昨日から諏訪に滞在していました
寒い!! まだ10月だと言うのに薄めのダウンなどの冬支度。
下りのあずさの車窓から撮った山、昨日はこんな八ヶ岳でした
諏訪湖も寒そう
通リの木々の紅葉が始まりきれいです
ところが今朝は雪をまとった山の姿が現れました
帰りあずさの車窓から見た雪の甲斐駒ヶ岳と鳳凰三山
今年の冬は寒いとの予報です
近くのウオーキングコース
クリニック前の石階段
まだ萩が咲いています
石階段を上りきって見る市内
10月桜も咲いています
今回、湯村山へは登りませんでした
この道を登って行けば湯村山、そして山城跡に着きます
山の神が祀られている
ここを下ると右手に古墳が見えてきます
この辺りから石和へかけての一帯には古墳が多く残ってところだそうです
ここは 地蔵古墳、コウモリ塚 などと呼ばれていて
六世紀頃のものとのこと
ここに死者を埋めたようです
さらに上にもう一基
古墳からさらに下って行くと立派なお堂の塩沢寺に着きます
塩沢寺弥陀種子板碑
彫られている梵字がはっきりせずすみません
の眺望
周りに木が茂っていて撮りにくい場所です
南アルプスの眺望
ずいぶん古そうな石塔です
福田山塩沢寺の地蔵堂は
808年弘法大師空海によって開山され
955年空也上人によって開かれたという古いお寺で
地蔵堂に安置されている石造地蔵菩薩像は
国の重要文化財に指定されているということです
正面に見えるのは櫛形山
数年前に登りましたが巨樹の多い山でした
サルオガセの下がる一帯もあり
そこは 一人だったら不気味かな・・・と思ったものでした
紅葉映える湯村の山
私は上から下ってきたため山門を下りでくぐりました
山門の横には有名な 舞鶴の松 があります
毎年2月13日午後0時より翌日午後0時までの24時間
厄除地蔵尊祭り が開催されるそうです
昨年は一日早く帰ったためお祭りに出られませんでした
来年、できればお祭りに行けたらいいなと思います
コロナ厄を払ってほしいです
温泉周辺の道の散策を楽しみながら
ホテルで軽いランチをいただき帰路につきました
湯村の旅おしまいです
湯村三日目の夜明けの富士山
朝焼けのオベリスク
日の出
前日は強風でしたが、穏やかな朝です
湯村での楽しみは湯村山へ登ったり山裾散歩です
白い撫子にアブが寄ってきています
花のように見えるハツユキカズラ
坂を上っていくと木に残ったままの柿が・・・
おいしいだろうに~
竹中英太郎は横溝正史や江戸川乱歩作品の挿絵を描いた画家ということです
この日は閉館日でした
鳳凰三山など南アルプスを望む
湯村の高台にあります
家の近くの丘陵も良いところですが
ここは何といっても眺望がすばらしいです
できれば引っ越ししたいほど(笑)
北岳がほんの少しのぞいています
落ち葉のラッセルしながら♫
真っ赤なもみじも見られます
ただただ素敵!!
毎日でも歩きたいような道です
甲斐駒の姿も良いです
道の突き当りにあるのは湯谷神社
旦那さんが待ちくたびれています
湯権現を祭る湯村温泉の守り神
ここまで来るのに時間がかかったのは
蝶やトンボに出会ってしまいお付き合いしていたのです~~
まさかトンボを見られるとは思っていなかったので
ついうれしくなって!!
ここからまだまだ先があります
昇仙峡の下りの続きです
載せ忘れていたのですが、ずっと上の方でしたが昇仙峡を切り開いた
長田円右衛門の碑がありました
独特の渓谷美を誇る御岳昇仙峡が観光地となったのは、江戸時代のこと。
荒川上流にあった猪狩村の長田円右衛門が渓谷沿いに新道を開拓し、
その景観の美しさを世に送り出したことが始まりであった。
今でこそ観光地として多くの人々が訪れる昇仙峡だが、
かつてこの辺りの道は非常に険しい山道のみで、昇仙峡一帯の村落の人々は
薪炭を背負い一日がかりで甲府城下との道を往復したという。
その昇仙峡に九年もの歳月をかけ新道を拓いたのが長田円右衛門である。
彼は一介のお百姓であったにもかかわらず、工事のために周辺の村の名主を説得し
人足をだしてもらったり、天保の大飢饉などで工事中断の危機が訪れた際は
三十もの村々に呼びかけ寄付金を募ったりと、この工事に尽力し、
また、この地域の観光開発の礎を築いた人物である
(円右衛門伝承館の紹介文より)
覚円峰
この山上で覚円禅師が修行なさったとのこと
茶店
覚円峰と天狗岩
傍らにこんなかわいい黄葉が
葉の形から ボタンヅル の花後と思います
この日は風が強くて飛ばされてしまうのではないかと思うほどでした
そんな日ならばこそ飛ばされた木の葉が荒れ狂ったように谷を舞う光景も見られ
何が幸いするかわからないものです
そして谷から離れバス停に向かう手前では
さよならと見おくってくれた猫様がいたり
名前はわかりませんがこんな蝶に出会うこともできました
イロハモミジ
御岳昇仙峡は今年日本遺産に認定されました