昨日久しぶりに凄く怒っている夢を見た。
友人達と旅行に出かけた宿で私だけ部屋がなくて食事もないと言う不当な扱いを受けていた。
その状態を宿に言ったが、宿からは何も反応がない。
同じ料金を払っているのにこれは何?とイラッとした。
しかも今回だけではなく前にも同じような事があって、これで3度目だよ!?と怒りに変わり、「もう帰る」と友人達に言って、そのまま帰ってた。
友人達は困ったような顔をしていた。
家(友人達と一緒に住んでた)に戻った後に、担当だった宿の人が謝罪に来た。
友人から宿の人が来ているよと連絡を受けたが、私はまだ怒っていて会いたくなかった。
宿の人が事情を説明していた。
自分が宿を辞める最後の日の担当だったが、団体客の1人に凄く手こずる客が居て、その人の対応に振り回されていて私の方まで行く余裕が無かったと。
でもそんなの宿側の問題で、私とは関係ないじゃんとまだ怒っていて、待たされてる私の気持ちが解るといいよと、そのまま待たせていた。
そこで目が覚めた。
自分だけ不当な扱いを受けている事に対する怒り。
似たような夢を前にも見ているので、これは私の根っこの部分の問題なんだなと思った。
「酷い扱いを受けたと言う気持ちを相手にも解って欲しい」と言う感覚。
これって復讐と同じなのかな。
でも相手は自分と違うから、自分の思うようにはいかない。
相手は相手が変えていくもので、こちらからは変えられないもの。
変えられるのは自分だけなんだ。
ふと思った。
そうか、自分の気持ちを解って欲しいと願う気持ちは、自分自身に対して言っていたのか?
不当な扱いを受けているよと、心が私に訴えていたのか?
見ている方向を外側から内側に変えて欲しいと感じていたのかな。
相手の行動に憤慨しているけど、あなたも私の心に対して同じ事しているよって。
自分の居場所がないと感じていたのは、私自身の心が私に対する訴えだった。
どんなことが起きようとも動じない暖かい愛情を真ん中に育てて欲しいって心が訴えてた。
相手が言ってたな。
「余裕が無かった為に起きたトラブル」だったと。
そう言えば、先日友人とランチした店での支払い時に似たような場面があった。
会計時に別々の精算で会員証(5%値引き)とクレカ支払いをお願いした。
すると担当した人が年配の新人みたいな男性で、いろんな機械の操作に苦戦しながら処理していた。
クレカはかざすだけでいいタイプのカードだったけど、そっちではなくて暗証番号を押す方を処理していて時間がかかっていた。
その様子を見て、新人で慣れないから相手に余裕が無いんだなと見守っていた。
友人の時はさらに時間がかかっていて、それを見ていた先輩社員?さんが「相手を待たせているよ」と担当さんに話していた。
この時は「年配で職が変わり、新しい事を覚えるのも大変なんだよねー」と相手に対しても理解できた。
自分も弁当屋で似たような経験をしたから、尚更頑張ってと言う気持ちにもなった。
でも、私の方も会員証とかクレカに拘っていたから、相手も処理が増えて余裕がなくなったんだよね。
現金支払いだったら、もっとスムーズに会計できたはずだ。
相手を理解し、自分を理解する。
そして余裕を持って愛情で物事を見れたら、怒りは起きないのかもしれないね。