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自尊心 と 自負心 Ⅱ

2006-11-25 | 無能唱元・唯心円成会
成功したイメージを繰り返し描き、楽しい氣分にひたるのが、すなわち自尊心を育て上げる秘訣なのです

他人の自尊心
 人間関係をうまく保ち、さまざまなラッキー・チャンスを自分の人生に呼び寄せる最大の秘訣は、他人の 自尊心を高めてあげることです。

 もしそれがうまく行かないとしても、少なくても、他人の自尊心を引き下げるような言動をすることは、厳に慎みましょう。
私には、世の中で生きて行くということは全部が「ギブ・アンドテイク」で出来上がっているように思えてなりません。
それはつまり、自分という個人に対して全世界の人という意味です。結局自分が世間に与えたものだけ、世間から与え返されるのです。
 これは同じ種類のものが与え返されるという意味です、すなわち喜びを与えれば喜びが帰って来るし、憎しみを与えればやはり同類である憎しみが与え返されるのです。

 ところで人間にとって、自尊心を高めて貰うほどの大なる喜びはないのです。同様に自尊心を引き下げる行為ほど、人に苦しみと怒りを与えるものはないのです。
 そしてこの二つのものは確実に世間からあなたに与え返されるのです。だから、あなたがこの世のおけるさまざまな喜び、それは幸運ということでもありますが、それを欲するならば、他人の自尊心を高めてあげることが より効果的な方法は無いと言っても決して過言ではありません。

お世辞 と 褒めること
 人の自尊心を高める言葉を言い表すには、二つの言い方があります。
 それは「お世辞を言う」と「褒める」です
前者は誠実でないとして軽蔑されがちな言葉です。でもこの二つの言葉は、人の優越心を高めてあげるという点について何の変りもないのです。

 それは自尊心も自負心も共に、人の心の中に生じた優越心を意味していることと同じことです。確かに見えすいたお世辞には、聞くに耐えないものがあるのは事実です。でもそんな場合でも、そういう彼の態度を笑顔を浮かべて、敢えて受け入れてやりましょう、なぜなら彼はともかくも、世の人々の心に、自尊心を引き上げてやるという善行を施したのですから・・

人に褒めて貰った時
 人からお世辞であろうと、心からの真の賛辞であろうと褒めて貰った時それを頭から否定してしまうことは感心したことではありません。なぜなら、自己否定するという行為は、妙なことですが、自慢ばかりする人と同様に自尊心の低い人の行なう行為だからです。

 自慢も謙遜も過ぎたるは及ばざるがごとしで結局はその人を否定的なマイナス・タイプの人間にしてしまうのです。

「素晴らしいですね」とか 「お美しいですね」などと褒められたらまず「ありがとう」と感謝の言葉を述べましょう。

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 褒め上手は・・潜在意識に火を灯す・・可能性が広がる
 其処のベッピン別嬪・美さん・・と言うと・・上手いわネェ・・とお世辞ですかと

与えなければ・・与えられない・・多いに与えましょう
 重要感を高めるには・・人に重要観を与える事ですね

コキオロス・・ダレダレヲ・・サカナニ・・コレッテ タノシイ

自尊心 と 自負心

2006-11-25 | 無能唱元・唯心円成会
自負心について

 一方自負心と自尊心は、どう異なるのでしょうか?
 まず結論的に言えることは、自負心も自尊心も同じく「優越心」の産物だということです。
 ただし、この二者間には、大きく異なる点があり、その故に二者の間に分別を立て、それらははっきりと区別されなければなりません。

 まず、「自負」という言葉を辞書で引いてみましょう。「自負ー自分の才能や仕事や誇りを持つこと」とあります。
 この説明で解るのは、自負の場合は、他者と競争するあるものを背負っているということです。つまり彼はその背負っているものに関してのみ自信があるということです。
 背負っているもので、他者と競争を続けていると長い間には、その競争に破れることもあります。そしてそれは彼にとっての重荷になるのです。
結果として、遅かれ早かれ彼は自信を失うことになります、こうして彼の 優越感は粉砕され、 自尊心は 大きく損なわれることになるのです。
 この点において自尊心はものではなく、あなたそのものに価値を見出すのです。あなた自身が、すでに力あるものであり、価値あるものなのですから、例え幾つもの失敗を重ねようともあなたの力や価値そのものはが失われことにはならないのです。

 あなたが、自らの力と価値を信じ続ける限り、あなたの自尊心は無くならないのです。つまりそれが 「信念」というものです。

 人生に失敗はつきものです、失敗を思い出して、その時のマイナス感情を追体験するのは愚かなことです。人生はやり直せばいいのです、今度はうまくやるための方策を練り、そして成功した時のイメージを思い描くことがたいせつです。
このように、成功したイメージを繰り返し描き、楽しい氣分にひたるのが、すなわち自尊心を育て上げる秘訣なのです。   つづく

オール・バッハ1685-1750・アーノンクール ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス

2006-11-24 | 外来指揮者・ウィーンフィル・交響楽団






   都民劇場11月22日(水) 文化会館・4-32 1万6千円ヤヤ高い

 アーノンクールの追っかけも終りました。
お疲れ様と、感動ありがとう と言いたいですね。

 印象深い、京都メサイア、大阪レクイエム、最終がバッハ組曲
合唱の凄さとオケ集団の技量の高さを感じえた。

 音楽のタイムカプセル?が今開く・・その音楽はアーノンクール、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス シェーンベルグ合唱団が・・今奏でる その響きは祈り、慈愛、慈悲、人間賛歌、音楽賛歌であった。

聴き込むと・・新鮮さと 何か奥深い力・・祈り・・
 人間・宗教・自然・・全て溶け込む、共生・・慈愛

バッハ1685-1750、1725年 組曲1-3番
ヘンデル1685-1759、1742年4月13日に初演のメサイア、
モーツァルト1756-1791、1779年ヴェスペレ、1791年10月レクイエム

ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
指 揮:ニコラウス・アーノンクール
<オール・バッハ1685-1750・プログラム>
管弦楽組曲第1番 ハ長調 BWV.1066・・1725年
オーボエとヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調 BWV.1060a・・1736年
カンタータ組曲(BWV.21とBWV.35から器楽のための3つの楽章)1713-1726年
管弦楽組曲第3番 ニ長調 BWV.1068・・1730年

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自尊心 と 自負心 Ⅱ

2006-11-24 | 無能唱元・唯心円成会
でも、それは多分大丈夫でしょう、なぜなら「高慢」とは外部に向かっての表現であり、すなわち、それは「行動」なのです。それを内に秘めておく用心深さが有る限り、彼は自分の行為のすべての面をコントロールできるでしょうから。  

 自己像(セルフ・イメージ)
 人間は無意識に内にも、自分についてのイメージを持っております。すなわちそれは「自己像」とでも呼べきものであり、外見がどうであろうと、それが、その人にとっての事実なのです。
 そして多くの場合、人はその自己像のイメージに沿った行動をするものです。
 自己像のイメージには、優越と劣等の間を上下する価値基準があります。
 優越は、自分に対する肯定的イメージであり、劣等は否定的なイメージです。

 肯定的イメージは、その人にプラスの行動をとらせ、
 否定的イメージはマイナスの行動をとらせます。

自尊心が豊かであるとは、優越的価値が高いということです。
 だからこそ、もし、あなたが自分の成功と幸福を願うならば、自己像のイメージを価値の高いものにしておかなければならないのです。
 自己像はイメージですから、当然、現実の自分、社会的位置における自分とは異なる場合があります。でも、それは自分の内部のことですから、外界と違っていても一向差支えありません。要はあなたが、あなた自身を高く評価し、尊敬すること、つまりそれが自尊心です。
 自分は価値ある人間であり、この世では重要な人物であるということを、心から信じることです。 「偉い人 立派な人は世に多し だが人は人 われは われなり」

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地球上に 我は一人 似たような人はいるけれど 我は独りなり

我 独りであるからには・・我の隣の人も 我 独り・・自ら活かす

自尊心 と 自負心

2006-11-24 | 無能唱元・唯心円成会
「自己重要感」
 この、あまり世の市民権を得ているとは思えない言葉を、私が使い始めたのは「人蕩術奥義」(昭和六十一年初版)の中ででした。
 その後私はしきりに、この言葉を自分の講演や著書の中で用いておりますが、いまだ、一般用語としては世に知られていないようです。
 この言葉の意味は、一口の言ってしまえば、「優越感」のことですが、その内容的なるものは、善悪では測りがたい複雑怪奇な問題をはらんでいるのです。
 なお、コンプレックスという英語はこの「複雑怪奇な問題」のそれを表し、劣等感および優越心の両面の過剰になった状態を意味していることは、ご存知の通りです。
 人は「自己重要感」が傷つけられれば、劣等感に囚われますし、これが充足されれば、優越の快感を味わえるのですが、そのどちらかが過ぎたたる場合、重大な人間関係の蹉跌を招きかねません。

自尊心について
 人間が幸福な人生を過ごすためには、本人が自覚していようと、いまいと、自尊心を内に秘めていることは、とても大切なことだと思います。
 ただ、この自分の自尊心の取扱いについては、二つの注意が必要なのです。

その第一は、それを、内に秘めていて外に誇示しないこと、第二は、外からのマイナス情報の刺激によって、自尊心が傷つかないように、コントロールすることです。

 ここで、乱暴な言い方ですが、結論的にズバッと言ってしまえば、ある情報によって優越心を得て、自己重要感が充足され、氣分が高揚するのは、すなわち言い換えれば、思い上がった気分になるのは、一向に構わないのです。ただし、その優越感を、内にじっと秘めていられればの話ですが・・

 そして、外部の人々に対しては、謙遜の態度をとるのです。つまり、これは「本音と建て前」ということです。人間生きて行くためには、こういった用心深さが必要となってきます。
ある人は言います。「そんなことをしていると思い上がった高慢な人間になってしまうのではいか?」と・・
 でも、それは多分大丈夫でしょう、なぜなら「高慢」とは外部に向かっての表現であり、すなわち、それは「行動」なのです。それを内に秘めておく用心深さが有る限り、彼は自分の行為のすべての面をコントロールできるでしょうから。  つづく