気づきの日々

毎日、何気ない言葉や思いつきに、ふと気づかされる時があります。
そんな日々のことを書いてみることにしました。

母が戻る

2015-10-12 13:57:00 | 日記

10/10~10/11で、ちょっといつもとは違う事象が起きてた。

10/10の朝、パソコンを見ながら壁の時計を見たら5:45となってた。
そんなはずはないと置時計を見たら、9:45だった。

4時間のズレ。
時計の電池が切れたのかなと新しいのと交換して電波で合わせたら、いつのまにか動き出してた。

10/11日は、親戚の叔父(父の妹のご主人)の49日法要がお寺であり
読経する前に住職が南側の窓を開けた。
線香の煙がけむたいから?と思ったが
読経中に下の道路から、隣(南側)にある金比羅神社の神輿を担ぐ声が賑やかに聞こえてきた。
大祭の御上り?で、下の道路を神輿を担いで移動している声だった。
読経と神輿のピッピッと言う笛の音が混じりあって、
とても珍しい光景だなと思ったし私的には悪い感じはしなかった。
むしろ忌明けの感じが大きい気がしてた。

というのも、仲直りの意味合いが感じられた出来事があったから。
さらに遡って9/26の事。
この法要の案内はがきが実家に届いたので、父に見せて説明していた時の事だった。
ボケた父は法事に参加できるのだろうか?と不安に思っていた時
後ろにあったガラス戸が急にこちら側へ倒れてきて、父と私の頭を直撃した。
幸い二人とも怪我はなかったが、ガラスの破片が周りに散らばって怖かった。
9/13日には、実家近くで右折の際に事故を起こしていたので
実家に行くと災難に巻き込まれる感じがして、なんなの?と思ってた。

でも冷静に考えたら、事故は私の判断ミスが原因だし、
割れたガラス戸も、親戚の叔父さんの一喝のように思えた。
葬儀の際は、父の状態では参加できないからと父だけ欠席したが
今回は二人でちゃんと来るようにということかなと感じた。
というのも、叔父さんと最後に会った時の言葉が
「いろいろあったけど、水に流してこれからは仲良くしよう」という言葉だったから。
父のボケの状態も皆知っているから、参加するだけでいいのかもしれないと思った。
そういう事もあって皆で参加した忌明け法要だった。

そして10/12の今日、テレビを見てたら鶴見・総持寺の50年に一度の行事?が生中継されてた。
掃除も一つの大事な修行だと言って、床の雑巾がけの様子を中継していた。
総持寺は曹洞宗の大本山で、昨日の法事も曹洞宗のお寺だった。
やっぱり、何か繋がっているんだなーと感じた。

この親戚の叔母さんの夢も去年の9/16に見ている。

病院から身内?が退院?するみたいで、親戚の人達と一緒に病院から出て家に帰っていた。
「終わりがないと思っていたけど、終わりはあるもんだね」みたいなことを叔母さんに言っていた。
次へ進むような、晴れ晴れとした感覚で言っていた。
身内間?の戦いとか争いが終わる様な感覚。

隣の家が精霊船を出していて、2階から下へと送り出していた。
大きな舟でたくさんの人達が来ていてお祭りみたいにはしゃぎながら
下へ降りていたが、途中の「梁」の下を通る時に人に当たりそうで心配して見ていた。

実家のトイレを掃除しながら不要なモノを整理していた。
台所用品とか古い服とか分けてビニール袋に入れて処分していた。

処分する為にビニール袋に入れた私の古い服を母が洗っていた。
最初はボーっとしてそれを見ていたが、それは私が一度洗って
綺麗にしてからビニール袋に入れたのを思いだし
「その服は洗ったよ」と母に言っていた。
母は生きていた!

病院から戻ったのは、母だったのだろうか?

実際に、親戚の叔母さんも9月末に大変な手術を成功させて今入院中だ。
だからなんとなく、この夢の内容が重なって気になっていた。

「母(母性)が戻って来た」という夢に思えた。
多分、私の中の「孤独との戦い」も自分で乗り越えろと言う事なんだろうなと感じた。
戦いの衣を脱ぐと、母性が現れるのだろうな。
そんな気がしている。

昨日の夕方の夕陽が、とても綺麗だった。




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