心向くまま徒然徘徊紀

思うままに思い、思うままに徘徊し追憶・追記を重ねていきたい。

宗教、人種、民族、国家の運命は誰の手に委ねられるべきか! ---宗教とは---

2015-03-18 09:07:15 | 世界経済政治史

(1) 先ず宗教の根源的自由とは?

 

宗教でいえば

仏教、キリスト教、イスラム教などは

世界の三大宗教として有名だ。

 

ところで

宗教は世界中でいつの時代でも

三大宗教しかなかったかといえば

そうではない。

いつの時代でも無数の宗派が世界中で

生成消滅、つまり

”できては消え、できては消え”している。

 

その三大宗教でさえも

それ自身の体内で新しい宗派、古い宗派と

次々新興宗派が出来ては元々の宗派との葛藤の繰り返しの中で

どちらかが消え去っていく。

 * 中世のカルビン、ルターの新教。プロテスタントとカソリックの争いなど。

 

また、

宗教は、国家との関わり合いが強く

補強(利用・活用?)しあっている場合である。

 

国家の中だけで成り立っている場合もあれば

複数国家に跨って成り立っている場合もある。

 

あるいは

宗教と国家が一体になって成立している場合もある。

 cf2 キリスト教、イスラム教、仏教etc。

 

その運命は

国家との関わり合いの違いに応じて

その盛衰のプロセスを異にしている。

 

国家の弾圧の歴史の中で成立している宗教宗派

(鎌倉時代の日蓮宗、戦国時代の浄土真宗(一向宗)、

ローマ帝国時代前半のキリスト教)

もあれば共生関係(ローマ帝国後半のキリスト教)の中で

繁栄している宗教宗派もある。

宗派の成立(イスラム教)とともに国家が成り立つ場合もある。

 

信仰宗派が

相争い国家が分裂し内乱になる場合もある。

 

日本では、

飛鳥時代に自然神を推す物部氏に対して、

新興宗の仏教を推す蘇我氏が

国内を二分して争った時代があった。

 

 cf.3 イスラム教教義の中に国家成立の必然性を伴う内容が

   あるのかもしれない。


    また過酷な砂漠地帯で育った宗教だけに

  日常の生活の中にも共同生活の中の厳しい戒律などが国家の

  成立に深くかかわらざるを得ない特殊な必然性があるのかもし

  れない。

   仏教もブッダの時代はインドの戦乱の時代である。カースト制度

  という身分差別の厳しい時代・おまけに戦乱という民衆にとっては

  塗炭の苦しみを味わった時代である。確か紀元前3世紀の頃だった。


   キリスト教もキリスト生誕の年が西暦の始まりでもあるのだが、

  キリストは民衆の苦しみとともに生き、弾圧を受け磔の刑で殺された。

 

このような様々な生成・発展・消滅過程を経て

今日生き残っているのが三大宗教というわけだろう。

 

今後、

どのように変わっていくかは人類の文明文化の

発展過程のあり方に深くかかわっていくだろうことは確かだ。

 

 


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