今夏は、京都、大阪の二箇所でルーヴル美術展が開催されている。ルーヴルは、二度しか行ったことはないが、とても見きれるものではなかった。ミロのヴィーナスに出合えなかった代わりに、サモトラケのニケの姿は、三度目にしたことを思い出す。
地下鉄東山駅を上がり、三条通を東に進んだ何軒かの店で、まだ前売り券を扱っていた。
京都市美術館前景。
さて、京都市美術館における展覧会は、そう、17世紀ヨーロッパ絵画だった。バスに乗っても、地下鉄でも「これぞルーヴル」のキャッチコピーがついたポスターを目にし、「そうだ、ルーヴル見に行こう」という気にさせられてしまった。ところが、この時代、私の好きな絵画ではなかった。
その上、鑑賞客の多さ、話し声、靴音、それに殆どが人物画。とにかく人の多い美術展は嫌いである。じっくり見られない。
チケットにも、カタログにも、同じフェルメールの『レースを編む女』があり、その小さな絵の前には人だかり。他にも、何度戻っても、人だかりでまともに見られない絵(17世紀フランドル派『襲撃』)があった。展示場所に問題があったのだろうか?
昔々のルーヴル体験、今日観た中で、記憶にあったのは、ベラスケスの『王女マルガリータの肖像』と、ファン・ダイクの『プファルツ選帝侯の息子たち』。スペインのマルガリータ王女の肖像は、さまざまな年齢のものを、あちこちの美術館でよく見る。かわいらしかったから沢山描かれた訳ではない。家族が絵画好きだったからという訳でもない。どうやら、これらは婚約相手に贈る写真の代わりであったようだ。
「宮廷肖像画は、その相当数が、ヨーロッパ各地に発送されるために作られた。支配王朝は絶え間なく、その構成員の肖像画を送りあっていたからである。(カタログp.130)」
つまりは、お見合い写真の役目を果たしていたということだろう。
マルガリータ王女は、15歳でオーストリアのレオポルト1世と結婚し、22歳で亡くなった。夥しい肖像画を作成され、絵画史上、最も有名な王女の一人である彼女は、こんなにも早く命を落とした。そんなことを思いながら絵を見ると、悲しげな表情に見えてくる・・・。
帰りに、疏水の橋の上から東山を望んだ写真を一枚。
水面に両岸の木の緑が映って、あとは青空だけが足らない。
大阪・国立国際美術館のルーヴル展は「美の宮殿の子どもたち」との副題。古代エジプト、古代オリエント、古代ギリシャ・エトルリア・ローマの絵画・彫刻・美術工芸品・素描・版画が来ているらしい。しかも、京都の71点に対し、大阪は200点。見応えがありそうだ。京都・大阪の距離なら、両方見に行こうという人は多いだろう。
これだけの量を貸し出してなお、ルーヴルは通常通り開館できる。35000点が展示されているというのだから。見きれない、見つけられない、どこをどうみていいのかわからない、という者にとって、国内でテーマを絞って企画され、展示されるこのような機会は、大変ありがたい。ただ、混みすぎる・・・。
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