先週行った新宮神社と、先月行った妙円寺(松ヶ崎大黒天)の中間地点の七面祠。東山の西麓と言うよりは、林山の東麓にあり、松ヶ崎小学校の真北に位置する。
地下鉄烏丸線松ヶ崎駅を出て、北山通を東に約500m。信号を北へ、松ヶ崎小学校東沿いの道をゆくと、突き当たりに2種の石塔と、石標、石碑がある。
最も左(写真上・左)には、台座に「松嵜山」とある「南無妙法蓮華経」の石塔、その隣(写真上・中)には「眼病救護七面大天女道」の石標、 またその隣(写真上・中)には「南無妙法蓮華経」の石塔、最も右側(写真上・右)には、「當山二祖 實眼僧都御詠歌 日輪瀧 月輪瀧」と見え、よく判別できないが、歌が書かれていて、最後に「正二位按察使大納言有長」とある。この「大納言有長」は、綾小路有長(1791~1881)であろうか。
(思文閣美術人名辞典:http://www.shibunkaku.co.jp/biography/search_biography_aiu.php?key=a&s=200)
これら石塔の裏に、山裾に沿って急坂の道が続く。坂道の入り口にはまたしても同様の石標、そしてすぐ、低い低い石の鳥居がある。
鳥居をくぐって数m、右手の崖に石垣で囲われた部分があり、上部には石造りの樋が見える(写真左)。
ここに水は全くないが、かつては水が流れていたのだろう。
このすぐ隣が階段(写真下・左)で、それを登ったところに拝殿(写真下・右)がある。
拝殿の北側、石橋の向こうに祠(写真下・左から二番目)がある。橋の左右は窪んでいるから、かつては池だったのだろう。そう考えると、祠の西側の崖(写真下・左)は、水はないが滝のようだ。ここから落ちた水は、祠の前の池となり、さらに東へ川となって流れ(写真下・右)、さきの階段横の樋から、落ちていたと考えられる。とすると、この両者が日輪瀧・月輪瀧なのかも。
祠の前の燈籠(写真下)、竿の正面には「七面宮御寶前」(写真下・中)、東西には「松嵜山」「妙泉寺」(写真下・右)とあった。
七面祠は、七面大明神(七面天女)を祀ったものだ。七面天女とは、日蓮宗に於いて、法華経を守護するとされる女神である。これは、日蓮宗総本山の身延山久遠寺(山梨)で日蓮の説法を聞いていた女性が、龍に変化し、「七面大明神」と名乗った上、お題目を唱える人を守護すると語った、との伝説による。「七面」は、龍の住む「七面山」から来た名であろう。
この伝説を基に、七面大明神を祀るところは、「七面祠」「七面堂」などの名前で、各地に存在する。三輪七面山(東京)、宝鏡山實相寺(広島)、了法寺七面山古墳(愛知)、興栄山朗生寺(千葉)、法見寺北方七面堂(千葉)、七面山七宝寺(大阪)、七面山大雲寺(京都)、稲荷神社(富山)など。寺地内に祀る場合が多いようだ。
この燈籠は、妙泉寺(現・涌泉寺)が、ここを「松嵜山」の裏鬼門と見做し、日蓮宗の守護を願って寄進したものと推測される。
拝殿には、夥しい紙垂が吊り下げられていた。まだ新しいものに見える。独特の折り方が印象的だ。
この拝殿の賑わいに比べ、本殿に向かう石橋の欠けた様子や、落ち葉に覆われた涸れ池、本殿のトタンの覆い屋など、侘しく、忘れ去られた所という雰囲気。
拝殿・本殿の周囲は、木々が鬱蒼と茂っており、東西に伸びる細い山道の先は、陽が射していくぶん明るい。東の道には「歴史的風土特別保存地区」の石標。厚い落ち葉を踏みしめて登りかけたが、坂が急になったので、進むのを止めた。地図で確認すると、東の道を行けば、3ルートに分かれ、東山頂上・宝ヶ池・林山頂上へ、西の道を行けば、新宮神社へ出るようだ。東山で186m、林山はもっと低く120m。距離も短く、高低差もそれほどなく、子連れでもちょうどいいハイキングコース。寂し気なところを除けば。
[2010.3.10追記]
『都名所圖會』で日輪瀧・月輪瀧を見つけた。参道階段脇にあるのが日輪瀧、境内西側にあるのが、月輪瀧と思われる。
(国際日本文化研究センターHP:http://www.nichibun.ac.jp/meisyozue/kyoto/page7/km_01_521.html)
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