日頃私は数字の大小を過剰に追求することを
意識的に批判していますが、
私は数字とか数学的、物理学的結果を
軽視しているのではありません。
たとえば経済学上
数字、数学的結果は人間の生産活動が
自然や社会に対して対象化された結果であり、
その結果の数字的・数学的表現です。
人間が自然や社会に対してはたらきかけることなくして
ありえないことです。
また、
文化・芸術に関しても同様です。
その素晴らしさは
その芸術家の素晴らしい能力(魂)が
楽器や画材に
対象化されることなくしてありえません。
その中心は
人間だということですね。
だからこそ、
その行為の主人公である人間は
限りなく大切にされなければならないですね!
いかなる人々も
無限の潜在能力を秘めているということです。
秘められた無限の能力・価値を持っています。
近年、
犬畜生、ペット・ロボット以下にしか扱われていないのでは?
(犬・猫が飽食をし、人が粗食や飢えに耐え忍びはじめている。)
(犬猫が医療を受け、人が貧困で受けられない現状が見受けられはじめている)
と思わざるを得ないような社会現象が頻繁に起きているのは
偶然なのでしょうか?
ヒットラーの歴史を思い出すたびに
そのような社会に近づいて行っているのでは?と
思わざるを得ないような気がしています。