なんということでしょう。すっかり10月になってしまいました。
書くことも読むことも少し停滞していて、今回の観劇も友人に付き合って取ったようなものでした。
それだけ 体が不調と同時に気持ちも不調でした。
それでも近くの映画館に行くことはあったのですが、それを綴ることがまた億劫で……
このお芝居に行って本当に良かった
あまり予備知識を入れずにみたので、それもよかったのかもしれない。
1928年に刊行されたヴァージニア・ウルフの小説を、1988年にサラ・ルールが脚本にし上演されたものを
白井晃が演出した翻訳劇なのですが、300数十年を生きる一人の人物の中に時代を反映させつつ個人の心理を
丁寧に追っていく、という少し説明しにくい芝居です。
主演のオーランドーを多部未華子、エリザベス女王を小日向文世、その他の人物を小芝風花、池田鉄洋、野間口徹、
戸次重幸が入れ代わり立ち代わり演じます。途中で多部未華子や小日向文世もコーラスに加わったり、役者が
小道具大道具を移動させたり、と役者にとっても難しく大変な舞台です。
途中で男から女へ性別も代わるオーランドーは本当に大変な役ですが、これを見事に力強く演じている多部未華子の
すばらしさは、言うまでもありません。彼女の芝居は以前も「キレイ」でみているのですが、声や立ち姿の美しさだけでなく、
動きのきれ、感情をコントロールする細やかな表情、完璧なセリフどれをとっても素晴らしい!
小日向文世のうまさはもちろんですが、、6人すべてが素晴らしい
この役者がそろったからこそできる芝居の完成度に感動し、この空間に居られたことを感謝したくなる。
また、音楽も生演奏で臨場感あり、その時代時代の音楽を奏で、見ている観客をその時代に引き寄せる。
第一部でゆっくりと進んだ時間は、第二部になり、ぐっと速度を増し、オーランドーの成長に輝きを与える。
そしてようやく詩を書けるようになったオーランドーはこれからどこに行くのだろう。時空も性別も超えて、今も生きているのか。
この舞台を見て、憑き物が落ちたみたいにすっきりとした気分になったのは、どの時代でも苦しみながらも力強く生きていく
一人の人間を、最後は見届けた達成感からなのか、役者のパワーを分けてもらったからなのか、兎に角とても素敵な時間だった。
書くことも読むことも少し停滞していて、今回の観劇も友人に付き合って取ったようなものでした。
それだけ 体が不調と同時に気持ちも不調でした。
それでも近くの映画館に行くことはあったのですが、それを綴ることがまた億劫で……
このお芝居に行って本当に良かった
あまり予備知識を入れずにみたので、それもよかったのかもしれない。
1928年に刊行されたヴァージニア・ウルフの小説を、1988年にサラ・ルールが脚本にし上演されたものを
白井晃が演出した翻訳劇なのですが、300数十年を生きる一人の人物の中に時代を反映させつつ個人の心理を
丁寧に追っていく、という少し説明しにくい芝居です。
主演のオーランドーを多部未華子、エリザベス女王を小日向文世、その他の人物を小芝風花、池田鉄洋、野間口徹、
戸次重幸が入れ代わり立ち代わり演じます。途中で多部未華子や小日向文世もコーラスに加わったり、役者が
小道具大道具を移動させたり、と役者にとっても難しく大変な舞台です。
途中で男から女へ性別も代わるオーランドーは本当に大変な役ですが、これを見事に力強く演じている多部未華子の
すばらしさは、言うまでもありません。彼女の芝居は以前も「キレイ」でみているのですが、声や立ち姿の美しさだけでなく、
動きのきれ、感情をコントロールする細やかな表情、完璧なセリフどれをとっても素晴らしい!
小日向文世のうまさはもちろんですが、、6人すべてが素晴らしい
この役者がそろったからこそできる芝居の完成度に感動し、この空間に居られたことを感謝したくなる。
また、音楽も生演奏で臨場感あり、その時代時代の音楽を奏で、見ている観客をその時代に引き寄せる。
第一部でゆっくりと進んだ時間は、第二部になり、ぐっと速度を増し、オーランドーの成長に輝きを与える。
そしてようやく詩を書けるようになったオーランドーはこれからどこに行くのだろう。時空も性別も超えて、今も生きているのか。
この舞台を見て、憑き物が落ちたみたいにすっきりとした気分になったのは、どの時代でも苦しみながらも力強く生きていく
一人の人間を、最後は見届けた達成感からなのか、役者のパワーを分けてもらったからなのか、兎に角とても素敵な時間だった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます