気づきの日々

毎日、何気ない言葉や思いつきに、ふと気づかされる時があります。
そんな日々のことを書いてみることにしました。

ストック

2012-06-16 23:56:27 | 日記

昨日テレビ番組のお便り紹介で、沖縄の古宇利島の伝説が紹介された。
アダムとイブに似た伝説だったけど、気になったのが「天から降ってくる餅」の話。

古宇利島 神話伝説
昔、古宇利島に空から男女二人の子供が降ってきた。
彼らは全くの裸であり毎日天から落ちる餅を食べて幸福に暮らしていた。
最初はそれに疑問を抱かなかったがある日
餅が降らなくなったらどうしようという疑念を起こし、
毎日少しずつ食べ残すようになった。
ところが二人が貯えを始めたときから餅は降らなくなった。
二人は天の月に向かい声を嗄らして歌ったが餅が二度と降ってくることはなかった。
二人は生活と労働の苦しみを知り…


「二人が貯えを始めたときから餅は降らなくなった」
これを聞いて、あれ?私がモノを捨てれらずにキープして満足していた
昨日の記事と似ているなーって感じた。

モノを溜め込んだら、流れが狂ってくるんだね。
これが「アダムとイブに出てくる蛇が勧めた知恵のリンゴの実」だったのかな。
貯めるというのは「腐って行く」わけで、腐ると周りの自然も変化する。
私達は食料が不足した時の為に「保存食」を作るけど、
これも「生活の知恵」って昔から言って来たよね。
今までは自然が変化するから、生きて行く為に「知恵」が必要だった。

でも、この伝説聞いたら、どうなんだろうと考えてしまう。
モノがたくさん流通していると価格も安くて価値も低い。
でもみんなが買いだめしたら、途端に在庫がなくなって価格も急騰する。
流通が少ないと「希少価値」という付加価値が付く。
数がなくなって流通から消えると「レアモノ」として、信じられない値段が付く。
かつては見向きもしなかった「どこにでもあるもの」なのに。

この伝説の「天から降ってくる餅」と同じじゃないかな。
毎日降ってくる餅には「有り難さ」も、そんなには感じなかったかもしれない。
それが「当たり前」だと感じてたら、そんなに貴重なモノだと解らないから。
でも「貯え始めたら」餅は降らなくなってしまった。
降らなくなって初めて、毎日降っていた餅の「有り難さ」に気付くのかな。

みんなに循環していた餅が、貯める事によって数が減少して
やがては循環しなくなった。

考えさせられるね。
食べ物は「貯めちゃ」いけないのかもしれないね。
貯める必要がない状態が、一番幸せな状況なのかもしれない。

私は良くストックしていたんだよね。
災害が起きた時に助かるからとか、非常時を考えて買いこんでた。
でも、今でもそれが残ってて、部屋を占領してるんだな。。。 (ノ_-;)
ストックする癖も止めなきゃって思った。

非常時を考えるから、そっちに流れていくのかもと思うようになったもの。
そんな世界を考えるから「抜けられない」のかもしれない。
これって、「餅がなくなったら」を考えて保存するのと同じだよね。

「今」はそんな状況ではないのに、来てもいない未来の事ばかり考えるのはどうかな。
「来ることを想定」しているんだよね。
想定したらダメなんじゃないかな。
そっちに引っ張られちゃうんじゃないのかな?

ちょっと前までは「想定外」だから怖いと思っていたけど、違うかなと思うようになった。
「想定内」の方が怖いぞ…と思うようになった。
だって「想定内」は「保存すること」に繋がるんだよ。
餅が振らなくなったら…と想定したから、蓄えたんだよね。
そして、餅は二度と降って来なくなった。

ほら、やっぱり、「今」じゃない未来を見てるから
そっちの「想定した未来」に流されていったんじゃないかな?

想定する未来は「明るい希望のある未来」にしないとね♪
そして「今」の現在をちゃんと見て生きないといけないなと感じた。
ストックはキープと同じなんだよね。
持っているだけで「安心」する。
でも「腐る」原因でもあると思った。

 

コメント
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