『ひっくり返りそうにがんばって、キー違いもテンポ違いもがまんして、ハイハイッて何曲も歌いましたとさ。おしまい。―バカみたい』
(『楽園』中島みゆき著「泣かないで・女歌」より抜粋)
上記は、"みゆきさんの声、その12 いまのきもち"でも書いた、初期のレコーディングに対する、みゆきさんの感想(不満)です。
この前段として、初めてレコーディングスタジオに入ったところから、歌入れに入るところまでがあるので、それも抜粋します。
『てなもんでスタジオ内へ案内されて、その広さにびっくりした田舎もんは、ヘッドホンを通して流れ出て来たカラオケを聞いて、またびっくり、なんとテンポはド早いし、キーときたらそれはそれは高いものでありましたとさ。』
これを読んで、ファーストアルバム「私の声が聞こえますか」の声が、全体的に苦しそうな原因は、「これか!」と思いました。
今聴いても、このアルバムは
どの曲も苦しそうで、一番スムーズに歌っているように聴こえる「時代」も、ハモりが苦しそうです。
それでも、「時代」の声が、このアルバムの中では、一番好きです。
"みゆきさんの声、その2"で書いたように、セカンドシングルの「時代」の声は、苦手なんですよ。
苦手と言えば、「私の声が聞こえますか」の「時代」以外の歌声は全て苦手ですね。
それに、アルバムとしての統一感みたいなものもないように思うんです。
落ち着いて聴けないというか、、、(--;)
「中島みゆき オフィシャル・データブック」の「私の声が聞こえますか」の解説を読むと、
「カントリー・ロックタイプ」、「ホンキートンク・ブルース風」、「ジャジィーなシャッフルタイプ」など「アメリカン・フォーク・ミュージック的ニュアンスの楽曲」だったり、「イージー・リスニングにもなりそうなメロディラインをもった曲、バロック的構成美を感じさせる曲などヨーロッパ的なイメージのある楽曲」だったり、日本的な情感を感じたりと、「多彩なニュアンスをもったメロディ」の楽曲が、収められており、「その後中島みゆきが展開していく世界が、すでに豊かに息づいている」というようなことが、書いてあります。
この解説のように聴けば、多彩なアレンジを楽しめるアルバムと言えるかもしれません。
アルバムの主旨としても、良く言えば、可能性を探る多彩なアレンジと言えるんでしょうね。
でも私には、
『なんだかわけのわかんない芸能界用語いっぱい使ってダーッとまくしたてて』、『もう帰っていいよ。あと、こっちで適当にやっとくワ』と言った、『海千山千のベテランおっちゃんたち』に、いいように試されたっていう風に思えるんですね。
どんな曲調が合うか、どこまで歌えるか、また、反響がいいのはどんな曲か、そんなことを探るための多彩なアレンジに思えるんです。
なので、私には落ち着かない、アルバムに聴こえるんです。
試行錯誤の結果、やはり無理があると思ったのか、半年後に発売された、
セカンドアルバム「みんな去ってしまった」では、苦しく聴こえるほどの無茶な要求は、しなかったんじゃないかと思います。
アルバムとしての統一感もありますし、歌声も安定していると思います。
実を言いますと、一番初めに買ったアルバムは、「みんな去ってしまった」です。
「私の声が聞こえますか」は、その後に買ったんです。
という訳で「私の声が聞こえますか」は、一番聴くことの少いアルバムで、収録曲も印象が薄かったんです。
そんな中で「海よ」は、意外な再会をして、印象深い曲に変わったんです。
"ギャルギャル神戸"というラジオ関西の番組で、谷山浩子嬢が歌ったのを聴いたんです。
浩子嬢でも、少し苦しそうに聴こえたのが、印象的でした。
(YouTubeにupされているのを発見した時は、驚きましたが、久々に聴いても、その印象は変わらなかったですね)
だから、「海よ」は、一際苦しく聴こえる曲としての印象が強いんです。
それが、「おとぎばなし―Fairy Ring ― 」で、セルフカバーすると知って、どう歌うのか楽しみにしてました。
そして、アルバムラストの「海よ」を聴いて、「やられたぁ~!」と、ウレシイ悲鳴をあげたんです。
みゆきさんの"幼な声"の中で、一番好きな歌声で、歌い方なんです。
そして、これを聴いた時、『楽園』のレコーディング話の後半を思い出したんです。
『いつかはもっとレコーディングにたずさわれるようになりたい、って思ったわ。』
『自分の曲や詞を産んでそれきり預けっ放しなんて、せつないじゃん。』
『才能ある育ての親ってやつに、希望くらい言ったっていいじゃん。言いたいじゃん。』
『育ての親』は、アレンジャーですよね。
この最初のレコーディング時の強い思いが、自分でアレンジしたり(「予感」)、"ご乱心の時代"を経て、瀬尾師匠に至る原動力になったんでしょうね。
瀬尾版「海よ」を聴いて、上記の記述を思い出して、心底「良かったね」と思ったのでした。
『才能ある育ての親ってやつに、希望くらい言ったっていいじゃん。言いたいじゃん。』
「言えて、良かったね」ってね。
「言える相手に会えて、良かったね」ってね。
本当に、この「海よ」の歌声が好きなんです。
"幼な声"が、せつなくて、いとおしくて。
『ひっくり返りそうにがんばって、キー違いもテンポ違いもがまんして、ハイハイッて何曲も歌いましたとさ。おしまい。―バカみたい』
この時感じただろう理不尽さ、悔しさを、あの愛らしい声で鮮やかに晴らした、ようなイメージがあるんですよ。
だから、なおさら好きですね。
まあ、ここまでいくと、いつもの妄想ですね。
また、暴走しそうなんで、ここまでにします。
長々とありがとうございました。(^^)
では、また(^-^)
(『楽園』中島みゆき著「泣かないで・女歌」より抜粋)
上記は、"みゆきさんの声、その12 いまのきもち"でも書いた、初期のレコーディングに対する、みゆきさんの感想(不満)です。
この前段として、初めてレコーディングスタジオに入ったところから、歌入れに入るところまでがあるので、それも抜粋します。
『てなもんでスタジオ内へ案内されて、その広さにびっくりした田舎もんは、ヘッドホンを通して流れ出て来たカラオケを聞いて、またびっくり、なんとテンポはド早いし、キーときたらそれはそれは高いものでありましたとさ。』
これを読んで、ファーストアルバム「私の声が聞こえますか」の声が、全体的に苦しそうな原因は、「これか!」と思いました。
今聴いても、このアルバムは
どの曲も苦しそうで、一番スムーズに歌っているように聴こえる「時代」も、ハモりが苦しそうです。
それでも、「時代」の声が、このアルバムの中では、一番好きです。
"みゆきさんの声、その2"で書いたように、セカンドシングルの「時代」の声は、苦手なんですよ。
苦手と言えば、「私の声が聞こえますか」の「時代」以外の歌声は全て苦手ですね。
それに、アルバムとしての統一感みたいなものもないように思うんです。
落ち着いて聴けないというか、、、(--;)
「中島みゆき オフィシャル・データブック」の「私の声が聞こえますか」の解説を読むと、
「カントリー・ロックタイプ」、「ホンキートンク・ブルース風」、「ジャジィーなシャッフルタイプ」など「アメリカン・フォーク・ミュージック的ニュアンスの楽曲」だったり、「イージー・リスニングにもなりそうなメロディラインをもった曲、バロック的構成美を感じさせる曲などヨーロッパ的なイメージのある楽曲」だったり、日本的な情感を感じたりと、「多彩なニュアンスをもったメロディ」の楽曲が、収められており、「その後中島みゆきが展開していく世界が、すでに豊かに息づいている」というようなことが、書いてあります。
この解説のように聴けば、多彩なアレンジを楽しめるアルバムと言えるかもしれません。
アルバムの主旨としても、良く言えば、可能性を探る多彩なアレンジと言えるんでしょうね。
でも私には、
『なんだかわけのわかんない芸能界用語いっぱい使ってダーッとまくしたてて』、『もう帰っていいよ。あと、こっちで適当にやっとくワ』と言った、『海千山千のベテランおっちゃんたち』に、いいように試されたっていう風に思えるんですね。
どんな曲調が合うか、どこまで歌えるか、また、反響がいいのはどんな曲か、そんなことを探るための多彩なアレンジに思えるんです。
なので、私には落ち着かない、アルバムに聴こえるんです。
試行錯誤の結果、やはり無理があると思ったのか、半年後に発売された、
セカンドアルバム「みんな去ってしまった」では、苦しく聴こえるほどの無茶な要求は、しなかったんじゃないかと思います。
アルバムとしての統一感もありますし、歌声も安定していると思います。
実を言いますと、一番初めに買ったアルバムは、「みんな去ってしまった」です。
「私の声が聞こえますか」は、その後に買ったんです。
という訳で「私の声が聞こえますか」は、一番聴くことの少いアルバムで、収録曲も印象が薄かったんです。
そんな中で「海よ」は、意外な再会をして、印象深い曲に変わったんです。
"ギャルギャル神戸"というラジオ関西の番組で、谷山浩子嬢が歌ったのを聴いたんです。
浩子嬢でも、少し苦しそうに聴こえたのが、印象的でした。
(YouTubeにupされているのを発見した時は、驚きましたが、久々に聴いても、その印象は変わらなかったですね)
だから、「海よ」は、一際苦しく聴こえる曲としての印象が強いんです。
それが、「おとぎばなし―Fairy Ring ― 」で、セルフカバーすると知って、どう歌うのか楽しみにしてました。
そして、アルバムラストの「海よ」を聴いて、「やられたぁ~!」と、ウレシイ悲鳴をあげたんです。
みゆきさんの"幼な声"の中で、一番好きな歌声で、歌い方なんです。
そして、これを聴いた時、『楽園』のレコーディング話の後半を思い出したんです。
『いつかはもっとレコーディングにたずさわれるようになりたい、って思ったわ。』
『自分の曲や詞を産んでそれきり預けっ放しなんて、せつないじゃん。』
『才能ある育ての親ってやつに、希望くらい言ったっていいじゃん。言いたいじゃん。』
『育ての親』は、アレンジャーですよね。
この最初のレコーディング時の強い思いが、自分でアレンジしたり(「予感」)、"ご乱心の時代"を経て、瀬尾師匠に至る原動力になったんでしょうね。
瀬尾版「海よ」を聴いて、上記の記述を思い出して、心底「良かったね」と思ったのでした。
『才能ある育ての親ってやつに、希望くらい言ったっていいじゃん。言いたいじゃん。』
「言えて、良かったね」ってね。
「言える相手に会えて、良かったね」ってね。
本当に、この「海よ」の歌声が好きなんです。
"幼な声"が、せつなくて、いとおしくて。
『ひっくり返りそうにがんばって、キー違いもテンポ違いもがまんして、ハイハイッて何曲も歌いましたとさ。おしまい。―バカみたい』
この時感じただろう理不尽さ、悔しさを、あの愛らしい声で鮮やかに晴らした、ようなイメージがあるんですよ。
だから、なおさら好きですね。
まあ、ここまでいくと、いつもの妄想ですね。
また、暴走しそうなんで、ここまでにします。
長々とありがとうございました。(^^)
では、また(^-^)
『ひっくり返りそうにがんばって、キー違いもテンポ違いもがまんして、ハイハイッて何曲も歌いましたとさ。おしまい。―バカみたい』この時感じただろう理不尽さ・・・・
こんにちは、こんな想いがあって歌っていたなんて知りませんでした。この2曲をそれぞれのアルバムから引っ張り出して交互に聞いています。私は「20代とちょうど50歳の時の違いで、年齢を経てこんなに感じが変わるんだなぁ」と思ってました。でも聴いてみると妄想ではないと思いました。私もデビューから2枚目「みんな去ってしまった」ぐらいまでのアルバムは、みゆきさん自身が自分であまり納得できていないというのを聞いたことはありました。初期のアルバムはあまり聴きませんが「私の声が聞こえますか」をもう一度ゆっくり聞いてみようと思います。
大変興味深いお話ありがとうございました!
みゆきさんの著書は、おすすめですよ。
ただし、古本でしか入手できませんが。f(^^;
ここで書いた、理不尽な思いが、ある意味みゆきさんの原動力になったんじゃないだろうか?と、勝手に思って、何回も引用しています。
だから、瀬尾師匠との出会いは、本当に嬉しかったですね。(^^)v
でも「私の声、、、」も、やはり、みゆきさんの曲なので、いい曲なんですよね。
PS. 「海よ」ですよね。
お恥ずかしいです(涙)!
このコメントは、訂正が一切できないのです。
だから、コメント自体をUPしてもいいか悩んだのですが、コメントは、嬉しいのでUPさせてもらいました。
だから、こちらこそ、ごめんなさいf(^_^;