷水をホースで吹き付け、身体を冷やしながら作業をおこなっていたそうです。

しかし、それも20分が限度。

20分、1日3回までとしたが、それでも、熱射病や胃腸障害などで次々と倒れていく作業員。

爆発事故や雪崩などもあり、300名以上の犠牲者が出た難工事。

そのことを基に書かれたのが、吉村昭著「高熱隧道」。

そして、その犠牲を払って完成したのが、仙人谷ダムと黒部川第三発電所。

高熱隧道は、まさに灼熱地獄。

反対に、はじめに書いた大破砕帯は、冷水地獄。

その距離、僅か20キロ。

黒部の驚異を感じます。

しかし、トロッコの中で聞いた話には、もっと驚きの事実が。

もう一本高熱隧道があるというのです。

そのトンネルは、1963年に稼働した新黒部川第三発電所の導水トンネルで、高熱隧道と平行して掘削されました。

そして、その工事も、半裸の作業員に水をかけておこなったんだそうです。

結局、戦前に行われたその方法しかなかった、と語る関電の社員さん。

その工事も大変な難工事だったようですが、犠牲者が出たのかどうかはわかりませんでした。

話を聞いているうちに、トロッコはトンネルの外に出て、仙人谷駅に到着。

仙人谷駅は、黒部川にかかる橋梁の駅です。


ここで、途中下車。

やはり、回りは山また、山。

みゆきさんが年を越すはずだった、関電の宿泊の最寄り駅です。

山の中に見えているのが、宿舎のようです。


確かに、疲労困憊で深夜に行きたい場所じゃないですね。

ちなみに、みゆきさんたちは、この先には行かなかったと思います。

冬の間は、黒部渓谷鉄道が止まっていて、黒部ダム側からしか出入りができないので、来た道を帰られたと思います。

撤収も大変だったでしょうね。

皆様、お疲れ様でした。m(__)m

見学の時間も終わり、再び、トロッコへ。

ほどなくすると、高熱隧道に差し掛ります。

コンクリートなどで覆って、黒部川の水を取り入れて、トンネル内を冷却している今でも40℃はあるとのこと。

トロッコが徐行し、サービスで窓を開けてくれます。

硫黄の臭いとムッとする熱気が入ってきます。

さっきまでの、凍えるような寒さが、遠く離れた場所のことのようです。

この高熱隧道を通るため、このトロッコは耐熱式の特別仕様になっているのだそうです。

本当に、高熱隧道です。

途中下車も入れて、上部専用鉄道乗車時間32分。

欅平上部駅到着です。

ここから、竪坑エレベーターという巨大エレベーターで200メートル下の欅平を目指します。

このエレベーターは、資材だけじゃなく、トロッコの車両ごと運ぶことができるんだそうです。

その前に、展望台に案内してくれました。

ここも、山また、山です。

絶景なんですが、いい写真がなくて、、、スミマセン(--;)

竪坑エレベーターで、標高差200メートルを一気に下ると、欅平下部駅。

ここは、黒部渓谷鉄道の構内です。

工事用トロッコ電車が出迎えてくれました。

(あまりにも、ボケた写真だったので、差し替えました。m(__)m)

約3分で、欅平駅のホームの一番端っこに到着。

ここで、「黒部ルート見学会」は終了です。

解散後、駅のホームを歩くこと数分。

ホームから、黒部川第三発電所が見えました。


改札から一旦出て、窓口で黒部渓谷鉄道の切符と引き換えをします。

欅平発宇奈月行き 14:37。

トロッコ電車の旅です。

「中島みゆきRESPECTライブ"歌縁"」富山公演に出演される、室井滋さんが観光案内をしてくれます。

しかし、疲れが出たのか眠気に襲われて、約1時間半の間半分以上夢の中で、聞いていました。

室井滋さん、スミマセン。m(__)m

15:54 宇奈月駅着。

宇奈月温泉駅までは、数分の距離。

16:00発の富山地方鉄道富山行きは、諦めて駅前の「黒部川電気記念館」を見学しました。

16:36 富山地方鉄道宇奈月温泉駅発富山行きに乗車。

この時に、宇奈月温泉駅で買った、切符です。

周遊券を見せたら、必要部分だけの切符を手書きしてくれました。

何とも珍しい手書きの切符です。


電鉄富山駅まで、1時間42分。

ここでも、半分以上夢の中でした。

起きた時に見た、山々の連なりには感動しました。

大阪では、山はだいたい一つです。

見え方も、平べったく見えます。

しかし、車窓から見た山々は、幾重にも重なって見えました。

とても、奥行きが感じられたんです。

やっぱり、富山の山はスゴいなぁ~と、思いながら夢の中へ。

そんな繰返しだったので、電鉄富山駅に着くまでのことは、山以外ほとんど覚えていません。f(^_^;

18:12 電鉄富山駅着。

駅前で食事を済ませ、ホテルにチェックイン。

長い1日の終了です。

そして、長い記事も終了です、としたかったのですが、最後に私の勝手な妄想を少し。

以降は、この記事を書きながら膨らんだ、全く勝手な妄想です。

富士山、青函トンネル、黒部ダム。

プロジェクトXの現場で歌いたいという、みゆきさんの希望で選ばれた最終候補地。

この中から、なぜ中継が一番困難な黒部が選ばれたのか?

嘘か本当か、みゆきさん本人が選んだと書いてある記事もありました。

みゆきさんが選んだのかどうかは、わかりません。

誰の基準かは、わかりません。

ただ、私は、黒部の犠牲者の多さが、この地を舞台にしたような気がするんです。

黒部ダム工事だけで、171人。

戦前の高熱隧道の工事で、300人強。

合わせて、500人近い人が犠牲になった黒部。

青函トンネルの犠牲者は34人と比べて、異常な多さだと思います。

それだけの犠牲を出しても、怯まず自然の驚異をねじ伏せた、人間の強さを感じないわけではありません。

しかし、国策の名の下、それだけの犠牲を、ものともせず突き進む、人間の残酷さに、身震いします。

国策として突き進んだおかげで、今の便利な世の中があり、その恩恵を受けている私が、偉そうには言えないこともわかっています。

そして、ここまで書くと、こじつけと言われそうですが、黒部の悲劇が、アルカディアのテーマ、"捨てる""捨てられる"に繋がっているような気がするんです。

10年以上も間があいているので、やっぱり、こじつけですね。f(^_^;

本当に、私の勝手な妄想です。

妄想ついでに、もう一つ。

そんな黒部で歌われた、
「地上の星」は、視聴者には応援歌になったかもしれませんが、黒部の地では、500人近い犠牲者への鎮魂歌(レクイエム)だったんじゃないかと、思えてくるんです。

どうも、妄想癖がぬけなくて、、、(--;)

長い上に、最後に変な妄想まで、、、スミマセン。m(__)m

本当に、長々とお読みいただき、ありがとうございました。(^^)

お疲れ様でした。m(__)m

では、また。(^-^)
コメント (4)
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